自己実現のために信仰心を利用する自民党から、私たちは脱却できるか。
自民党と旧統一教会との関係が話題になっていますよね。
私が常々、とても気になっているのは、
今回また衆目に晒されることになった
自民党の「嘘つき体質」なのです。
なぜ気になるか、というと、この体質は、
日本が近代国家として成立した明治期からの指導者に
なぜか底通する日本の腐敗体質なのではないか?と
感じているからなんですね。
戦時中まで、日本の大本営が国民に嘘ばかりついていたことは、
誰も否定しないでしょう。歴史的事実です。
どうしてこんなことができるのか、といえば、
彼ら指導者の目的はあくまでも権力者としての自己実現であって、
国民はそのための道具に過ぎないという価値観があったからです。
そして戦後、そのような価値観は否定されたんですね。
国は国民のためにある、ということが決められた。
そしてそれまでの日本にあった、
国民の命を権力者の自己実現のために自由に使って良いのだ
という考え方はまちがいである、ということが確定されたのです。
※
1955年に自民党ができ、それからほぼずっと、
彼らは政権の座にありつづけた。
それが戦後日本の現代史の事実です。
では、それがどのような力学で実現していたのか、というと、
多くの人間をとりまとめる「組織」というものの
根っこを掴んでおくことで実現されてきた。
そのひとつが経団連であり、反共であり、
また神社本庁であったり、日本会議だったりするわけです。
なぜそうするのか、と言えば、
その傘の下に膨大な数の有権者がいて、その票を獲得するということ。
つまり政治家でいつづけるために、権力の座にありつづけるために、
ということがあるわけです。
自民党という政党は、この国をどうするか、ではなく、
自民党が政権にあることを自己目的化しているんですね。
1955年からずっとではないかも知れないけれど、
少なくとも平成以降はそうだろうし、
とくに2009年の下野以降はその傾向は強烈なものになりました。
自民党は政権にあることが存在目的なので、そのために何をすべきか、
というところに行動指針が設定される。
日本は選挙によって議員を選ぶシステムなので、
一人でも多くの人間に有無をいわせずに投票させるシステムとして、
組織と結託するという方法論が出てくるのは当然で、
そのものは立憲民主党と連合が繋がっているのも同じ構造ですね。
さて、問題は、それぞれの組織というのは、
それぞれに何かしらの考えを持っているわけですよね。
それをイデオロギーと呼んでおきましょうか。
一人でも多くの協力者を募りたいときに、
協力者がそれぞれにイデオロギーを持って対立していたのでは、
非常に厄介なことになります。
自民党にとっては協力してもらうことがいちばんの目的ですから。
事実、野党はそれが原因で苦しんでいます。
そういうときに、二枚舌、三枚舌を使って、
それぞれの組織にいい顔をする、ということを
少なくとも自民党は平気でやっている、ということが、
今回の旧統一教会の出来事で判明したはずなのです。
よね?
そこで私はちょっと問いたいのです。
例えば神道系の方々は、このように統一教会という宗教と
自民党が密接に関連していることを、別になんとも思わないのでしょうか?
萩生田光一は、自身が落選中、統一教会の施設に足繁く通い、
教会の用語を用い、礼拝に参加していました。
信者の人々は、萩生田も信徒であると思っていたそうです。
そしてその場で
「この選挙は皆さんの信仰にかかっています。
当選は神様の計画で、死ぬ気で取り組んでほしい。
一緒にお父様(文鮮明)の願いを果たしましょう」
と、信徒たちに選挙協力を要請していたそうです。
選挙の協力を支持者・有権者に要望するのは、当たり前のことです。
しかし問題は、その正当性を「当選は神様の計画」と言っていること。
つまり宗教性を利用して人を動かそうとしているわけですね。
しかも、その神様は文鮮明であり韓鶴子であるわけです。
お父様と言ってみたり、
また別のものは韓鶴子をマザームーンと呼んでみたり、
それは「私もあなたと同じ信者である」と思わせようとする言葉です。
他の団体で言えば「私もあなたと同じイデオロギーです」なのだろうが、
相手が宗教となると、「私も信徒です」となる。
これが公明党で、対象が創価学会なら、まだいいのかも知れません。
首尾一貫しているし、筋は通っていますからね。
でも、自民党を支持する多くの保守系の方々は、
神道の信仰を大切にし、天皇を崇拝しているわけですよね?
