痛みに気づくことの大切さ
5月がもう終わろうとしている。気がつけばもう夏かと思うくらい暑い季節が訪れている。
不思議なもので、月末に差し掛かるとnoteに文字を綴って振り返りたくなる。今月もまた赤裸々に自分のことを振り返ってみようと思う。
今はだいぶ調子が戻ってきてはいるが、振り返ってみれば「スランプ」とも言える時期だったと思う。
仕事も生活も一生懸命に向き合っているはずなのに、どこか失速気味というか、アクセルを踏んでいるはずなのに空回りしていた。ギアの入れ方がうまくわからないというか、噛み合っていない感覚があった。
自己肯定感も持てないまま、どこか無力さを感じる日々が続いていた。
家族と向き合い、自分と向き合い、今の自分に出来ることは何だろうと考えた。
自分に出来ることを精一杯頑張っているはずなのに実感が持てない。自分のやっていることを肯定できないことが無自覚に自分を追い詰めていた。
それこそ、自信とか以前に、自分が”今ここにいる”意味すら見失うような感覚もあった。自分の今、立っている位置が急にわからなくなった。
意図していないところで、自分は割と深めの傷を負っていたのだと思う。
傷はさておき、自身の痛みに気づくことが出来たのは、凄く良かった。痛みを自分一人で何とか和らげようとしてしまう癖があることも、改めて知ることができた。
傷の存在に気づくことが出来たとはいえ、自分自身ではどうしようもできない。両親や友人達を頼って少しずつ整理を進めていった(長電話に付き合ってくれた両親・友人達には本当に感謝)
メタ認知にも近いかもしれないが、今の自分が置かれている状況や出来ていることを客観的に捉えることが、自分自身の立ち位置を確かめる上で本当に大事だった。だからこそ、痛みを無理に中和しようとせずに、痛いということを認識することが今の自分には必要だったのだなと思う。
ちなみに今は復調している実感はあるものの、スランプから脱しているのかはわからない。もう少し時間が経ってから、今日綴ったnoteでも読み返しながら考えてみようと思う。