メモ ルソー経済学と政治の詩の木
動物、猫のふるまいから、言語論を書いたりしたけど、テキスト的には、ルソーの言語起源論をもとに、また、260か、280枚くらい、草稿をためて、なんか、書いていきたいな。
とりあえず、経済論について、書いていきます。
準国家くらいでいいな。透明で確率存在的な。今のコンピュータのネットワークとか、そういったものを、論じられる人と組まないと、あれだな。無理だな。プルードンの次あたり。笑。ただ、ルソー経済学的には、プルードンで終われる。
プルードンの国家論を開くと、読んでいて、痛いが、ルソーがやはり国家の永遠性なんて、いって、革命を起こしたところで、やはり、またでてくる、を、痛烈に批判していた。ピエール=ジョセフによれば、それはまだ、なまぬるいからだ、と、痛烈であり、やはり、ルソー側からだと痛いが、現代的な課題として、どうしても、必要になってくるんだな。プルちゃんがね。
私は、このように解釈した。
ようく考えると、ルソー経済学のアジールの外は普通に、国家だし、外部はしっかり資本主義だったりするから、アジールにおいて、ルソー経済学-プルードンであり、まさに、プルードンの徹底だが、経済関係は土に帰り、ヒッピーの理想すら、(健全な。笑。)実現するわけだけど、それには、ルソーが言う、ルソー 社会契約論 岩波文庫 84ページ
がありつつ、なんだな。一部のエリアでしか、ルソー経済学は実現しない。フリースペース論、槇文彦ともリンクさせていて。
プルードン、プルードン的になるのは、ルソー経済学におけるアジール、アジール状態にのみ、機能するなら、プルードンは中に入り、ルソーで笑える。笑。
だんだん学術オペみたいになってきた。
まぁ、あたりしだいで、適当につなげて、みたいだけど、楽しいな。子供みたい。
部品をオペしてる感覚があるんだけど、まだ、やってるさいちゅうだからね。^^
まずは、草稿段階で、じょじょに、だな。いつになるやら、完成さん。
ルソーの社会契約論は国民主権を理解するには、最良の教科書だな。当たり前の権利、当たり前のインフラには時々礼すること。
自然状態は無政府で善だとしたら、現実的なルソーは社会契約と国家をやはり、民主的な政府を仲介役として、大事にした。これはルソー経済学がやはり、一部の地域の純然たる善であることの証なのだ。
ルソー経済学は完全にオリジナルだな。笑。ルソーが本当はめざした、私が私でいさせてもらう経済、社会って、これだから、小説みたいな、ものだな。ただ、ルソーが泣いて喜ぶ内容なのだが、ルソーは社会とのバランスのために、
自分がどうしょうもないために、
社会契約論を書いたりした、国家、と、
なったのかもしれないな。
ルソーはなんで、社会契約論を書いたのか、やはり、わからないな。
そういえば、未来館で、当時副館長だった、美馬のゆり先生がご自分の本、『未来の学びをデザインする』(山内祐平さんとの共著。)を手にして、言っていたのを思い出しますね。
「これは、理論だからねっ」かわいらしい笑顔で仰られていたが、なんか、そのきもち、わかりますね。ルソー経済学はそんな感じがします。笑。
個人的には、アダム・スミスは、国富論よりも、道徳感情論の方が、大事なのかも、知れないな。
道徳感情論は、ルソー経済学に、つなげないと、いけないな。
アダム・スミスの国富論が、うまそうに見える。笑。たべもの、みたいだな。笑。
パンみたいに、見えました。
ルソーの一般意志は、いろいろあてはめて、いいみたいだから、動物がまわりの他の動物の生命を守るように生きている法を、動物の生命倫理-一般意志 として、やはり、あてはめていいようだ。
社会契約論は、やはり、深いなぁ。
ルソーの社会契約論は、本当に深い。
今、ルソーの著作を、ルソー経済学に編みなおしています。
政治の詩の木 という名前は、今、べつの流れでつかえる。昔書いていたけど、今では、
ルソー経済学で、ある。
ルソー経済学と政治の詩の木。
セール、自然契約 56 57ページは重要。社会契約 自然法 人権宣言 ルソーが、もろな感じ。メモ。
ルソーで、うんうん、うなされていた、所を、セールの自然契約を読むと、3ページくらいで、まとめてある。自然契約は教科書であります。