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スポーツマンシップとはなんだろう?

脳についての考えを深めていくと、
人間というもののすべての現象は、
「脳」という器官によって思い込まされている
幻想に過ぎないという、究極の結論に至るように思います。

しかも、これは真実なのでしょう。

常識と言われているものは、
同じ「ような感じに」考えている人が多い幻想です。

そういうことを、人はもっと認識しておく必要があるでしょう。
なぜなら、今までの時代とちがって、
ネットによって他者の考えを勝手に決めつけるということが、
人間同士の関係を破壊しやすい環境ができているからです。

人間は他者を勝手に決めつける。
その性質から逃れられる人はいません。
しかし、その性質を自覚することによって、
少なくとも自分や他者の心を悪戯に傷つける頻度は減らせるでしょう。

私は学生時代、スポーツを真剣にやっていました。
だから、世の中からは「スポーツマン」という
レッテルを貼られる存在の一人だと思います。

体育会に属していましたから、「体育会系」という
ステレオタイプに落とし込まれることもよくあります。

人によっては「脳筋」などといって、
スポーツに打ち込んでいる人を馬鹿にする人もいます。
ちなみに「脳筋」とは、
脳が筋肉でできている、の略です。
スポーツバカとか、ろくに考えることができないという
侮蔑を込めた言い方です。

しかし、最近の脳科学でもわかっているように、
脳を鍛えるには運動をしなければいけないのです。
むしろスポーツマンは運動をなにもせず、
脳を恒常的に働かせていない人よりは
脳の性能が高い可能性があります。

脳は本当に筋肉のような性質を持っていて、
使えば使うほど鍛えられます。
スポーツというのは考えなければできません。
ですから、自然と脳を働かせる環境にあるといえます。

もちろん、何も考えずにスポーツをやっている人もいますので、
これはあくまで一般論です。

脳が筋肉であることは、
脳が贅肉であることの数万倍もいいことで、
スポーツマンを脳筋といって差別する人は
本当に反省すべきだと、私は思っています。

さて、今日の本題はスポーツマンシップです。
私はこの言葉が嫌いです。

なぜなら、この言葉はスポーツマンに、
平均的な人以上の責任と高潔さを求めるからです。

私にはその理由はわかりません。
人は社会のルールに基づいて生きていますから、
スポーツマンに限らず全ての人が
正々堂々としていなければいけません。

世に「スポーツマンシップ」と呼ばれているものは、
本来的には「ヒューマンシップ」なのであって、
この世に暮らす誰もが持つべきマインドセットだと
私は思っています。

そのような普遍的な人間性に対して
「スポーツマンシップ」と名付けることによって、
スポーツマンだけを特別視しています。

これは社会の規範を守ることを過剰に要求するものですが、
なぜスポーツをしない人がスポーツをする人に、
そのような価値観を押し付けるのでしょうか。

百歩譲って、スポーツマン同士での批判ならまだわかります。
しかし、「あなたはスポーツマンなんだから」といって
過剰な責任を負わせるのは、どこかおかしいように思います。

繰り返しますが、私はスポーツマンだって
普通の人並みに悪いことをしていいはずだ、
と言っているのではありません。

普通の人も、スポーツマンと同じように
ルールを遵守することを要求されて当たり前だと思うのです。

なぜスポーツマンではない人はいい加減でいい
ということになるのか。
そこが私にはわからない、ということです。

自分もスポーツマンと同じ土俵にいると思えば、
スポーツマンを「スポーツマンだから」という理由で
過剰に聖人視することはなくなるでしょう。

あくまでも「人として」という判断になるはずです。

なぜスポーツマンに責任を押し付けるのか。
それが非常に気持ち悪いと思っているということです。

スポーツはルールに基づいて、
正々堂々と戦わなければなりません。
当たり前のことです。

その大切さをスポーツを通じて学ぶことができますし、
そういう意味ではスポーツをやることは
社会を知る上でも非常に有利なはずです。

ルールを守ることは、
スポーツマンだけに課せられた義務ではないからです。

それをスポーツマンではない人が、
「スポーツマン精神にもとる」などと声高に叫ぶことに、
冒頭に書いた「脳」の悪しき暴走を感じています。

それは「自分ではない人間にレッテルを貼る」という機能です。

脳は、自分ではない他人のことを、
自分の狭い視野、狭い知識に照らして
「~~にちがいない」などと勝手にレッテルを貼ります。

そうして自分のことはまったく棚に上げて
他者を批判するんですね。

結局「スポーツマンシップ」も、
そのようなレッテルの一種に過ぎないのだと
私は感じています。

私は関係ないけど、お前はルールを守るべきだ。

そんな言説は普通に考えて滑稽です。
スポーツマンに、自分が期待した形のスポーツマンシップを押し付け、
批判する人が非常に多いのは、
日本人の病理のような気がしてなりません。

30年のデフレ、失われた時間の中で、
他者を叩きたい人で溢れるようになったこの社会で、
私たち日本人の脳は、鬱屈し、自分の不幸に他者を引き摺り込もうと
必死に足の引っ張り合いをしているように感じます。

早く気づいて、自分が何をしているのかを
しっかりと把握すべきです。

自分の脳をちゃんと乗りこなさなければ、
脳の機能によって残念な人生を送ることになります。
一人ひとりが、自分のヒューマンシップに基づいて生きれば、
社会は自動的に良くなっていくでしょう。

まずは、他者にレッテルを貼っていることを
自覚する訓練から始めましょう。

私も努力します。

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