手描きの設計図
手描きの設計図
産業革命に匹敵するのが、
設計においては
コンピューターの出現だった。
ケアレスミスもなくなり、
100センチな100センチで、合わせるはずが、
100センチ、101センチで、
おじゃんになるような、ケアレスミスも
コンピューターによる設計で
なくなったであろう話を
元設計技師の方に聞いた。
コンピューターによって、
シミュレーション可能になったし、
ちゃんとまちがいないように、
設計図は作られることに
なった。
コンピューターによって、
何が利得になったのか、
それらは
検証されるべきだろう。
手によって描かれた
手描きの設計図。
人間のドラマ、
人間の営みゆえの
失敗、ドラマがあった。
手による仕事は
コンピューターが出来ても
なくならない。
お皿を洗ったり、
何かをつかむにしても、
使うにしても
手による仕事がある。
コンピューターを使う際も
手を使ったりする。
スマートフォンを使う際にも、
手仕事がある。
料理をするにも、
食べたり飲んだりにしても、
手の仕事はなくならない、
ということ。
手描きによる
設計という時代への
努力を無みしない、
歴史的な配慮、
おもいやり。大事なことだ。
それを生きた人と接すると
それがよくわかります。
産業革命以前の時代の
苦労や努力へのおもいやり。
世代、先代、祖先への
努力へのおもいやり。
歴史を知ることは
努力を無みしないで、
人をおもいやる気持ちに
なっていく。
人の営みに敬意を持ち、
努力を無みしないで
おもいやることが、
歴史を知ることなのだろう。
手描きの設計図には、
レオナルド・ダ・ヴィンチのような
価値がある。
美術的な価値がある。
手描きじゃないと、
わからないことがある。
描いた本人の科学的な精神の
実現。科学の精神の体感。
手描きの設計図には
美術的な価値がある。
手描きの設計図には、
夏には
冷房もなくて、
汗をかきかき設計した
身体性のある
体を動かして描いた
頑張った質感がある。
そのようにして、歴史は伝わる。
おもいやることが
歴史的な鑑賞、
人間のなせる業だ。
手描きの設計図は
かくして美術作品であり、
歴史を知るおもいやりによって
物を通して、人が顕彰され、
人が輝く場所となる。