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【エッセイ】ふえないわかめを愛している

 生まれてこの方、ふえるわかめを使ったことがない。
 たったの一つまみが結構な堆積に成長するらしい、ふえるわかめ。水で戻さずにぼりぼり食べて大変なことになった子供の話を読んだことがあるが、幼少期の高倉とは無縁の話だった。なんせ実家にそんなものは無かった。代わりに冷凍庫に四角く冷凍されたわかめの塊が格納されていて、母親はそれを削ってわかめの味噌汁を作っている。
 母方の実家は瀬戸内海の島にあって、目の前には海が広がっている。島育ちの祖父は海がめっぽう好きで、海の幸を獲るのが趣味だった。蛸やら貝やら海藻やらを獲っては、四角く冷凍して高倉の実家に送ってくれる。おかげで実家の冷凍庫ではいつも海の幸がひしめいていて、母親は我が家のエンゲル係数に見合わない量の海産物をいかに消費するか腐心していた。蛸飯が食卓に並んだ回数で競う大会があったら我が家はきっと優勝できた。

 お盆の時期になると母方の実家に帰省するのが常だったが、幼い頃の高倉にとってそれは海へ遊びに行くイベントだった。荷物にはいの一番に水着を入れたし、はやる気持ちで書きなぐったお盆スケジュールは「うみであそぶ!」が結構な面積を占めている。
 祖父母も祖父母で高倉と高倉妹のことを溺愛していたので、夏が来る度に蔵に浮き輪やボートやビーチボールを増やしては、放っておいても遊ぶ子供をもっと遊べと煽ってくる。潮が満ちている間は海水浴に興じ、潮が引くと貝を拾って遊んだ。

 高倉と高倉妹が貝拾いをしている傍ら、祖父が岩場で黙々と海に手を突っ込んでいるのを見たことがある。何をしているのか聞くと、「蛸でも獲ろう思てなぁ」とだけ言って黙々と作業に戻る。岩場に手を突っ込んでごそごそ探り、また次の場所へ。蛸壺を仕掛けていたのか、或いは仕掛けの様子を見に来たのか、そもそも仕掛けていたのが壺だったのかどうかも分からない。
 蔵には祖父母が用意した遊具と一緒に、漁に使うのであろう道具が沢山しまいこまれている。どれも年季が入っていて、しかし大事に使われていることがわかる程に綺麗だった。しかし高倉はそれらの使い方を知らない。どの道具がわかめを採るためのもので、それが蛸を絞めるためのものなのか分からない。祖父は高倉に漁を教えてくれなかった。子供が漁を覚えることを許さなかった。

 海は危険な場所で、漁もまた危険な行為だ。金属質の道具でうっかり手足を引っ搔いてしまうかもしれないし、岩場で転んだら大怪我を負いかねない。身体の使い方もその加減もよく分かっていない子供に漁なんかさせるべきじゃないし、教えるべきではない。
 分かっている。高倉がほんのちょっと感じた疎外感なんてどうでもよくなるくらい正論だ。冷凍庫の中で四角く眠る海産物を見る度に、自分が守られていることを自覚する。

 祖父は誰にも漁を教えないまま、今年で九十二歳になった。目に眩しい紫色のちゃんちゃんこを羽織り、「祝卒寿」の扇子を広げて「こんなもん着ることになるとはの」と笑った二年前の祖父の写真が、今も高倉のスマホの中に居る。まだ立って歩いて喋る元気があるものの、最近は海に出ていないらしい。当たり前だ。御年九十二歳は子供同然に弱い。お願いだから家で大人しくしていてほしい。
 先日実家の冷凍庫を覗くと、半分以上を占有していた四角い海産物は消え、代わりに業務用スーパーの冷凍食品がきちんと並んでいた。きっと乾物棚には、ふえるわかめが置いてある。

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