一人ひとりの「関心力」が人類を救う。
私はずっと気候変動を中心にした
社会課題が解決されるにはどうしたらいいか、
ということを、恐らく20年くらい考えてきました。
初期のころはボンヤリと。
近年は、とても意識的に。
そのことを深く深く、ずっと考えていくと、
最終的には「人間の心のメカニズム」という事象にたどり着きます。
人の意識変容や行動変容は、どのようにして起こるのか、
ということですね。
私は長年、広告の仕事をしてきましたので、
そもそも意識変容や行動変容については日常的に考えてきました。
しかし、美味しい商品や便利な商品を売ろうとすることとちがって、
社会の課題について意識変容や行動変容を促すというのは、
本質的にちがうことである、ということがわかっています。
近年では、私は一人ひとりの関心力が、
そのまま「国力」と直結しているという事実に気が付き、
教育こそが国を成立させる最も重要な要素であるということに
力を入れてきました。
ボーッとしている1億2千万人と、
今、地球で何が起きているのだろう、と考え、
積極的に社会に参加しようとする1億2千万人がいたとしたら、
後者の方が圧倒的に優秀な国になります。
私が言っている「優秀さ」とは、他国に勝つとか、
ビジネス上の利益をあげるというような意味ではなく、
本当の意味で、人類がこの地球上で持続可能でいられるために
資することのできる人間の集団としての「優秀な国」ということです。
今日はその辺りのことを書いてみます。
※
まず、私が辿り着いたひとつの定理があります。
それは、人は自分が知りたいと思うことしか理解しない、ということです。
これには違和感のある人もいるでしょう。
例えばテレビのCMなどは、知りたいと思っていなかったことを
いつのまにか記憶させる手法に満ちています。
どうしてそのようなことができるのか、と言えば、
それは知性ではなく、反射神経に訴えているからであり、
あるいは同じ情報を繰り返し流し込むことによる一種の洗脳であって、
興味関心や、理解と呼ぶものとは程遠い現象です。
人は自分が知りたいと思うこと以外は理解しようとしません。
ですから、知りたいと思う範囲が広いことが、
その人の知的能力そのものであると言えます。
様々なことに「どうしてだろう?」とか「なぜだろう?」と
興味関心を抱くことができるかどうか。
この力は恐らく古代の人とか、今のように工業化、産業化が進む前の
自然と共生していた時代の人々の方が圧倒的に高かったでしょう。
今を生きる世代の多くは、スーパーに行けば牛肉も牛乳も
ビールも衣類も、なんでも買えますから、
それぞれがこの地球に対してどのような意味があるかなど、
考えることはしません。
しかし、そのような集団的無関心こそが、
人類自身の持続可能性を根本から破壊していくことは
目に見えているんですね。
※
例えば、平成以降の世の中では、
物事を「手短に」「わかりやすく」表現できることが
いいことであるような認識があると思います。
「難しいこと」や「込み入ったこと」を
簡単に表現できることがいいことであり、
そのように伝えられることが「できる人」「能力の高い人」と
定義されているように思われます。
しかしそれは圧倒的にちがうと思っています。
いや、むしろそのようなことは人々を
「みんなでおバカさんになる」という方向に導く害悪です。
物事は、簡単には言えないのです。
それを短く言うということは、やはり短いなりのことしか理解できない。
込み入ったことというのは、込み入っているから込み入っているのであって、
それを一言で表現すれば、やはり本質を捉えていないのです。
それは宿命です。
そして、「込み入ったこと」に向き合う胆力がなくなると、
人間社会は崩壊に向かって進んでしまいます。
なぜなら、真実はいつも込み入っているからです。
例えばテレビのCMはとても短いです。
その短い時間の間に印象に残すため、覚えてもらうために
みな大声でまくしたてていますね。
そういうことで記憶したことのほとんどというのは、
恐らく人類の持続可能性にとってはどうでもいいことで、
むしろ逆に大量生産・大量消費を助長しているだけなのです。
そちらの方がラクですから、人はラクな方に流れるのです。
CMは人をラクな方に流すための推進力には簡単になれるのですが、
特にここ日本においては、その流れに逆らうようなことは難しい。
そもそも、その手のメッセージは込み入っていますからね。
CMは短くて、誰にでも理解できるようなコミュニケーションに終始しますが、
逆に言えば、理解できない範囲のものはそもそも排除しますから、
本当に重要なことはCMでは伝えられないということでもあります。
※
では、込み入った話というのはどうやって存在しているのか。
例えばドキュメンタリーというものがあります。
日本でも優れたドキュメンタリー番組や映画は
たくさん存在しています。
興味さえあればBSなどで毎日のように
「込み入った話」は提供されています。
