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【サラリーマン生活回顧⑨】昭和のチャラ男、父親になる:後編

嫁の出産当日。上司の気遣い(妨害?)もあり病院に着いた時点で嫁は分娩室に入っており、看護師からも生まれたら連絡するから家で待機するよう促され、そのまま帰宅することにした。
2〜3時間で呼び出しが来るものと思い、そのままゲームでもして待つかということで「信長の野望・全国版」を始めたのだが一向に電話は鳴らず、ゲーム内の我が軍は破竹の勢いで領地を拡大していった。
明け方5時頃、ようやく病院から「おめでとうございます。男の子です」と電話が入った。
病院に行き、まずは丸一日にも及ぶ戦闘で疲弊した嫁と病室で対面後、保育器に入った手のひらサイズで皺くちゃの我が子と会った。
およそヒトとは程遠いこの生物がやがて成長し私のDNAを継承していくのだ。しかしこれまでの人生で人より秀でたことなどしていないし今更私が公正したとして既に生まれてしまっているこの子のDNAはなんら変わらない。
ろくに将来の設計もせず流れで大学を卒業し、先輩の安直な誘いを受け軽いノリで就職し、いつでも会社辞めてやるという逃げ道を持ったまま社会環境にも後押しされてなんとなく成果をあげている今の状況で良いのだろうか?我が子もそんな生き方をするのだろうか?
ということを昨日上司が差し入れと言って渡してくれた焼き鳥のお土産を朝食に食べながらしみじみ振り返った。
やがてその生物は保育器から出て嫁と一緒に退院し我が家に棲息を始めた。
目も開かず、言葉も喋らないがミルクを飲んだりあくびしたりうんちしたり人が生きる最低限の営みから日が経つにつれ声を出したり何かを目で追ったり指を動かしたり日に日に進化してゆく。
なんか愛おしいぞ。
できればこの子の未来が幸せに満ちたものであってほしい。できれば将来私がよれよれになった時に手を差し伸べてほしい。と、慈愛と甘えの両極端な感情が錯綜した。
その後我が子はすくすくと成長し、休みの日は極力子供と触れ合う時間をとるような生活リズムに変えていった。
2年後には次男も誕生し、嫁は二人の育児と家事、私は給料運搬係という家族のスタイルが確立した頃、これまで順調に所得水準を押し上げていたバブル経済が崩壊した。
当社に於いても今まで無理して売るなと言っていた姿勢が一変「殺されても注文取ってこい」というトーンになってゆく。
上司はもう易々と銀座に行けないというショックがあるかと思われたが、「夜の拡販会議」の舞台は再び下町へとシフトした。


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