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「2年後」のテロップを見逃さないために

今「映画」の話をすると必ずしも映画館で干渉する映画とはかぎらないのでややこしいけれど、ネトフリやアマプラを含めた場合でも、1時間半~3時間程度の一話完結型の映像作品を、ぼくは今のところ「映画」と見なしている。
そうなると『イカゲーム』や『全裸監督』は、個人的にはめちゃめちゃ楽しんで鑑賞させてもらったわけだが、ぼくにとっては「映画」というより、テレビドラマのシリーズものに近い感覚で鑑賞した。

さほど映画通なわけでもないのでエラそうには語れないけれど、やはりシリーズものと、2時間前後にそぎ落とされた一話完結型の作品とでは、こちらとしてもやや見方が異なってくる。作品への集中力が全然変わってくるのだ。

たとえば先述した『イカゲーム』であれば、毎回「誰が生き残るのか」というスリリングさこそあれど、(最初のシリーズは全9話あるわけで)自分が途中でトイレに行こうが、ストーリーの本筋から大きく脱線することはなく、巻き返すことができる。全体の話が長い分、ややゆるやかにストーリーが展開されていくわけで、一部を見逃しても鑑賞者としては全然ついていけるのだ。
とはいえプロの集団が本気でつくっていることを鑑みると、無駄なカットは1秒もないとは思うわけだが、全体として長い分だけ、巻き返せるチャンスは多分にある。

その点、2時間前後にそぎ落とされた一話完結型の映画はどうだろう。
さまざまな大人の事情もあろう中で、この時間、この作品として仕上がっていることを鑑みると、1秒も見逃してはならないような気がしてくる。
鳥が隊列をなして飛んでいるだけのカットも、草がゆれているだけのカットも、すべてに深い意味が込められている気がしてしまう。
だって仮に自分が監督だったら、まったく意味のないカットはきっと差し挟まない。

というわけでぼくの場合、映画館であろうが、ネトフリやアマプラであろうが、2時間前後にそぎ落とされた一話完結型の映像作品に対しては、完全に「映画」として対峙する。とりわけ映画館の場合は、単発で1900円やら1200円やらを支払っているわけで、映画への集中力はいっそう増して対峙する。

だから途中にさりげなく入る、「2年後」などのテロップも見逃さないわけだが、同時にこのテロップは恐ろしいやり方だなとも思う。
だって今この、たった1,2秒間だけ出ていたテロップを仮に見逃していたら、このあとの話にスムーズについてこれるだろうか?たまたまポップコーンの底をまさぐっていた人や、たまたまこのタイミングで尿意を催した人は大丈夫なのだろうか?つい、そんなことを考えてしまう。

たしかにビフォーアフターを比較すると、役者の髪型はやや変わってはいる。登場人物との関係性や環境にも多少のちがいはある。
だが「2年後」を見逃した人にとって、その程度の変化を見せたからといって流れが汲めるものではない。
たまたま「2年後」を見逃した人は、スクリーンと再び向かい合ったときに、そこいらの情報処理から始めなければならないのだ。その作業にはCPUをフル稼働する必要がある。それだけエネルギーを使う作業なのだ。

最悪の場合。「2年後」を見逃したおかげで物語上の迷子となり、そのまま本編に追いつけないままエンドロールを迎える悲劇もあり得る。

「2年後」という飛躍さえなければ、全然ついていけたかもしれないのに……。

最近、映画館では『ドライブ・マイ・カー』。ネトフリでは直近『ボクたちはみんな大人になれなかった』を観た。
どちらも途中で、時間を飛び越えるようなテロップがあったように思う。

象徴としての「2年後」だが、このように時間をジャンプするようなテロップは、映画の中で重要極まりない数秒といってもいい気がする。
だとしたら、この数秒を見逃さないためにも、鑑賞者はどうすればいいのだろう。

①約2時間、集中してスクリーンを観続ける。
②製作者側の配慮として、スクリーンの端っこに時間や時期を表記する。
③映画業界全体がテロップ制度そのものをタブーとし、テロップ以外の表現で時間や空間を伝えることを旨とするマナーを、映画業界の常識とする。……

などが考えられるかもしれないが、とりあえずぼく個人としては、2時間のあいだでトイレに行かないように、膀胱を鍛えつつ、上映中にアルコールとカフェインを摂らないことを目標としよう。

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