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出過ぎた意見を、勇気を出して敢えて言おうと思う。

日大アメフト部の件です。
もうしばらくフォローをつづけます。

昨晩、日本大学側から学生や父兄に対して
説明会があったようです。
報道を文字だけで追うと実際の雰囲気や意味がわからないので、
あくまでも感じる範囲でのことを整理してみます。

昨日の投稿でも書いたように、
「廃部」が何を意味するのかということが重要です。
廃部することによって、普通であれば連盟からはいちど抹消されますから、
再加盟すると、最低でも1年の準加盟期間があり、
そのあと本加盟となるはずです。

そのとき、どのリーグから加盟できるのかによって、
1部TOP8までの道のりは変わってきます。

また、廃部のあと、「新しく」つくられたアメフト部が
大学の中のどこの管轄になるのかも重要です。
競技スポーツ部(体育会)なら今までと同じですが、
学生部の所属になると推薦入学などはなくなってしまいます。

昨日の報道では、「新しい部」は
今まで通りの競技スポーツ部の管轄になるとのことです。
こうなると、ちょっとわからなくなるのが
「廃部」をどうとらえるかです。
もっと言うと、連盟が日大をどのように扱うかです。

たとえ競技スポーツ部の管轄になったとしても、
廃部になれば連盟からは抹消されるでしょうから、
先ほど書いた通りのロードマップが必要になります。

あくまでも「廃部」という形をとるのか。
だとすると、それはどういう意味なのか。

まだ不明な部分が多いですね。

昔(といっても、ものすごく昔でもありませんが)、
アメリカのプロフットボール・NFLで、こんなことがありました。
歴史と伝統のあるクリーブランド・ブラウンズというチームのことです。

NFLのチャンピオンを決める試合が
「スーパーボウル」であることは有名ですが、
それが始まったのは1967年です。

今でこそ第1回スーパーボウルと言われている最初の試合は、
まだ「スーパーボウル」とは名付けられていませんでした。

NFLはこれまでの歴史の中で、
なんども「対抗リーグ」の挑戦を受けてきました。
中でも1960年に発足したAFLとの争いは熾烈でした。
まったく別のリーグだったNFLとAFLは人気を二分し、
いったいどちらが強いのか?ということが国民の関心でした。

そこでついに1967年に、
両リーグのチャンピオンが試合をすることになったのです。
ですから最初の試合はNFL-AFL チャンピオンシップという名前でした。
ちなみに第1回はグリーンベイ・パッカーズと
カンザスシティ・チーフスの試合で、パッカーズが勝ちました。

この試合がスーパーボウルという名前になったのは第3回大会からです。
その後、1970年に両リーグが合併し、NFCとAFCになりました。
ですから、発足年が1960年のチームはだいたいAFLからのチームです。

こうして巨大なリーグがふたつ合体して
NFLは今に至るわけなので、
第1回、2回を含むスーパーボウルより以前の歴史は
なんだか闇の中のようなイメージですが、
当然、スーパーボウルができる前から
NFLのチャンピオンシップはありました。

クリーブランド・ブラウンズは、そんなプレ・スーパーボウル時代に
何度もチャンピオンになった名門チームなのです。
俳優にもなった名ランニングバック、
ジム・ブラウンは、ブラウンズのエースランナーでした。
(彼の名前とチーム名が同じなのは偶然です)

しかし、スーパーボウルができて以降は優勝経験がなく、
いまだにスーパーボウルに出場したことのない
数少ないチームのひとつとなっています。

こんな歴史のあるチームなので、
ブラウンズはとても人気があります。
とくに地元での人気が高く、熱心なファンがたくさんいました。

ところが、1996年に当時のオーナーが
本拠地の移転を決めてしまったのです。

これが地元ファンたちの猛烈な反対にあい、
紆余曲折の結果、チームは、
名前、カラー、歴史(!)を地元に置いていくという
かなり変わったかたちで、本拠地をボルチモアに移転。
「新チーム」ボルチモア・レイブンズになったのです。
ですからボルチモア・レイブンズがもともとの
クリーブランド・ブラウンズなのです。

ちなみにレイブンズは2001年と2013年に
スーパーボウルに出場しています。

で、クリーブランドです。
こちらは騒ぎを収拾するために、1999年のリーグの拡張にともない
「復活」させるということになりました。

おわかりでしょうか?
実際のチームはレイブンズが元々のブラウンズで、
復活したブラウンズが「新チーム」なのですが、
建前上、ブラウンズは歴史ごとあとを引き継いだのです。