日の丸を掲げ、君が代を誇りにしているのですよね?
そういう立場からしたときに、この萩生田の言動は、許せるのでしょうか。
それとも、例えば経団連は産業界全体の経営層の代表であり、
その中には同業他社の人はたくさんいるわけで、
トヨタとニッサンの差や、サントリーとキリンビールの差は関係ない、
という立場と同じように、
宗教団体の代表として、神道と統一教会の差はなく、
どちらも宗教団体だから、それでいい、と思えるのでしょうか。
信仰心って、そういう感じですか?
そこが謎なんです。
※
日本の歴史を紐解けば、
そのときどきの為政者と天皇の関係というのは、いびつです。
天皇が天皇と呼ばれない時代もあったし、
天皇や皇族が粗食に耐えていた時代だってあった。
もちろん、天皇そのものが
権力者として実権を握った時期も少しはありますが、
だいたいにおいては、天皇というポジションは
別の権力者に、その権威を利用される
という役割を演じてきたと考えてまちがいない。
そう思うんですね。
それをいちばん大っぴらにやったのが明治維新であり、
維新後の日本政府だったわけです。
その末路としての皇軍の戦争ですね。
つまり天皇の宗教性や、国民の信仰心を利用して、
天皇ではない別の者が、具体的には明治維新で言えば薩長が、
人民の統治と国家運営の道具にしたということです。
その思考回路は今も機能しています。
このコロナの対応を見れば、政府の連中が、
国民の命を本気で救おうとしていないことは明らかですよね。
まだ見えませんか? 国民なんて投票の時以外はどうでもいいのです。
投票のときにプラスにするために天皇への信仰も利用しているだけ。
例えば、平成の天皇は平和主義者でしたが、
右派や保守という方々はそんな平成の天皇を尊敬していたのでしょうか?
天皇という言葉と、本当の天皇の意志がねじれ構造になっていますよね?
こういうところから、理解してほしいのです。
例えば、なぜ自民党の議員連中は、靖国参拝をするのか。
パフォーマンスですよね。
保守系や、右派と呼ばれる人々からの票を得るための。
靖国参拝さえすれば満足して投票してくれる人がいるのですから、
そんなこと屁でもないわけですよね。簡単なことです。
逆に言えば、保守の人々は自民党にバカにされているんですよ。
わかりますか?
