つながる あの日の声、あの日の私
先日、娘が一歳になった。初期流産・妊娠期間も含めたこの約2年間、今までと同じ時間軸を生きていたとは思えない日々だった。1日が10秒に感じた日もあれば(記憶にもないほど光の速さで過ぎた日も)、1000時間あるのでは・・・というくらい長く感じた日も。毎日きっちり平等に24時間ずつあったのだろうか。私の時間軸だけ歪みまくっていたのではないか。
初めての妊娠出産育児はとにかく戸惑い、悩むことが多かった。言葉もわからなければ、危険を察知することも難しい赤ちゃんは一瞬の隙に事故や怪我を引き起こしかねない。目が離せない。いやずっと見張っていても突然予想外の行動にでてひやっとしたことも何度もある。常に緊張感がある。ぴりぴりぴりぴり。可愛くて大好きで大切で、絶対に失いたくないからこそ。私がしっかり守らないと。
理想とかけ離れた日々。いや理想どころか、想像とも全然違った育児。こんなの聞いてない、が多すぎる。「こんなの聞いてない」シリーズだけで記事がたくさん書けるほどに。(ちなみにこんなの聞いてない第一位は副乳。知ってる?副乳。書いたら長くなってしまったのでこの記事の一番最後におまけとして載せておきます。興味のある人だけ読んでね。)
悩みや不安は常に増える一方。産後の疲れもまったくとれない。そこらじゅう痛い。睡眠時間も足りない。極限状態の産後。もはや産後っていつまで言っていいんだろう。自分自身が生きるのと、目の前の小さな命を生かすのに、毎日精一杯。余裕なんて本っ当になかった。
でも、猛スピードで成長する可愛い我が子をしっかり毎日目に焼き付けたかった。「必死過ぎて覚えてないや」なんて私は絶対に嫌だった。どんなに疲れていても、眠くても、辛くて泣いてしまった日も。今日が一番小さくて軽い娘をたくさん抱っこして見つめて、大好きだと話しかけて。育児日記もつけて。
いくら目に焼き付けたつもりでも、小さな文字でぎっしり日記を書いても、記憶なんて曖昧だから毎日写真や動画もたくさん撮った。
私の母や祖父母たちは言った。「今の時代はこうしてすぐ写真や動画を撮れて、簡単に送ってみんなで楽しめていいね」と。たしかにそうだ。私の小さい頃はインスタントカメラとビデオカメラ。あれじゃ「今のこの瞬間!」をすぐに撮れないし、データを確認できるまでも時間がかかる。画質も悪い。私は今福島に住んでいて、実家は東京だからすぐに会いに行ける距離でもないのでアプリで簡単に写真を共有できるのも便利だ。いい時代に生まれたなぁ。
可愛い可愛い娘は、夫に激似だ。産まれたときは私の祖父似だったのだけど。退院してからは誰が見ても「パパ似だね〜」と言う。1年経った今でもほぼパパ似と言われる。わかる。似てるよね、笑った時の口元とか。でも、少し寂しい。一生懸命お腹で育てて産んだのは私なのだ。娘よ、もう少し私の要素を受け継いでいてもいいんじゃない?先日、実家に飾るため印刷した写真を眺めながら改めてぼんやりと思った。
そんなとき、母が見せてくれた私の小さい頃の写真。「ちょうど(娘と)同じ月齢くらいじゃないかな」と見せてくれた写真にうつる赤ちゃんは、今の娘とそっくりだった。私の赤ちゃんの頃の写真と、今の娘の写真を並べてみるも、驚くほどそっくり。なんだ、ちゃんと私の娘じゃん。ちゃんと私の血を受け継いでるんじゃん。安心した。
それを見た祖母が持ってきたのは私の母が赤ちゃんだった頃の写真。親子3世代、赤ちゃん時代の写真が並ぶ。笑っちゃうくらいみんな似てる。目が線になる笑顔とか、まんまるに膨らんだほっぺたとか、ふさふさの髪。
命のつながり、家族の絆。写真を通じてひしひしと感じた。いつか娘が大きくなったら娘にもみせてあげよう。なんか、いいな、写真って。家族って。
私が妊娠したとき、母は言った。
「こうしてまた命が繋がっていくんだね、孫かぁ、嬉しいね」
当時はなんだかリレーのアンカーみたいに重大な役割を託されたようなプレッシャーを感じてしまい、ちょっと嫌だった。もし無事に産めなかったら、命を繋げなかったら、私はダメなのだろうかと。ストレートに言われたことはないけれど母も孫の顔が見たいと思っていたのだろうか。誰かのために産むわけじゃないんだけどな。何か言われたわけでもないのにひとりで勝手にもやもやして。ずっと心に引っかかっていた。
でも、今なら少しわかる気がする。命のつながり。そんなにぴりぴり重いものではなくて、もっともっと柔らかくて繊細なあたたかいものだった。先ほどのように容姿が似ているとかそういう遺伝的なことだけではなく。
