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静と動の生活バランス

昔から自覚していながらも、まだうまく言語化できない、自分がどうしても好んでしてしまう生活パターンがある。他人からしたら少し異様かもしれないが、求めてしまうんだからしょうがない。
まぁ言うなれば、どうしても静と動のバランスを取りたくなってしまうのである。

生活パターンその① 一日にぎゅっと予定を詰め込みたがる
ちょうど月イチで通院する予定がある。
心配ご無用。別に処方箋さえもらえればいいので、緊急でも重症でもない。かかりつけているのは小さな町医者なので、予約は不要。いつ行ってもいいわけである。だから仕事が休みの日にゆっくり行けばいいものの、なぜか仕事が終わったあとのわりと忙しない夕方に通院することが習慣づいている。
その町医者の場所は自宅⇔職場間からは外れるため、自転車で大きくう回する必要がある。なのに「せっかくだから」「外に出たついで」と称して、わりと疲れているはずなのに、仕事のあとに好んでう回したがる傾向がある。そして処方箋をゲットしたあとは当然そのまま薬局にも寄る、ここはセットである。

月イチのその日は、予定で埋め尽くす。
せっかくう回するので、髪を切る予定も同日に詰め込む。う回先にはイオンがあって、QBハウスが入っているので、髪の伸びがちょうど気になってきたこのタイミングでどうしても切りたくなるのである。自宅を基準に考えればもっと近いイオンもあるけれど、そこのQBハウスを僕は好む。

順番を整理しながらまとめると、まずは仕事。そのあとに髪を切って、受診して、お薬をもらう。もう予定的には十分かもしれないが、もう一つの予定を入れるのが定番化している。それが締めの銭湯である。
医者や薬局の閉店時間をまったく気にしなくていい状態で、もろもろの疲れを取れる締めの銭湯は僕にとって至福の時間である。しかもQBハウスに洗髪はない。顔や首まわりに残った髪の毛をおもいきり洗い流せるわけで、ここもセットで楽しみたいのだ。

さらにもう一つの予定。これら一連の予定をこなすとどうしても帰りは遅くなるわけで、その日に自炊するのは難しい。だからあわよくば銭湯からの帰り道、お弁当やらハンバーガーやら牛丼やらを買って帰る。これも定番のパターンである。

そして家に着いたら、持ち帰ったメシと合わせて缶ビールを開ける。動き回ったあとの最後のメシとビールは格別にうまい。

生活パターンその② 一日で静動のバランスを取りたがる
ぎゅっと予定を詰め込み、全体を動的に過ごす一日がある一方、ほとんど寝て終わるような、何もしない一日もある。書くのも恥ずかしいが、またお薬の効果も多少あろうが、夜から朝にかけて12時間ほど寝てしまう日もわりと多い。
そんな日は当然「寝すぎた」と後悔する。でもお薬も入っているわけで、「寝すぎだ」と必要以上に自分を責めることだけは禁止している。別に自分を責めたとて、良いことなど1ミクロンもなさそうなので。
よって今は「お薬のせい」もあるし「コロナ禍」でもあるわけで、そんなダメダメな日があっても、「まぁしょうがないか」と口ずさんであきらめるようにしている。

でも本来の自分は、一日でやけに静と動のバランスを取りたがっていた。
たとえば夜に飲み会の予定が入っていたりすると、それまでの時間は一人カフェで本を読んだり考えごとをしたりするようにしていた。だってこのあとには否応なくたくさんの人と関わり合い、場合によっては朝までカラオケなんかをすることになるわけなので、今のうちに一人で静かな時間を過ごしておこう。理由はよくわからないが、常にそんなマインドセットでいた。

別の例でもいいだろう。
かつて「サバ―ル」というセネガルのダンスを習っていたことがあるが、開始までに30分以上も空き時間があると、これまた一人カフェで本を読んだり考えごとをしたりするのを好んだ。
別に「サバ―ル」をしたあとにお酒を酌み交わすこともないし、なにより参加者もほとんどいないので個人レッスンといってもいいほどだった。だから前述した飲み会の「動」とは確実に種類のちがう「動」ではある。めちゃめちゃ体を動かすわけでフィジカル的には100%「動」である。

つまり理由はよくわからないが、コミュニケーション的な騒がしさとしての「動」もあるし、純粋なフィジカルとしての「動」もある中、「動」がある一日には「静」も組み込みたいのが自分が好むバランスらしい。

問題は、どこで区切るか
要は二種類あるらしい。
前者①のように、ぎゅっと予定を詰め込んだ一日は、堂々たる「動」尽くしの一日。たとえば一週間単位で「静」と「動」を見ているらしい。その日以外は基本ステイホームでおとなしく過ごしているのに、「せっかくだから」と称して極端に動き回る一日を設けてバランスを取っている。
一方で後者②のように、一日の中で「静」と「動」を網羅したい一日もある。

一日単位で区切るか。
一週間、あるいはもっと長いタームで区切るか。
このちがいがどこからくるのかは今現在全然わかっていない。

でも「静」だけでは物足りないから「動」も入れたい。
このバランス感覚というか美的感性というか、ある種の癖(へき)は、生活だけじゃなくて物に対しても確実に染み渡っているようだ。


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