【短編小説】受難探偵 面堂伽久音の講談
こんな夢を見た。
目が覚めると、知らない天井が見えた。真っ白い天鵞絨が被さったそれが、天井でなく天蓋であることに気付くまで数秒。数瞬遅れて、後頭部の鈍痛を思い出す。身体を起こそうとして、後ろ手に縛られていることに気がついた。バランスを崩して、つんのめるようにベッドに倒れ込む。最悪だ。どうやらしくじった。
面堂伽久音に舞い込んだ依頼は、一ヶ月以上行方が知れない女の子の捜索。泣きついてきた母親曰く、捜索対象は小学四年生で、酷い喧嘩をして家を飛び出して以降連絡が取れないそうだ。警察は事件性なしとして全く取り合ってくれないらしい。母子の不仲は昨日今日に始まった話ではなく、加えて「さがさないで」という拙い置き手紙まで残されていたと言うのだから、無理もない話かもしれない。とは言え、一ヶ月は長すぎる。
少女がとある青年の車に乗り込むのが目撃されたのは、家出の三時間後だった。以降、少女を見た者はいない。
青年は竜安寺と名乗っているが、どうやら本名ではないらしかった。出自は不明、経歴も不明、調べても調べても信憑性のある情報に行きあたらず、助手の耶花が荒れていた。わかったことといえば、今はバイトと音楽活動で細い生計を立てていること、そして家は郊外の更に外れた、人気のない山麓にあることくらいだった。若者が一人で住むには広すぎるその家の、焼却炉には小児向けのスニーカーが燃え残っていた。
保険の営業を名乗って竜安寺の家に潜入したは良いが、どうにも隙がなかった。家の中は整然としており、人と争った形跡どころか人を招き入れた痕跡すら見当たらない。何処を取っても、成人男性の一人暮らしと取って矛盾が無かった。矛盾が無いことが一層不自然だった。
当の竜安寺はと言えば、のらりくらりとした適当な物言いが多く、本音が見えなかった。適当な質なのではなく、適当に振る舞うことを徹底している、と見るべきだろう。竜安寺の台詞に真実は無い。
トイレを借りる、という古典的な口実で竜安寺の目を逃れ、見つけたのは地下へ続く階段だった。その先で、パーツ毎にホルマリン漬けにされた死体が整然と並んだ棚を目撃して、以降の記憶が無い。
「お兄さん、探偵さんやったんやねぇ」
声に顔をあげると、扉の前に竜安寺が立っていた。鼻筋の通った顔立ちに真意が読めない糸目。長く伸ばした髪を一つに結んで肩口から流している。黒いチャイナ服を纏う出で立ちは若干浮世離れしていた。手には伽久音の荷物、そこから抜き取ったのであろう名刺を眺めて更に目を細めている。
「面堂か、かく……?なぁこれなんて読むん?珍しい名前すぎん?」
「読まなくて結構です」
「えぇー、名前知りたいやん。沢山呼んだげるよ」
「結構です。手を解いてもらえませんか」
「この状況で解くわけないやん、探偵さんやのにそんなこともわからんの?」
子供をあやすように、或いは小馬鹿にしたように竜安寺が笑う。そして興味を失ったように荷物と名札を打ち捨てると、ベッドの傍らに立つとぐいと身をかがめた。
「僕がどういうことしてんのか、アタリくらいつけてたんやろ?そんな奴の家に一人で乗り込んできたらあかんよぉ、殺されても文句言えへんよ?」
「……」
「ここんとこずーっと嗅ぎ回ってたん、探偵さんやろ?邪魔っこいことせんと、さっさと会いに来てくれたらよかったんに」
どうやら、身辺調査も気付かれていたらしい。これは想定していたよりずっと手強い相手かもしれない。糸目の奥の眼光が鈍い。
しかし、此方が一人だと思い込んでいるのならば、まだ打てる手はあるか、と、利発な助手の顔を思い出す。
「それで?誰か探しにきたんやろ?見つかったん?」
「……見つかるも何も」
捜査対象は確かに見つかった。少女は確かにそこに居た。ホルマリン漬けにされた首の一つ、親と喧嘩別れしたっきりの無念なんか感じさせない、穏やかで美しい微笑みを湛えた遺体。首元に残った縄の痕が痛々しかった。
竜安寺は表情を変えない。
「モノによっては売ったるよ?そのうちリサイクルショップに持っていくかもしれんし」
冗談にしては笑えなかった。努めて冷静に、ちゃらけた言葉の意図を拾う。
「死体を売る、ですか。それが貴方の本業ですか?」
「んなわけないやん、趣味趣味。可愛いものは手元に置いておきたいやん」
「殺してでも、ですか」
「仕方ないやん。生きとるものって保存できんし」
「それは、」
「不毛な話になってきたなぁ。なぁ、もっとドキドキすることしようや」
声のトーンが落ちた。伽久音の顔の横に両手をついて、吐息がかかる距離まで顔が迫る。ぎし、とスプリングが軋む音。竜安寺の身体が伽久音に覆い被さったのが分かる。
「僕ね、探偵さんのことも可愛いって思っとるんよ」
「あまり嬉しくないですね」
「男装しとるくらいやもんね。かっこいいって言われたい?」
ち、と舌打ち。男装までバレている。
「あなたに褒められても嬉しくないと言っています」
「なぁ、探偵さんはあの棚の、何処に並べて欲しい?希望があるんやったら聞いたるよ」
ひたり、首筋に金属が触れた。見なくても刃物だと分かる。竜安寺が妖しく微笑む、その瞳に映った自分の顔が、首が、あの薄暗い地下室の一隅に並ぶことをうっかり想像、しない。陳腐な脅しだ。ため息も出ない。