例えば、娘と教育番組を見て童謡を歌っているときや絵本を読み聞かせているとき、初めてできたことを褒めるとき、散歩しながら見える景色を語りかけるとき。頭の片隅でふと蘇るのだ。
同じ童謡を歌う母の優しい声。オーバーすぎるくらい抑揚のある読み聞かせ。たくさん頭をなでて抱きしめてくれた感覚。あの花の名前。そうしてそのふわっとした記憶がいまの自分と重なって。幼い自分が当時母にしてもらったように、私も娘に振る舞っている。無意識に、自然と。これが正解であるかのように。自分が母にされて嬉しかったこと、好きだったことを、自然と娘にもしている。何もかも初めての育児なのに、時折懐かしさを感じる。私の行動や話し方ひとつひとつに母の面影を感じる。なんだろう、この不思議な感覚は。デジャヴとも違う。
それから母や祖母が娘を抱っこしたり遊んでくれている姿や、娘を見つめる優しい眼差しを見るときも「私もこうして可愛がられて育ったんだろうな」と感じて嬉しくなる。赤ちゃんの頃の記憶はないから実際はわからないけれど、きっとこうして遊んでもらったり世話をしてもらっていたのだろう。そのあたたかい光景が、記憶が空白の期間を埋めていく。産まれて30年経った今、少しずつ。アルバムの写真と想像が合わさって思い出が立体的になる。
あぁこうして繋がっているんじゃないだろうか、命って。家族って。
いまの私も、いつか娘に繋がるのかもしれない。
そのつながりが どうか優しく
あたたかいものでありますように。
おまけ 〜 副乳って、知ってる? 〜
副乳。私は知らなかった。
副乳ができるひとは10〜20人にひとりらしい。意外と多い割合だ。でも、知らなかった。副乳なんて。
ホルモンの影響で乳腺が発達して、人間の進化の過程で退化したかつての乳房が出現するらしい。私は左右の脇の下付近にひとつずつできた。ぷくっと。ふくらみの先には直径5mmくらいのくぼみ?ニキビ跡?のようなものも出現。これは退化した乳首なのだろうか。ちなみに乳房が出現する脇から乳首を通り恥骨に至る部位をミルクラインというらしい。ミルクラインて。
まさか妊娠でおっぱいの数が増えて、さらにそこから乳が吹き出すなんて。聞いてない。誰も教えてくれなかった。おっぱいが張って大きくなるとか硬くなるとは聞いたことがあるけれど。「おっぱいが増えるひともいるよ♩乳汁がでるひともいるよ♩」なんてたまごくらぶに載ってなかった。
産後ぼろぼろの身体で授乳をするも、くわえられていない3ヶ所から(そもそもそのうち2ヶ所はくわえさせるところでもない)びゃーびゃー噴き出る乳。母乳パッドも無意味なほどにあっという間にびしょ濡れになるブラジャーと、多汗症を疑うほどの脇汗のようにくっきりのシミがつくシャツ。シミというか、もう絞れる。すでに滴ってる。汗じゃなく、乳が。(実際冷や汗が止まらないほどの痛みを伴う乳腺炎にもなったがそれもこんなの聞いてないランキング上位にランクインしている)
シャワーを浴びるため、脱衣所で服を脱ぐほんの10秒くらいの間にも4ヶ所からぼたぼたとこぼれ落ちて床に水溜りができる。止まらない。どこを押さえればいいのかもわからない。手で押さえようとあまりの量で漏れてくる。お風呂につかったら水圧で出ないかと思いきや、水面下で糸のようになってびゃーびゃー溢れているのが見える。いや糸なんてもんじゃない、毛糸レベルの太さで噴射している。
一体私は、何になってしまったのだろう。人間じゃなくなってしまったのか?これが母になるということ・・・?授乳ってもっと神聖な雰囲気だと思ってたんだけど。聖母マリアのような。穏やかで優しい眼差しで赤子を見つめる、みたいな。それなのに今の私はなんだ?妖怪か?産後のバグった脳がますます混乱する。
母や友達に相談しても経験者はゼロ。今となっては笑えてしまうけれど、当時は非常にストレスだった。ちなみにいまは無事に消失した(とにかく触らないことが大事だと助産師さんに言われて絶対触れないようにしていた)。人体って不思議ね。すごいね。
以上、こんなの聞いてない(副乳編)でした。
読んでくれた方がもしいたら。こんな話にお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
なんていうか、母乳だとかおっぱいだとか、べらべらと誰にでも話せる内容じゃないから話す機会もないし、さすがに動画とかも撮ってないんだけど・・・もう私の人生のなかでは衝撃的すぎて面白くて仕方なくて。身を持ってとんでもないネタを作ったというか。妊娠出産は神秘的なんてよくいうけれど。ある意味これも神秘的な貴重な体験だったなと思います。おつかれさまでした!!