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子育てにおいて、男側は弱音を吐けない構造になることが問題だと思う
こんにちは。
子育て世帯における夫側の問題点はいろいろ言われている。
夫が育児参加しない、夫が家事育児能力が低い、夫と妻で負担の割合が違いすぎる、夫は協力的だが割ける時間とエネルギーが足りない、等々。
まあどれも言われがちだが、実感としては夫側も育児に力を持って注ぐ人もかなり多く、こんなに言うほどないよなあ、というふうに感じる。
仲間内で話してても子どもかわいいかわいい言ってたり、風呂入れて着替えさせてはできるけど寝かしつけだけは難しいとか、朝飯は俺が作るだとかそんな話をよく聞く。
上記のような批判を受ける人も確かにいるとは思うが、自分の周りではむしろいまのところ少数派じゃなかろうかと感じるレベル。
子どもができる前は全然想像できなかったレベルで世の夫は育児してるなと思っている今日このごろ。
しかし世の中的には、夫たちは育児に非協力的で女性は非常に大きな育児負担に苦しんでいるのが多数派、みたいな意見が多いように感じる。
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なんでこんなにギャップを感じるのだろうか。
それを考えているときに出てきた思考がタイトルのこと。
子育てにおいて、男側は弱音を吐けない構造になる問題。
どういうことか。
子どもを妊娠してから生まれて授乳してうんぬんかんぬんと数年経つまで、どんなに頑張っても女性側の子育てに対する時間的な負担が大きくなる。
そこに男性側も負い目は感じているし、自分にできることはやろうと感じているし、最初は行動する。
ホルモンバランスの乱れで感情の動きが激しい妻に怒られたりもしながらなんとか頑張る。
そこそこ心労も溜まる。
しかし、どんなに夫側が苦しさを感じても、どう頑張っても妻側の時間的負担を超えられることはない。
おれも辛いぜってことを妻に話しても、私の方が〜って感じるだろうからと配慮し話さないし、話せない。優しい夫ほど。
誰か別の人に話そうにも男社会では、子育てやってて苦しいなんて言える空気感ではない。
軟弱なやつだ、丸くなったななんて言われるかもしれない。
仕事のできるエリート達ほど強くあろうとし弱音は吐かないし、吐けない。
せいぜい子育てで疲れた妻の機嫌が悪くてさー程度。
これも、妻側の子育てが大変というイメージの強化になる弱音かも笑
こういう構造で、夫側のストレスが表に出る機会は少ない。
妻に対する配慮があり、育児にも積極的で、妻にも子どもにも優しい夫で、万が一子育てに対する時間的負担が同じだったとしても、男社会というものに生きる以上、男は弱音を吐けないし、そういう弱みを人に見せるのは格好悪いと思っているので、夫側の辛さが表に出ることが少ない。
よって、子育ては妻側が苦しく大変だという意見が目につき易くなるのだと思う。
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当然、妻側の負担は大きいことがほとんどだし、生物学的にそうなっちゃうのでしょうがない。
ここで言いたかったのは、世間のイメージとして負担割合が、夫:妻 = 1:9くらい(下手すりゃ0.5:9.5)に思えているが、実際は3:7(〜4:6)くらいがいいとこなんじゃないかなという感覚。
そうなるのは男側の不満やストレスが表に出づらい構造だからであり、意外と世間のパパたちも子育て頑張ってるし楽しんでるように感じるということ。
まあ色々書いてきましたが、そういう構造であっても男たるもの愚痴や不満を口にせず強くありたいものですな。
おしまい。
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