貧すれば光あり。
お金による教養について。
お金で苦労して、ガスがとまったりしないと、ガスのありがたみはわからないし、お金で苦労していない人には、お金は身につかないだろうな。
最初からもっている人は、お金が身についてないまま、スカスカのありがたみで使えてる人。
お金のありがたみは、苦労してはじめて身につくものだ。お金の教養は苦労してわかりますね。
お金の教養って、貧乏して、家を追いだされたりしながら、ありがたみがわかることじゃないかな。
お金で
苦労していない人は浮き足だって
いたりしてね。
お金は数字が多くても、ありかたみがわからない状態で、使っている場合には、買い手側は教養がないんじゃない?
お金の数字が低くても、ありがたみがわかっていれば教養のある、使い方をしている。この差はありますね。^^
お金って、経済って、人間に教養を与えるために、きびしい試練の末に、きたえるためにあるのかしら。
質のある買い方って、お金で苦労した人の買い方ですね。
お金によって、社会的な教養のある人になることについて。
アダム・スミス的な国富があれば、
金持ち貧乏相対論
質のある
身についたお金の使い方が、一番いいなら。
質のあるお金の使い方で、
食べ物、飲み物が安く豊富なら、
豊かなのだ。
物は質で、ありがたみがあるかであり、お金の教養があり、安くても雑器でも、お金のありがたみ、想い、があれば質となりけり。だな。
お金持ちになると、ありがたみがなくなり、質が下がります。一般的にはね。
お金持ちになればいいというよりも、自分でいられる経済社会。
お金持ち貧乏相対論はある程度、国富を達成しないとおきません。
自分の能力でいい、といわれ、認められる社会、お金が少なくても豊かに、質のある生活がおくれれば、社会はすでに革命を達成しています。社会、経済的になね。
私はそういった意味で、資本主義が好きなのですが、おわかりでしょうか?
だから、資本主義が好きなんです。資本主義者なんですよ。笑。
アダム・スミスは言いました。国が豊かになれば貧しい人にも、パンがゆきわたる。結論です。
貧すれば光あり。