なぜこの話を引っ張り出してきたのかということですが、
それは今回の「廃部」が何を意味しているのか、
ということと関係がある気がするからです。

プロチームに「OB会」というものが存在するのか知りませんが、
もしブラウンズのOB会というものがあったとしたら、
どうなるのだろうと思ったわけです。

ブラウンズは一回廃部になった。
そして、新しいレイブンズというチームになった。
そう考えてみましょう。

レイブンズになったメンバーたちは、
それまでブラウンズでしたから、
当然ブラウンズのOB会にも入るのでしょうが、
全員が一回退部して、新しい別のチームに入ったということです。

では、「新チーム」レイブンズのOB会はどうなるのでしょうか。
このOB会は、既存のブラウンズのOB会とは無関係なはずです。
彼らが一期生なわけですからね。

「新しいチーム」ということは、
そういうことになると思うんですね。

部が始まるときは「創部」と言いますよね。
廃部が、部をいちど完全に消滅させるということなら、
新しい部は「創部」になるということでしょうか。

そうなるとフェニックスの歴史がそこでいちど終わっているわけで、
また新しい別の部が創部した、ということになるのかも知れません。

これはあくまでも思考実験ですが、
仮に、日大アメフト部は廃部にして、
同じ人材で新しく「サッカー部」をつくることにしたとしましょう。

そうすると、それまでのアメフト部の歴史や
OB会からは無関係のような気がします。
日大フェニックスの歴史はいちど終わったわけですから、
新しいOBというものはもう二度と生まれないということです。

アメフト部とサッカー部は別の部ですから、
OB会がかぶるということもありません。

そのように思考実験してみると、
新しい部というのは、偶然にも種目が同じアメフトであるけれども、
今までのチームや歴史とは一線を画した存在なのだ、
という取り決めになる可能性があります。

前身や母体を持たない、新生チームということです。
(そうなるべきだ、という意味ではありませんが)

こうなると当然、指導陣は総入れ替えになりますし、
そうでないとすれば、新しい執行部のメンバーが
(これが誰なのか不明ですが)
既存の指導陣を雇い直すということかと思います。

何が言いたいのかというと、
タックル事件以降の日大フェニックスを見つめていたときに
私が本質的な問題だと思っていたことは
大人と学生の関係性が壊れているということであって、
そこを修復しない限り、新しいチームになっても
それほど明るい未来は開けないだろうと思っているということです。

これはもちろん僭越な意見であって、
他人である私にはまったく関係のないことなのですが、
それでも現代の教育環境が日本の未来を破壊するのではないか、
という私の懸念があって、
近年のフェニックスはその縮図のように見えていましたから、

この機会にその部分をちゃんと見直すべきだと思っているわけです。

選手もコーチも、結局、今までと同じ顔ぶれ、という環境で、
果たして本当に心を入れ替えてフットボールができるのでしょうか。
(顔ぶれが変わったらいいのか、という問題も当然あり)

大麻の騒ぎとは無関係だった、という学生がいるのはわかっています。
彼らが心を入れ替える必要などない、という意見もあるかも知れません。

しかし、ここ数年のフェニックスの試合をほぼ欠かさず観にいく中で
今回の件の発生以前にフェニックスには課題があったと
私は感じていたのです。
それが「モラル」の問題です。
「マインドセット」の問題だとも言えます。

大麻と無関係な学生たちも必ずしも純情無垢なわけではなくて、
さまざまな問題は抱えていると思っています。
フットボールを本気でやるのであれば、
監督、コーチといった指導者との関係性を
「ちゃんと指導できる」というものに変えていく意識が必要だと思います。
これは学生だけでなくOBや父兄の意識改革も含まれます。

私は内部を知りませんから、あくまでもサイドラインの様子や、
試合に行くときに電車の中で見た学生たちの態度、
そういうところから私の勘で感じるものでしかないのですが、
時代が厳しい指導を拒む以上、
自分で自分を律するということを本当に実践する環境を
まやかしでなしに作る必要があると感じています。

それを互いに要求し合えるチームでない限り、
「目標日本一」は嘘だと思います。
本当に目標日本一を語れるチームになって欲しいのです。

そういうチームは大麻事件などそもそも起こさないでしょう。

イチローが高校球児たちに語った動画があります。
是非、見て欲しいですが、その中の言葉を紹介します。

「指導者がね、監督、コーチ、
 どこいってもこれ、そうなんだけど、
 厳しくできないって。厳しくできないんですよ。
 それは時代がそうなっちゃってるから。

 やっぱり、導いてくれる人がいないと、ラクな方に行くでしょ。
 自分に甘えが出て、結局、苦労するのは自分ていう。
 で、厳しくできる人間と、自分に甘い人間、どんどん差が出てくるよ。
 だからできるだけ自分を律して、厳しくする」

