ディズニーよりもピーナッツ
(実家は)千葉県です。
そう答えると―—ここが京都のせいか―—地理的にも音韻的にも「滋賀」だと聞き間違えられることが多い。出身地を誤解されたところで業務上なんの問題もないんだけれど、そのまま雑談が進むのは落ち着かないので、すぐに「関東の」や「東京のとなりの」で補足する。この時に妙なプライドが働いている自覚はある。でもその由来や正体までは自分でもよくわかっていない。
いずれにしても、千葉県からはるばる来た身であることまでは理解してもらえた。すると話は、定番のあの話題へと移行する。
千葉県民にとってお決まりの話題
話題はまもなく「ディズニー近いですか?」という流れになる。
今まで何度経験したのかわからない定番の展開。千葉県出身移住者のおおむねが経験してきた既視感満載のやり取りである。
ところで僕は、ディズニーの話題に辟易しているわけではない。
シーは2回・ランドは5回くらいしか行ったことがないので経験値も知識も全然ないけれど、例の質問をされるたびに「いよぉ!待ってました!!」と静かに興奮する。つまり辟易どころか悦びを感じているのだ。
だってほとんどの人が「千葉県といえばディズニー」だとして話を進める。もしかしたら落花生や成田空港にも連想が及んだかもしれないけれど、話題の着陸先として選ばれるのはやっぱりディズニー。全国規模でのこの共通感覚が面白い。
しかもたいていの人がうきうきした様子でこの話題を振ってくる。なかには僕が「千葉県出身」だと聞いた途端に目の輝度が変わるような人もいるほどである。きっとさいたまスーパーアリーナではそうはならないだろう。
実際、実家は千葉県の松戸市というところなので「ディズニーに近い」。ドアtoドアで1時間もあれば余裕で舞浜駅に舞い降りられる距離間だ。
だから立地からすればもったいないことをしたと思う。我慢してでももっとディズニーに通っていれば、移住後のコミュニケーションフックとして強力な武器となったはず。やがては千葉県への愛着ももっと増していたに違いない。
ベッドタウンのアイデンティティ
千葉県の松戸市というところ。県内では北西部にあたるエリアにあって、約50万人の人口を抱えるそれなりに大きい都市だ。マップで俯瞰すればわかりやすいが、江戸川を渡ればすぐに東京都が控えているという距離間。当事者も納得のベッドタウンである。
僕はその町で生まれ育った。駅前に飲み屋や風俗店が多いという以上の特徴を挙げることはなかなか難しいけれど、たくさんの思い出がつまった大好きな故郷である。
千葉県は広い。
だから海側で育った人とベッドタウンで育った人とでは、故郷への愛し方がまるで異なるかと思う。
ベッドタウン勢である僕は、お隣にある東京ばかりに目を向けて育ってきた。マップでいう千葉県の右下エリアにはまったく興味を示さず、左ばかりにあこがれながら生きてきた松戸市民の一人である。
そういう人間は千葉県の県庁所在地である千葉市にもあまり縁がないし、房総半島の島民ともいえる県民なのに千葉県の海についてほとんど知らないでいる。
つまり千葉県についてよくわかっていない千葉県民もいるということ。
そういう人間がよそに移住したところで、当然ながら千葉県について熱く語ることはできない。ましてやディズニーのことも全然語れないとなると、閉口するしかないのである。
ピーナッツからはじめる千葉県愛
先日、神戸の雑貨屋でめずらしい小物を見つけた。
こんな離れた場所で千葉県への郷愁がかられるとは思ってもいなかったので、驚いて買ってしまったのだ。
千葉県=落花生。ディズニーの次くらいにありがちな結びつきだが、県民感情としてはこれまで微妙だと感じていた。たとえば青森県=りんごは美しいと思う。岩手県=南部鉄器も渋くてかっこいい。
他方で落花生……。たしかに千葉県を想起させる食べ物ではあるが、別に日常的に食べるわけでもない。近所の農家が栽培していたわけでもない。
だからのちに落花生に愛着がわく日が訪れるなんて、想像すらしていなかった。
本物よりひと回り以上も大きいこの落花生は、すべて陶器でできている。
しかも開閉できるという細工が施してあり、中のピーナッツを取り出すことも可能。ピーナッツももちろん瀬戸物である。
店主に聞けば、約40年前の作品だという。
中国国内で300~350年ほど前に作られたもののレプリカとして、再現されたそうだ。
もう縁だった。
こいつを手に入れてから落花生のことも千葉県のことも愛おしく思えるようになってきたのである。