【短編小説】廃村シャークはダムを泳ぐか
こんな夢を見た。
旧友の三苫裕次郎に嵌められて肝試しに行く。ただの北海道旅行だって言っていたのに嘘吐き。「反対されると思ったから」だと?当たり前だろ。肝を試すのに廃村を尋ねるのは馬鹿がすることだ。B級ホラー映画になりたいのか?
かつて炭鉱跡地に栄えた町があったらしいそこは、廃村と言うより焦土の様相だった。数年前の大火災は村を呑み、廃村の半数以上が亡くなったらしい。道理で、まだ昼間なのに空気が重くて苦しい。絶対何か居る。絶対祟られる。なのに三苫は嬉々としてインスタライブを回しはじめているのだからもう駄目だ。馬鹿が。
結論を言うと、その村は廃村ではなかった。村の中心にある村役場、正確には町役場は平然と稼働していて、どう見ても生きている役人たちが親切で丁寧な案内をしてくれる。ご丁寧にも、綺麗な観光パンフレットまでくれた。真新しいパンフレットでは、火災からの復興を目指している旨と数箇所の観光スポットが紹介されていて、三苫は早速SNS映えしそうな場所を見繕いはじめる。役場の人たちは親切で、廃墟は倒壊の恐れがあるから近付かない方がいいこと、自然が豊かなので山や森に行く方が良いであろうこと、近々夏祭りを開催するらしいことなんかを教えてくれた。言われてみれば、夏祭りの幟が至る所に立っている。
拍子抜けしてきる私を尻目に、三苫は肝を試そうとしていたことなんかすっかり忘れたように観光に興じた。丘を登って眺望を楽しみ、人の手がほとんど入っていない森林にエモみを感じ、真っ黄色の菜の花畑にテンアゲマックスになる。巡ってみれば何の変哲もない、普通の田舎の村だった。私たちは存分に自然を堪能してから村を後にする。
何の変哲もない、ということにしなければならない。
あれだけ村を歩き回ったのに、結局まともに稼働している施設はあの役場しかなかった。店どころか、満足に雨風を凌げる家が一軒も見当たらない。周辺で行われているのは復興工事じゃなくて、この一帯を水に沈めるダムの建設準備だ。とてもじゃないが人が住める環境じゃないのに、夏祭りの準備だけが着々と進んでいる雰囲気がある。そもそも、夏祭りを控えた猛暑の中で、菜の花が満開なのはおかしい。
しかし絶対に指摘しない。B級映画の悲劇は常に、少しの気付きと無謀な好奇心の先にある。知らんふりこそ最大の防御なのだ。幽霊にも鮫にもゾンビにも勘付いてたまるか。三苫のインスタライブが、途中から真っ黒い画面の中を何人もの悲鳴が断続的に響き続ける恐怖の配信と化していたことだって知ったことか。電波が悪かったんだろ。
あそこに行ったこと自体、無かったことにしたいのだ。なのに手帳に挟んだパンフレットが、ダサい創英角ポップ体で私を夏祭りに誘い続けている。
不燃物先生による古彩町作品群に捧ぐ。
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