コーチ編 Part5 『コーチは知的であるべきか②』
昨日、去来した思いのままに文章にすると、とりとめもなく、まとまりもない文章になりました。
今朝改めて読んでみると本当にひどかったので、『コーチは知的であるべきか』について補足します。
例えば先日、亡くなられたKobe Bryantの場合(本当に残念な事故でした、いまだに信じられません。
この動画で彼は、彼自身のゲーム、ムーブを女性プレイヤーに教えています。これは彼のムーブであり、彼が練習でゲームで何万回と繰り返して体得してきた感覚のを彼女らに伝えています。
そこは、私がいくら人から話を聞いても本を読んでも絶対に触れられない境地であり、彼にしか教えられないことです。
仮に私がこの動画を何万回も見て彼と全く同じセリフをコピーしたとしても、それは劣化コピーであり、コーチングとしての価値は0に近いでしょう。
日本にいるプレイヤーで見ると、竹野明倫の場合
相手との駆け引きで抜くタイミングやプルアップなど、彼自身にしかない感覚を言葉にしてプレイヤーに伝えることができます。僕にはそれができません。
このように、いくら経験や知識で埋めようと思っても、そのコートに立ったことのない自分には埋められない部分が存在するのです。
今からプロのバスケットボールプレイヤーを目指し、コート上での経験を積む?それは無理なことです。世の中にはできることとできないことがあります。これは僕にはできないことです。
時間の無駄という言葉はあまり使いたくありませんが、努力を注ぐ方向性として間違っている、非効率的であると思います。
Basicを「完璧」に教える
私があるコーチから頂いた、非常に救われた言葉です。
私のようにバスケットボールが特別上手だったわけでもなく、アスリートにもなれなかったコーチが目指すべきところかと思います。
これはプロだからというわけではなく、すべての指導者にとって持っておくべき考えかと思います。
基礎に立ち返り、基礎を極める。それこそが自分が目指すべき道なんではないかと今は思っています。
僕には自信がない
僕には自信がありません。勉強も、運動もそこそこはできますが、何一つ飛び抜けているものはありません。
小学校のマラソン大会もいつも4位か6位で1位にはなれなかったし、勉強でも学年で10番くらいでした。
特にバスケットボールについては、高校も大学も補欠で劣等感にまみれた時間でした。
性格もどちらかといえば内向的です。少年時代から他の人とつるんで遊ぶよりも、自分の声に耳を傾け、自問自答する時間が長かったように思います。
「さっきのプレーは怒られたけどどうすればよかったんやろ」
「昨日の練習でうまく行かなかった原因はなんやろ」
「どんな言葉掛けをすれば選手は前向きになれるだろう」
「どうやったら自分はもっと良いコーチになれるのか」
「自分はなんてだめな人間なんだ」
「すごく時間を無駄にしている気がする」
・・・・・・・
など、いつもいつも頭の中には言葉が飛び交っています。
バスケットボールがすんなり上手くできなかったがために、自分で考える時間も長かったのは事実で、今の自分のキャリアを下支えしてくれているとも感じています。
もちろんどんな花形のプレイヤーだったコーチにも悩みはあります。ですが、悩んできた、考えてきた数と時間は多くのコーチには負けません。
これからもそれを武器に進むのみです。
補足終わり