学校教育の順序は、宇宙や時間や生命の概念から。

国家がなすべきことの中で、最も重要なことは、
「教育」だと私は思っています。

そしてそこでは、「国家が誤ったなら、質すことができる国民」を
育てるための教育が重要だと思っています。

なぜなら、そのような教育を自ら施す国家こそ、
民主主義国家の主権者から信頼される国家になれると思うからです。

それともうひとつは、
国民一人ひとりの力こそが国力そのものなのであって、
その国力をひとつひとつ分解していくと、最終的はそれは、
一人ひとりの「興味・関心を持つ力」にいきつくと思うからです。

その力を、私は「関心力」と呼んでいますが、
物事に関心を持つちからというのは、社会を発展させる原動力になります。
関心力の強さは、一人ひとりの「目の輝き」となって現れます。

そしてそれは、自分の人生を主体的に生きる力、
自己決定権を持つ自覚につながります。

人間の主観的幸福は、自己決定権によってつくりだされるそうです。
つまり、自分の人生をちゃんと自分ごと化しているということです。
そういう集団が暮らす国は、どんな方面にであれ、強いのです。

それは他国との競争に強いのではなく、共創や共生に強いのです。

一人ひとりが強い「関心力」を持った国民によって
構成される国になるために、教育はもっとも重要な礎になります。
しかしそのときに大切なのは、
今の教育で取り上げられている内容では必ずしもないし、
また、順番もまちがっていると、私は思っています。

そして、子どもたちが物事に興味関心を持つ教え方も重要です。
「それはなぜなんだろう?」とか
「もっと知りたい」と思う種を植え付ける。
それが義務教育の役割ではないでしょうか。

高い関心力を持った人間は、放っておいても自分で学びます。
だって世の中は知りたいことだらけなんですからね。
そんな人生を送る人の人生は、自分のこと以外には関心が低い人より
ずっと豊かで質の高い人生になると思います。

人が生きるテーマのひとつは、生まれてから死ぬまでに、
どれほど自分の脳の質を高められるか、だと思うからです。
それは頭の回転の速さという意味ではなく(それもあっていいですが)、
心の豊かさとは何かを解釈する能力・性能のことです。

その能力を高める教育の順番とは、物事の大きい順に、
ちゃんと教えていき、ひとつひとつを積み上げていくことだと思います。
例えば、我々の経済は社会を土台としており、
人間社会は自然環境を土台としており、自然環境は地球を土台としており、
地球は宇宙を土台としている。

その大きな流れを、ちゃんと自分のものにできていないと、
本当に大切なことがなんなのかをわからない
単なるイキモノとしての「人間」ができてしまいます。

例えば、クジラは世界の大海原を泳いでいきます。
人間とは比べ物にならない広範囲が、彼らの生活圏でしょう。
しかし、クジラは自分が泳いでいるのが海であることも、
海ではない陸地があることも知りません。

自分の住む場所が地球という天体であり、
それは宇宙の中に浮かぶ星のひとつであることは知らない。
知る由もない。

そういう「当たり前」のことを知っているのは、
実はこの全宇宙に人類だけなのですね。
そういうところから教えていくべきだと思います。

そして宇宙がどのように始まったのか。
宇宙はエントロピー増大則に従って、秩序がある状態から
無秩序の方向に向かってしか進まないこと。
地球は有限であって、壊したものは元に戻せないこと。
時間は絶対的なものではなく、
一人ひとりの中にある相対的なものであること。
我々は分子の集まりであって、その分子が循環しているのが
この地球上の出来事であること。

そういう壮大なこと、まるで空想の世界のようなこと、
しかし紛れもない現実であり、科学的な事実であることを、
わかりやすく伝えていくことではないでしょうか。

難しい内容でも、イメージできる話にブレイクダウンすれば、
子どもたちは理解できますし、返って、
「なぜそうなのか」という入り口を知ることで、
世の中への関心を持つ力が湧いてきます。

内側からフツフツと湧いてくることが重要なのです。

先ほど書いたようなことは、まるで荒唐無稽な空想のようですが、
科学的な事実ですね。(もちろん「学説」ではあるのですが)