「……その気も無いのに、思わせぶりなことを言わないでください」
「……ふぅん?どういう意味?」
「あそこに私を加えるつもりなら、頸動脈を切るなんて殺し方をしない」
竜安寺が怪訝な顔をして、小首をかしげた。垂れた髪が耳元に触れる。
「それ、推理?」
「観察です」
推理、と呼べるほど大層なものではない。但し、ハッタリは時間稼ぎに有効だ。
「コレクションの並びには一定のルールがありました。棚の上下は被害者の名前ABC順、左右はパーツの質量順。この部屋もそうです。シーツはシミも皺もない新品、端は四十五度で折り込まれています。ホテルのルームメイクと同じ作法です」
「そうそ、前にホテルで働いたことがあるんよ」
「コレクションされた被害者は全員絞殺。首元に索条痕があるにも関わらず、吉川線は無い。殺害時眠らされていたか、手を拘束されていたと考えるのが筋です」
「今の探偵さんみたいに?」
「いいえ。手首に残った痕の、向きが違います。あの遺体の手首は後ろ手に縛られていたのではなく、上から吊られる形で縛られていた。あの地下室には、そういう拘束具がありました」
「……あの短時間でそこまで見てたん?すごいねぇ」
「貴方は作法を変えないという点において徹底している。天井から吊り下げる形で拘束して絞殺することを作法とする貴方は、此処で私を殺したとしてもコレクションには加えない。此処で殺してあの棚に並べる、という脅しは成立しない」
殺す、という行為単体であれば成立し得るのだが、余計なことは言わない。首筋を撫でる金属はまだ冷たい。竜安寺はしげしげと伽久音の顔を覗き込んでいる。
「そうやねぇ。わざわざベッドルームに連れてきたんは、ベッドでやるようなことをヤるつもりやったからやけど」
ふ、とナイフが首筋から離れた。竜安寺は上体を起こし、馬乗りの姿勢で伽久音を見下ろす。
「気が変わったわ。なぁ探偵さん、一つ推理してくれへん?」
「推理……?」
「手に入れ損ねた女の子の話なんやけどな、どうしても分からんのよ。誰に、どうやって殺されたのか」
今度は伽久音が怪訝な顔をする番だった。何だ。話が見えない。
「殺された……?殺した、の間違いでは?」
「殺そうと思っとったんやけど、うっかり先越されたんよ。僕が見張ってる最中に、僕の目と鼻の先で」
竜安寺は、限定アイテムを奪取された子供のような顔で言う。
「部屋はマンションの十階、入り口はオートロック。女の子が帰ってから、仕事を終えて帰宅した母親が女の子の死体を発見するまで、玄関から出入りした人間はおらんかった」
「……マンションのエントランスから出入りした人間がいなかった、という話ですか」
「違う。玄関から誰も出入りしなかった。見とったんやから間違いない」
その犯人もまさか、他の殺人鬼に見張られているなんて思っても見なかっただろう。
「警察は別居中の父親を疑っとるみたいやけど、そもそも、部屋に入っても出てもいない人間が人を殺せるわけないやろ?」
「他に出入り口があったのでは?」
「マンションやで?勝手口なんかあるわけないやん。強いて言えばベランダから出入りできるかもしれんけど、部屋は地上十階やし、出入りできるとしたらスパイダーマンくらいやん」
「現場は密室だった、と言いたいんですね」
「そういうこと」
情報を元に、頭の中で事件を再構築してみる。現場はマンション、被害者は女児、玄関には殺人鬼の目。
「……隣室は?」
「部屋は角部屋、西側の部屋の住民は海外旅行中」
「マンションは何階建ですか。立地は」
「十五階建。南向きで、ベランダ側が大通りに面しとる」
「……」
「な?意味わからんやろ?なんや話すのおもろなってきたわー」
竜安寺は上機嫌に笑っている。しかし、やはり隙がない。こっちが下手な動きをした瞬間に、その手のナイフが伽久音の喉笛に立つと分かる。
「な、ええやろ?この謎解いてくれたら、僕の本当のこと教えたるよ」
「…………本当のこと、ですか?」
「調べまわるほど知りたいんやろ?僕が何処の、誰で、どうしてこんなことをするのか」
思わぬ申し出だった。竜安寺の台詞は信用に値しないが、だとしても、要求されているものと提示された対価が釣り合わない。
「……随分安いですね。勘繰ってしまいます」
「警戒せんでええよ。この話ずっと気になっとったから、謎が解けたらスッキリやし。それに、ただ犯すだけやったらおもろないし」
ナイフを鞘に収めた竜安寺の台詞は脅迫で、今度は間違いなく成立していた。謎解きの興が醒めれば犯される、あるいは殺される。伽久音が竜安寺の興を削がずに謎を解ききれば、竜安寺は素性を明かす。裁量の全権が竜安寺に握られていて、まな板の鯉はせめて滑稽に踊るしかない。
頭の端で助手の、耶花の行動を推察する。連絡を絶ってからどれくらい経っただろうか。あの優秀な助手が打つであろう手と、その所要時間を鑑みて、伽久音が稼ぐべき時間は、あと。
「……分かりました。しかし、推理するにはまだ材料が足りません」
最短ルートの推理では時間が余る。冗長に、しかし退屈しない推理を組み立てなければならない。全く勘弁してほしい。私は噺家ではないのだが。
「もっと詳しく、聞かせてください」
此方もどうぞ!