【サラリーマン生活回顧④】結婚は人生の墓場か?
前記事
↓
事務所の席が隣同士で帰りは食事して帰るという1日の大半を共有していた彼女と、特に約束した訳ではないがお互い結婚するという雰囲気になってい矢先に親父が亡くなってしまったため1年間喪に伏することになったが、無事結婚式を挙げることになった。
なぜかこの年同級生の結婚が相次ぎ勢いで結婚する雰囲気があったのかも知れない。
当時は結婚式も当然のように挙行する行事であり、会社や身内で結婚が相次ぐと「御祝儀貧乏」に陥るケースも度々あった。
結婚式に欠かせないのが「媒酌人」。この媒酌人に誰をチョイスするかで結婚式のステータスがぐんと上がることもある。
結婚式は地味に、新婚旅行はそこそこ豪華にという路線を描いていた私たちではあったが、当時の課長に相談したところ、部長が適任だろうといい、部長は社長に掛け合ってやると、だんだん大ごとになってしまった。
最終的に社長が引き受けてくれることになったのだがこの社長という方、赤字体質であった当社をV字回復させた剛腕であったと同時にかなりの酒乱でもあった。
「俺が媒酌人を引き受けるからには君の結婚式を完璧なものにしてやる」と意気込み、役員以下に「お前も出席せよ」と下知して回ってしまったため当初親戚と一部社員の50人くらいの規模でいいかという構想が一転、総勢200人を超す動員をかけてしまった。その殆どが社員で、新郎を潰してやろうという友人とも合流してひっきりなしに酒を注ぎにくる行列を捌き、結婚式という名の社員懇親会は酒乱の社長を中心としたどんちゃん騒ぎのうちに終わった。
この日から我が家には「嫁」という家族が増え、一層家庭を守るという重圧がのしかかってきた。
嫁は結婚を機に退職してしまっていたので旧部署のメンバーからも「貴重な戦力を削ぎやがって」とか「俺らのアイドルをよくも」といった皮肉を浴びる一方、「結婚して家族を養って初めて一人前だ」と持ち上げられ調子こいて仕事をしていた。
翌年、日本橋にある当社の代理店商社へ出向の異動辞令が出た。
これまでは前線支援的部署だったのが最前線に出ろということ。本来であれば「いよいよ俺の力を発揮する時が来た」と思うところだが、そこには鬼軍曹で知られる課長がいるのだった。
挨拶に行くと「俺の所に来るからには今までみたいにチャラチャラしてやがったらぶっ飛ばすからな」と迎え入れてくれた。
今の子が聞いたら「◯◯ハラだ!」と騒ぐような物言いが日常の人であった。