2018年、僕が深センを訪れた理由
2018年6月10日、深センに来ています。今回、どうして深センに来たか、書いてみます。理由もなにもただの休暇中の旅行というだけで、別に引っ越すわけでもないので大げさですが。
目的は、新技術・新価値観×高度経済成長を肌で感じてイケイケになること
深センといえば、アジアのハードウェアスタートアップの聖地であり、ハードウェアのシリコンバレーとも言われます。そのため、そういう世界をこの目で見てみたいというのもありました。しかし、別に僕はハードウェアスタートアップの社員でもなく、それで起業しようとも思っていないので、工場見学をしたかったわけではないです。ただ、深センという場所の空気を吸おうと思ったんです。汚そうだけど。
もっとも大きい理由、それは深センというイケイケの中国の空気を吸おう、それで日本でノウノウと生きている自分に刺激を与えよう、というものです。ノウノウ to イケイケ。32歳、社会人10年が過ぎ、だんだんと昔のようにガツガツと働けなくなっている自分がいます。しかし、経験を武器にというほどの武器も、本当のベテランの皆さんに比べて、まだまだなのが現実です。そこで、休暇は単純にのんびりして休むだけではなく、やる気スイッチを再びオンにしようと思いたったわけです。
僕は経済成長真っ只中の空気感がすごく好きです。だからアジアの都心部の旅行が大好きです。マニラも最高でした。やはり経済成長をする街というのは、何をしている人も、単純にポジティブオーラを放ってます。日本でも、僕の父親の世代のちょっと前の時代には、みんながガムシャラに働いていた時代があったと思います。新しい技術で生まれた利便性(ネットとかスマホとか)や時代ごとの価値観(年功序列や一生一社といった美徳)などの点から、その時代の日本に生きてみたかったとは思わないのですが、新しい技術・価値観×高度経済成長の空気感を今の中国、深センに求めているのかもしれません。
今の日本は努力の投入量を過剰に調整する世界に思えてきた
経済成長期は、仕事を頑張れば報われる、そんな世界だったんだと想像します。しかし、現代の日本は必ずしも全体として成長が約束された世界ではないため、仕事への努力が結果に結びつくかは怪しい状況です。
以前は、みんなが10頑張れば、全体が100から200になっていて、個人としても10から20になっている世界だったんだと思います。しかし、今はみんなが10頑張った場合、全体は100がいいとこ102くらいというのが前提としてあるので、個人は誰かが9で誰かが11になっただけです。もちろん、他社との比較で、努力投入量が少ない人より多い人のほうが成果が出る可能性が高いのは自明だけれど、他者の下方硬直性もあるでしょうから、ひとりで努力投入量を999か1000かといった圧倒的努力をしても奪えるパイは少なくなり、成果/努力投入量という効率性は落ちていくかもしれない時代になっていると思います。
そういう世界では、①努力をどこまで仕事に注ぐか=努力投入量、②努力値をどう効率的に成果に結びつけるか=努力の成果への変換効率、の2点を意識して、仕事に対して努力値の投入量を調整する時代になってきていると思います。それが現代叫ばれているような、働き方改革なようにも思えます。
でも努力を投下したらひとまず成果が出る世界のが幸せなはず
しかし、そう頭で理解しても、個人的にはどれくらいが適切な努力投入量かを考えながら、そろそろ手抜きしようとか考えずに、とにかく徹底的に努力を投入して、それでやればやるだけ成果が得られるような、ぐんぐん成長する市場に対してバカみたいにのめり込みたいという気持ちがあります。
いちいち「これ以上頑張って意味があるかな、もうサチってないかな」とか考えるのは悲しいじゃないですか。変な努力というか。別に②のほうはいいんです。「こういう努力は効率的か」と考えるのは、成長カーブをあげるだけなので。でも、大前提としてパイの奪い合いなんだって世界は、人から奪うことが前提で奪われる可能性もあるわけで、そういう空気を読みながら、ビクビクしながら過ごすのは幸せではないと思うんです。
だから、自分の幸せのために、努力が好きになれるような、そういう気持ちを人工的に生み出すために、成長の街である深センに来ました。
3日間をフルに使って、いろいろと歩き回ってみたいです。