保守の人々の満足のために靖国参拝することと、
旧統一教会の力を利用するのも、同じ構造です。
ただ、宗教同士があからさまにぶつかるのは都合が悪いと思ったのか、
今までは統一教会に関しては、それほど大っぴらにはせず、
でも、粛々と関係をつくって、利用していたわけですよね。
もちろん勝共連合のように「反共産主義」というイデオロギーも
大いに利用したわけです。でも、わかりますよね。
彼らは権力の座にありつづけることを自己目的化していますから、
すべては自己実現のための道具に過ぎないことなのです。
靖国参拝も、万世一系という言葉も、彼らの本意かどうかはわからない。
だって、同じように統一教会でも言っているんですから。
礼拝に参加し、お父様の願いを叶えようなどと。
もちろん自民党の中にも本気で日本の国家像を戦前に戻したい人もいます。
ある意味、それは硬派な態度と言えるかもしれないですが、
多くはそんなことより、自分の立場が重要なのです。
それをどう受け止めるのでしょうか。
※
私は基本的に自民党の人々というのは、
国民に嘘はついていいものだと判断していると思っています。
西田昌司さんのように、宗教がかったように
「日本の本来の姿」を声高に言える人は本気なので別でしょうが、
多くの人は嘘つきであり、エセ愛国者なのでしょう。
それでも、以前はもう少しデリカシーがあったと思いますが、
ここ最近に至っては、「嘘をついて何が悪いのか」という
開き直りに近い態度になっていますよね。
私はこれを、旧体制の限界と感じています。
小さな嘘をついても、世の中がそれで潤滑にまわるなら
ある程度許容されたかも知れません。
しかし、その小さな嘘が積もり積もって、もうこれ以上は隠しきれない。
もうこれ以上は構造を支えきれないというところまで来ている。
それが近年の自民党だと思うのです。
2009年の自民党の下野というのは、私たちが思っている以上に、
当の自民党の人間たちにはショックだったようで、
二度と下野だけはしてはいけない、ということが彼らの性根に刻まれた。
政権を失わないためなら、どんなことでもするのだ、と。
そうしてなしえた安倍晋三時代の6度の国政選挙の連勝だった。
そのカラクリが、図らずも山上徹という人物の私怨によって明らかにされ、
パンドラの箱の蓋がいま、突然に弾け飛んだのです。
今や自民党の、とくに安倍派の人間たちにとって
統一教会との関係を突如として無にするのは困難なほど、
その繋がりは強くなっていたわけですよね。
安倍晋三はこの矛盾をどのように
自分の生涯の間に始末するつもりだったのか、わかりませんが、
恐らく原発政策などと同様で、今のことだけを考え、
解決策など後のものがやることだ、というスタンスだったのでしょう。
自分の死んだあとのことは知らんと。
しかし、そのときが突然やってきたことで、
ダムが決壊したというのが、今なのだと感じています。
でも、決して偶然ではないでしょう。
歴史というのは、どこか繋がっていて、何かのきっかけで
大きく変化するものなのです。
※
私がこの国の多くの主権者に気づいて欲しいと思うことは、
自民党は嘘をつく集団であるということです。
彼らは右派でもないし、保守でもない。
ただ、自民党なのです。
日本という島国の権力の座にすわることだけが目的の集団であり、
そのためなら辻褄の合わない嘘など平気でつくのです。
それでも構わないのだ、という判断もあるでしょう。
そうだったとしても、彼らは嘘つきなのだ、という事実だけは把握して
その上で付き合い方を考えるべきだと思うんですね。
私は、前の戦争も同じですが、
最終的に「誤魔化し」は効かないと思っています。
短い期間では人を騙しつづけられるでしょうが、
最終的にその方法には持続可能性がない。
例えば平成に入ってからの自民党は、
昭和にため込んだすべての資産を食いつぶすだけ、という戦略をとった。
その結果、今の日本は、我々国民が本気でこの負を引き受けて
国づくりをやり直さないといけない、というところまで来ています。
すべては自民党の責任ですが、もちろん選挙システムがある以上、
本当の責任は私たち主権者にあります。
そろそろ目を覚ましましょう。
勇気をもって自民党の本当の姿に目を向けるのです。
それは保守の人も、リベラルの人も、
右派の人も、左派の人も、あるいは無党派層、無関心層の人々も、
この日本に暮らすすべての人に必要なことです。
自民党は今の日本の構造の隅々まで浸透していますから、
それを抜きにして作り直すというのは、本当に大変なことです。
でも、我々日本人は、いつかそのことに向き合わなければいけません。
そうしないと、本当にこの国は崩壊してしまうからです。
敢えて言えば、保守の人ほど気づいて欲しい。
自民党は保守ではないし、愛国者でもない、ということを。
あなたの愛国精神を利用しているだけなのだ、ということを。
そして、これからは右とか左とかではない、
人類の本当の共生を目指さなければ人類に未来はなく、
古い枠組みはすでに無用の時代になったのだということを
我々みんなが受け入れることが重要だと思っています。