見出し画像

最近の若いもんは〜サラリーマンエンディングノート

2025年、サラリーマン生活のエンディングの年に入った。
昔は、とか俺が若いころはというと昨今の若者は鬱陶しく思うらしいが、40年前の私たちも「新人類」「最近の若いもんは」と揶揄されてきた記憶がある。
いわば「最近の若いもんは」というワードは普遍的なのだ。

まだ「戦後◯年」という表現が残る頃に生を受けた我々の年代は、高度経済成長の名残りが残る社会で生涯勤め上げることの出来る企業への就職を目標に就職活動を行い、私はじめ多くの同級生が同じような境遇で現在を迎えようとしている。

こうした時代を生きた年代の者たちが経営者を勤めているのが今の企業の大宗であり、そんな経営者が牽引する会社に入る「最近の若いもん」たちは急激な社会構造の変化やグローバル化の進展が生み出した多様性に順応した人類。各々が育った異なるバックグラウンドや経験を背景に組織に頼らないクリエイティブなパフォーマンスを発揮する反面、力量を発揮する場面がないと判断すれば、せっかく就職した企業も捨てて、次のステップへという思考も持ち合わせている。

私が勤めているのはいわば製品を大量に生産する装置産業で、効率と歩留まりを重視した安定地盤の業態である反面、画一的生産を目的とする装置やシステムであるがゆえ若い人たちが持つ柔軟性の発揮が制限されるように見える。
このため、社会的ニーズの変化に伴いこれまでのアプローチでは対応しきれない複雑な課題に順応するため過去に培ってきた基準やルールを細かく見直し、若い世代の独自性を尊重した企業文化やマネジメントを創出し、組織のパフォーマンスを向上するための手法を導入することが重要であると思う。
さりとて昨今はなんとかハラスメントという縛りに怯え、会話そのものが制約されつつある中でとかくコミュニケーションは難しい。
我々のような先が見えた世代は管理職層と若者層をつなぐべく、時に背中を見せ、時にピエロになるという立ち回りでパイプ役となることも必要なのではないだろうか。
大きな会議などもいわば「会議の立ち回り」を知った層がとりあえず出席し、資料に書いてあることを読み上げ、予定調和で締める流れが定例化していないだろうか?例えば入社10年以下の社員による経営会議などどいう奇抜なことをやってみるのも面白いかも知れない。

リモートワークが浸透したとはいえ相変わらず朝の通勤電車は混んでいる。
乗客のほとんどがスマホに見入り、ジャンプやポストのような雑誌を読む者の姿は見えない。
ただ、彼らが見ているスマホの画面は新聞であったり漫画であったりゲームであったりするわけで、小さなスマホ一台の中には実に多面的な情報ソースが存在する。
30年後、彼らが我々の世代に追いつく頃世の中はどうなっているのだろうか?
逆産業革命が起き巨大プラントは消滅し、少量多品種生産の家内制手工業が主流となり、自由な時間、自由な場所でリモートワークをこなすためオフィスビル群は縮小し通勤ラッシュも解消される…
そんな世の中があるのかも知れない。
その頃彼らはきっと「最近の若いもんは」と言っていると思う。

いいなと思ったら応援しよう!