Balloon Journey
~エピローグ~
僕は今、休日の雨の日に5歳と3歳の男の子2人とリビングのソファーで遊んでいる。
今日の獲物は赤い風船だ。
最近僕は2人の子供と遊びながら、自らが幼子であった淡い記憶をめくり返す事が多く、今も弟と遊んだあの時の自分に重ねている。
あの時も赤い風船で遊んでいた。
右手で器用に風船を落とすまいと打ち続ける弟の健気な姿が朧げながらに脳裏に蘇ってくる。
父になった僕は、子供と遊んだり、時には叱ったり、叱った後は抱きしめたり、父としての愛情を注いでいるつもりだ。
この挙動1つ1つに意味があり、そしてそれを過去の自分に照らし合わせることは他の親にもよくあることだろうと思う。父に叱られた記憶、母に抱きしめてもらった時の匂い。兄弟と遊んだ玩具。
でも、あの時の自分は何を想っていたのだろう?
たまにそのようなことを考える。
閑話休題
僕は大学を卒業して今の会社に約15年勤めている。別にうまくいってないわけでもなければ、かといってこの会社で成し遂げたい事があるわけではない。でも、自分の能力がもっと他に役立つのでは?自分の世界が広がるのでは?今のままが、正解ではないのでは?このようなサラリーマン誰もが通る岐路に立たされている気がする。特段僕は特殊な能力があるわけでも、野望に燃えてる熱い男ではないが、冷静に論理思考を巡らせて最適な道を見極める目は長けているつもりだ。その僕が最近感じる危機感の正体を突き詰める前に、そもそも自分の本質を突き詰める必要があると考えて、自分史を作ることを決心した。
あの時の自分はどんな想いでどんな行動をしたのか、それが将来にどのような影響を及ぼしそれが今の僕のどのパーツに埋め込まれているのか。実はそのパーツに自分は気付いていないのかもしれないし、気付いていても気付かないフリをしているのかもしれない。そんな事を時間をかけて振り返り見つめ直す岐路に立っているのだと僕は感じている。
昔の自分を見つけ出す旅に出よう。
風吹くままに、あの時の赤い風船に乗って。
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