しかし、誰も観ませんね。
別に知りたくないからです。
ドキュメンタリーを観るような人間は、
すでに「知りたい」という回路ができあがっていますから、
込み入ったことは込み入った話でしか理解できないとわかっています。
だから「もっと短くしてくれ」とは言いません。
知りたい分野の話なら、どんなに長くても大丈夫でしょう。
この辺りに、「関心力」の本質があるように思っています。
つまり、ひとつのことに興味関心を持ってみると、
そこに想像もしなかったような「深さ」があることを知ります。
そうして、世の中にはそのようなことが
ゴロゴロと転がっていることに気づくのですね。
そうすると、世の中の見え方は今までとは変わります。
あっちにもそっちにも、人間ドラマはあるし、社会課題がある。
そこに向き合っている人の思いや、解決しない事情、
納得できない理不尽がある。
そういうことのひとつひとつを紐解かないまでも、
「存在する」ことは想像できるようになるからですね。
ある事象と接したとき、「何か理由があるのかも知れない」とか、
「それはなぜだろう?」というように思考を巡らせるわけですね。
メディアが言っているから、そうなのだ、などと
そのまま受け止めることは決してありません。
そういう視座を持つようになっていきます。
もっともっと奥行きがあるかも知れないと、
簡単に結論を出そうとすることを避けるようになります。
思慮深くなるということです。
※
さて、冒頭で「簡単に伝えること」はまちがっていると言いました。
では、どう伝えるのがいいのか。
それは「興味が湧くように伝える」ということなのです。
これこそが伝える側の能力であり、
また学校で人に教える人間に備わっていなければならない能力です。
相手に興味を持たせられるか。
もちろん「興味を持つ」という事象を
すべて外的要因に任せることはできませんが、
コミュニケーション能力として言うならば、
「いかに興味を持たせられるか」が勝負なのです。
それと同時に、受け止める側に「関心力」が備わっていたなら、
コミュニケーションがスムーズにいくだけでなく、
知的な生産性がグンと上がります。
私は仕事の能率という意味での生産性は不要だと思っていますが、
知的な生産性は「人生を豊かにするため」には
絶対的に必要なことだと思っています。
それは「わからなかった人間」「知らなかった人間」から
自ら変わる喜びであり、豊かさです。
人生の豊かさとは、生きている間に何度、
パーセプションチェンジを体験できるか、
だとさえ言えると思うのです。
そのために必要なのは、「込み入った話」に真正面から向き合う力であり、
それは「知りたい」という内発的な力によるのです。
知的探求のエンジンは、自分の中にあるのです。
外的にできることと言えば、そのセルを回すことだけです。
最初のひと回しですね。
しかし、関心力を身につけていれば、
他者からやってもらうことは最初のひと回しだけで十分なのです。
※
今、人類は歴史的な存亡の岐路に立っています。
気候危機ですね。
しかし気候危機という問題は自然問題や環境問題ではなく、
人間社会が引き起こした問題であるので、
非常に複雑多岐にわたっていて、
とても一言でシンプルに表現することはできません。
ですから、この問題を解決するには、
全人類が今より少し「関心力」を上げて、
物事を理解し、何が問題なのか、ということを共有した上で、
力を合わせていかなければいけません。
今までのように「なんとかなる」という課題ではないのです。
人類が関心力に覚醒できるかどうかが、
種の保存そのものに関わっていると本気で思っています。
オーバーに聞こえますか?
例えば、現代の科学技術を持ってすれば、
大きな隕石が地球に落ちてくることが確実視された場合、
事前に察知できるのかも知れません。
そういう映画も数多くあります。
そのような事態が本当に起きた時に、
人類は「お金がないから対処しない」とか、
そういうことがあるでしょうか?
もしかすると富裕層だけが助かろうとする、という事象はあるかも知れませんが、
基本的には「人類」という種を守ろうとするのではないでしょうか。
では、巨大隕石の落下と地球温暖化は、
どのようにちがうでしょうか?
それはインパクトの印象がちがうだけで、
人類に与える影響はどちらもそう変わらないと私は思っています。
いきなりバッサリ切り捨てられるか、
真綿で首を絞め続けられるか、というちがいがあるだけで。
そういう事態に陥っているのに、自分達の現実が理解できない。
そのために悪戯に時間だけが経過してしまう。
そうい状況になっています。
事象に対して興味・関心を持つという
人間としての基本性能を磨かなければ、
人類の未来は存在しないことになるでしょう。
込み入った話を聞きたいと思う関心力。
あなたは備えていますか?
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