これ、フットボールだけの話じゃないです。
今の日本はなぜだか、大人が子どもに指導ができなくなったのです。
でも、自分の力だけで大人になることができる子どもはいません。
ちゃんとした人間になるには、ちゃんとした大人の助けが必要です。

今の日本社会は、大人の指導をすべて放棄しています。
そして子どもたちは、本質的なことを何も教えられないまま、
何も身につけないまま、社会の荒波に放り出されます。

社会は以前よりもっともっと若者に冷たいです。
その冷たさも、若者に物を言えないという悪循環が生み出したものです。
しかし、その煽りを受けるのは、すべて若者自身なのです。
こんな無責任な社会が、この国には広がっています。
そこで生きていく力を本気でつけさせていくこと。
フットボールチームは、
そういう「人間づくりの場」であるということを、
公言する必要があるように思うんですね。

だから教育機関の課外活動としての意義があるのです。

さまざまなご意見はあるでしょうが、
フットボールを通じて何を学ばなければいけないのかといえば、
結局は「生きていく力」です。

それを「人間力」ということもあると思います。
ラクな方法で日本一にはなれません。
本気で日本一を目指すなら、大麻を吸っている場合ではない。
タバコでさえ吸っている場合じゃない。

そんなこと、当たり前なのです。
そんなことは誰だってわかるはずです。
でも、若者は長期的な視点を持つことが苦手な生き物ですから、
目の前にあることに流されやすいのです。
厳しい練習は嫌だし、ついラクしたいのです。

そういう気持ちに流されて、結局最後に泣くのは自分です。
だからこそ、常に高い視座から、毎日毎日、
言ってくれる人が必要なのです。

自分の主体性に火がつくまで、
ちゃんと人間として向き合ってくれる大人が必要なのです。

最近、はやりの「エンジョイ」も、
結局は主体性の問題なのです。
主体性があれば、人は便所掃除だってエンジョイできる生き物です。

しかし、そういう人間とガチで向き合う取り組みは、
今の時代は誤解されます。
まだまだ幼稚な学生から見たら、その効用が見えないし、
愛情=甘やかすことだと思っているから、
本当の愛情がなんなのかを理解できないこともたくさんあります。
コーチが気に食わないとか、コーチに嫌われているとか、
それを親に言いつけるとか、それで親がクレームつけるとか、
そんな幼稚なことをしていたら、人間づくりができません。

そういうそこらじゅうのスポーツチームで起きていることと
一線を画さなければなりません。

そうして、そういうことが当たり前に理解できるチームに
このチャンスに作り替えることができるか。
そのために何ができるのか、ということを
この機会にしっかり考えた方がいい。

私はそう思っているわけです。
本当に誇り高いゲームができるチームとして、
甲子園に戻ってきて欲しい。
「こんなチームに負けたくない」と思われるのではなく、
相手として本当にリスペクトできるチームになって欲しい。
そういう思いです。

これはOBの皆さんには耐え難いことかも知れないですが、
これからつくられるという「新しいチーム」は、
もしかすると、名前がフェニックスではないのかも知れない。
そういう可能性だってあると思います。

そうした方がいいという可能性もあります。

敢えてフェニックスとは名乗らないという方法です。
「しばらくは」かも知れませんが。

ワシントン・レッドスキンズがしばらくの間、
ワシントン・フットボールチームと名乗っていたように、
「日本大学アメリカンフットボールチーム」で
いくのもいいかも知れない。

それなら関わるすべての人が、
今、自分たちのテーマがなんなのかを
いつも忘れずにいられますから。

何か、具体的な目標を定めて、
それを達成するまではフェニックスとは名乗らない。
自分達が掲げた約束を本当に守れるのか。
そのことを確認できるまで、
ユニフォームも赤をやめて真っ白にするとか。

その達成目標はもちろんTOP8昇格でもいいのですが、
学生たちの授業の出席率とか、成績とか、日常生活の態度、
そういうものまでを加味して、
「人間として信頼がおける」という部分を世の中に指し示すことが
有効だと思うのです。

それは、学生たちの人生トータルで考えれば、
とてもプラスなことだと思います。

スポーツとしてのフットボールしか知らない人間は、
社会では役に立ちませんからね。

伝わっているかどうかわかりませんが、
私は、この件を通じて、
学生たちに立派になってもらいたい一心なのです。

今までより、もっといいチームになって欲しいのです。
フットボールチームという「場」がある幸せと感謝を忘れず、
その活動を通じて、人として成長するということです。
物事に関心を持ち、深く考え、
世の中を良くすることに貢献できる人間として、
社会に出ていって欲しいのです。

人として成長しないなら、
甲子園ボウルを目指すことなど、まったく無意味ですから。
たとえ日本一になったとしても、無意味です。

それが私の本旨です。

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