【小説】永夏島殺人事件 .1
甲板に出ると、荒々しい潮風が吹きつける。港は遥か後方、周囲は見渡す限り海ばかりだ。ごうごうと轟く船のエンジン音、その隙間に船が海を割る波の音と、ウミネコの鳴き声が聞こえる。
永夏島への交通手段は海路しかない。広島港から出港する連絡船は一日二便のみで、それでも乗船客は十人強程度。見たところ殆どが業者で、一般客はいないように見えた。インターネットには、特徴的な気候を生かした観光業が盛ん、と書かれていたのだが、少なくとも現時点ではその向きを全く感じられなかった。連絡船には最低限の案内表示しか施されておらず、船内に貼られたポスターはずいぶんと色褪せている。観光集客は諦めてしまったのだろうか。
そうでなくても、この記録的な猛暑の中、バカンス先に終わらない夏の島を選ぶ物好きはそういない。おかげで面堂伽久音は船内で浮きに浮きまくり、刺さる視線に耐えかねて甲板まで出てくる羽目になった。
耶花も、こんな居心地の悪さに耐えたのだろうか。
腰かけたベンチが、ぎし、と軋む。余計な考えを振り払うためにスマホを取り出して、事務所を出てからスマホの電源を切りっぱなしにしていたことを思い出した。電源を入れようとして、迷う。
結局スマホはそのままポケットに戻して、代わりにショルダーバッグからファイルを取り出した。潮風で飛ばされないよう押さえつけつつ、スクラップした新聞や雑誌の記事を、ぱら、ぱら、読み直す。諳んじることすらできるほど読み込んだが、それでもまだ、何か、見落としていた記述があるかもしれない。そう縋らずにはいられない。
猫屋昭利。47歳。会社員。自宅の納屋で首を吊って死んでいるところを家族に発見される。手に握られた芍薬の花は、本人が近所の生花店で買ったものだと確認が取れている。パソコンに残された遺書は、家族に別れを告げるだけの当り障りのないもので、本人が書いたと言っても矛盾しないが、他人でも書ける内容だ。猫屋昭利は一週間前に投資で失敗し、持ち金は一万円にも満たない状態だった。
結羽紫月。27歳。孤児院職員。自宅の風呂場で右手首を切って失血死。左手には菖蒲の花が握られていた。何処で購入したものかは不明。遺書無し。
松國芽衣子。24歳。フリーター。自宅のクローゼットで首を吊って亡くなっていた。松國芽衣子は賃貸アパートに住んでおり、近隣住民から異臭の苦情をきっかけに管理人が松國芽衣子の遺体を発見。発見時点で死後三日以上経過していたとみられており、遺体は既に腐敗が進んでいた。遺体の足元には枯れかけの花が落ちていたという。テーブルに「さよなら」と走り書きされたレポート用紙があったことが確認されている。部屋の鍵はすべて施錠されており、鍵は、合鍵も含め全て室内にあった。
事件はすべて、自殺として片がついてしまった。猫屋昭利の件を自殺と宣言したのは、ほかでもない私、面堂伽久音だ。自殺で矛盾しない。
矛盾は、しないのだが。
ぼぉう、と汽笛が空を割るように響いた。顔を上げると、水平線に永夏島が浮かんでいる。