新しい生態系について。


 新しい生態系について。

共同体のための
経済なのか、
個人のための、
経済なのか。
国家に統治されながら、
法があり、
個人の私有財産が認められ、
がんばり次第では、いい
所にいける。

最終的には、
個人のための経済が
確保されて、
それから、
共同性なり、
社会的なつながり

共同の経済が
税金と国家ではない、
より、自由なための経済が
たちあがっては消えるにしても。

クラファン、
キャンプファイヤー、

いろいろ、あって、いい。

エコ経済

生態系、小さな経済、
体、
仕組み、
新しい貨幣、
ポスト貨幣、

人間の活動が
環境持続のために、
いずれ、
制限的に
なったら、
計画経済における
自由みたいに、
制限された中で、
自由を持てるか、
とか、なのか。

ぜんぶ、自分で決められる、
芸術家、作家は自分で決める。

社会は
自分だけでは、
決められない。
なので、
ゆえに、
純粋な芸術家や作家は
社会に合わせようとして、
すなわち経済的に、
得ようとして、
自分だけではない、
折り合いをつける。

純粋に芸術家で
作家である人は、
社会に
あわせられず、
経済的に落失して、
いない
ことに
なったりしてきたのかな。

絵を描くことに、
命を与えられたものが、
破産しても、いのちのままに、
描き続け、
経済的に破綻した、と、いう
レッテルを貼られながら、
貨幣による
作られた現実、
劇場で、
あがきながら、
その経済的破綻の先でも、
本物であれば、
その英雄は救われる。
フランスとは、
そのように、
個人を救う富裕層が
まだ、いるのだろうか。

前世、過去世によって、
そのがんばりによって、
生まれがよくなるとしたら、
貨幣による現実、
貨幣による囲い込み、
貨幣による自由、
自分の増大と領域が、
あらかじめ、与えられるために、
貨幣は因果応報に適しているのか。

貨幣によって
作られた現実によって、
人が人を助けなくたっていいのは、
なんでだろうか?

経済的破綻は、全信用の喪失になるのは、貨幣本位の社会だからか。
過去世や、
前世は、貨幣的現実や
種としての優劣に
繁栄するのであろうか。

貧者は、
貨幣経済がつくりだした
現実だが、
こころあるひとが
すぐに手をのばしては
いけない冷たさは、
貨幣による現実のおとしどころ、
それを作ることで
何を、めざしているのか。

だめな奴には
貨幣がいかない。
だが、
本当に
困っている人がいたら、
無視でいいのか。
人間の経済、と、いうのは、
本当に起きているのか。

再分配、という概念は、
超えられないのか。
横のつながりとか。

倫理と経済と、

人間の快楽。

ポスト経済の、生態系はないのか?

描くのは、罪か?

ポスト経済を描くのは、
罪のように
よくないと刷り込まれているのは
なんなのだろうか。
よくわからないね。

ポスト経済の生態系は、
ゆるされないのか。
国家は何を維持しているのか。
一部の人達のいい生活か。

国家と革命。
新しい生態系について。

人間中心ではない、
ポスト経済としての生態系。
生態系はルソー経済とでも、言えるだろうか。
思想家のジャン=ジャック・ルソーの
名前がついた経済。例えばだけど、
ポスト現代経済としての
あたらしい、生態系、として。

それが結果的に、人間にも、
優しいことが
あったりすること。

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