翻って考えてみると、私たちの人間社会の中の身近にあるもの、
例えば「お金」とか「経済」の方が、
実は人間が脳で作り出した「空想」なんですよね。

この宇宙の中に貨幣現象は存在しません。
お金は自然物ではありませんから、
お金が原因となって引き起こされる諸問題は、
どれひとつとっても自然現象ではありません。

このように、夢のような出来事の方が実は現実で、
現実であるように見えることの方が空想なのだ、という事実は、
物事を見るときの視座を高めてくれるはずです。

なぜ赤信号で止まらなければならないのか。
なぜ「止まるものだ」と思っているのか。

それは人間が作り出したルールであって、
同じルールをみんなが認識して、
従っている、という現象なのだということです。

ということは、「明日から赤信号は紫色にします」と決めて、
みんながそれに納得するなら、
「赤=止まれ」というルールは変わるのですよね。

一夜にして。

これは「ルールを軽視していい」という意味ではなく、
ルールはどうのようにできていて、どのように成立しているのか、
というメカニズムを知ることに役立つはずです。

実際には赤信号を紫にするということは
世界の基準として「赤=止まれ」が多いこともあって
簡単にはできませんが、
(必然性もそれほどないでしょうしね)

例えば、社会のルールを決めている政治の世界などは、
自分たちの力で変えることができるし、そのシステムが選挙なのだと
幼い頃から知っていれば、投票率は自然と上がるはずです。

「君たちの力で社会は変えられるんだよ」
「そのための仕組みが選挙だよ」と
教えられれば、変えてみたいという関心を持つのが当たり前だからです。

日本はG7の中で、働き盛りの人の自殺率が最も高い国です。
その理由は、未来に希望を持てない国であることで
ほぼまちがいないでしょう。

そのような現実に晒されながら、つまり、国民が未来に絶望して
自ら死んでいくという事実がありながら、
この国の政治家たちはそのことに手を打つ様子はまったくありません。

手を打つとは何かというと、
日本を「未来の希望がある国にする」ということです。

それを実現するには、まず「未来の希望とは何か?」というところを
徹底的に問い詰める作業が必要です。

今の常識ではすぐに「経済成長」という話になりますね。
お金の話です。

なんでもお金で片付けようとするのです。

しかし、実際にはお金や経済というものは、人が作り出した空想ですから、
そんなもので未来の幸せが決まるという尺度そのものが、
実は自然の力学に反しているのだと私は思っています。

お金は人間社会を円滑にするための単なる道具に過ぎませんから、
人間が道具に使われ、道具によって命を奪われるというのは
まったくもって本末転倒ですね。

そういう「当たり前」のことを、ちゃんと「当たり前」に考えるには、
今の常識を根っこから変えていく必要があります。
それを担うのが教育なんですね。

今、世界の多くの国で採用されている資本主義という経済システムには
持続可能性がありません。
その致命的な欠陥が、地球環境を破壊し、
人々を自死させているのです。

私たちはそう遠くない未来までに、資本主義をやめるか、
あるいはちゃんと人間のコントロール下における新しい方法を編み出し、
地球環境と共生する社会を実現しなければなりませんが、

そのためには、考え方・価値観の大転換が必要です。
それを実現するためにも、教育は最も重要です。

そのことをいちばんわかっている一人が、
日本の副総裁である麻生太郎氏でしょう。
彼は先日、「日本の義務教育は小学生まででじゅうぶん」と発言しました。
大人になってから因数分解などやらないと。

こういう人間が増えたせいで、ご覧の通り、日本の国力は落ちています。
数学的な因数分解は使わなくても、
私たちは日常の中で、様々なことを因数分解しています。

人間関係や言葉の因数分解は、誰にでも必要ですし、
それはそのまま「思考力」そのものだったりするわけで、
それが欠如している人間の集団は、
支配者にとって都合の良い存在ではあっても、
人類を持続可能にしていくためには弊害になることでしょう。

日本は教育を根本から建て直し、
自分で考える力とともに、宇宙論や時間の概念などを子どもの頃から知り、
「自分はどう生きるのか」ということを
当たり前のように考える人間を社会に送り出していく必要があるのです。

経済は最後でいい。
いずれ形を変えることになるからです。

私はそう思います。

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