
普段いかないお店が潰れてなんで寂しいのか
先日、広尾を歩いた。
ランチタイムだったのだけど、閉まったままの店がちらほら。いわゆるコロナ閉店だ。広尾に来るのなんて久々だし、ランチを食べる機会なんてない。だから閉まっているのも入ったことのない店ばかりなのだが、なぜか胸が痛んだ。
わたしは昔、かに道楽でバイトしてたことがある。
かに道楽は一年間のほぼ全ての期間で赤字で、年末年始の忘新年会で全てを回収する。そりゃそうだ。真夏にカニ鍋食べる人なんて、よほどのカニ好きだ。だから普段は閑散としてるけど、年末年始にかける熱量が半端ない。
居酒屋系はみんなそうなんじゃないかと思う。
私が小学生の頃、うちの両親が持ちビルの1階で洋風レストランみたいなのをやってたこともある。その時もパーティー需要が収入の大きな部分を占めていた。オフィス街のど真ん中にあったのだけど、平日日中の売上はたかが知れたもので、やっていくのにギリギリな程度だったと思う。だからパーティーでプラスに持っていくしかなかった。パーティーの日は帰りが遅くなるので、遅くまで留守番をしていた。
けっこう体に負担が来るし、父は体を壊した。そもそも相続した土地を転売して買った持ちビルの1階だし、家賃収入でそこそこ暮らしていけたから無理する必要もない。それで確か2年くらいしか続いてなかったと思う。
相続して手に入れた不動産があるというのはかなりのアドバンテージだ。だからそこそこ余裕があったはずなのに、体を壊すほどレストランの運営は大変だったらしい。それを家賃を払い、給料を支払いながら回していくなんて、並大抵の苦労ではないと思う。
普段、カフェや居酒屋、ランチなどでしばしば外食する身としては、街なかで「閉店のお知らせ」を見ると、少しさみしくなる。
新しいチャレンジに向けての前向きな閉店ならいいのだけど、特に今の時期だと例のクソ騒動の影響である可能性は高い。
もしかしたら、とても美味しかったかも知れない。いい店だったかも知れない、お客さんの思い出や、店主の思いもあるだろう。内装とか設備とか初期費用なんて何百万円もかけただろうに。どこかの店の厨房で働いてお金を貯めたのだろうか、銀行に頭下げて融資してもらったのだろうか。
そういうのを全部ひっくるめて「閉店」という選択をしたのだろうと思う。
閉店した店の店主やスタッフはいまどうしてるのだろうか。破産手続きでもしてるのか、また新しい店舗を探してるのか。
GOTOイートをめぐって不毛な騒動が起きている。「そもそも飲食店なんて必要だったっけ?」というそもそも論まで起きている。
確かにそのそもそも論は問題提起として正しい。自炊すればいいし、面倒ならケータリングもある。だから飲食店を保護する必要なんてない。それより感染拡大防止のほうが重要だ。
そういう主張に個人的には感情的な反発をおぼえる。
誕生日会や結婚式の二次会など、飲食店が舞台の思い出も色々とあるだろう。飲食店は人生を彩る。生活圏と離れたところで食事することそのものに、価値があるように思う。お店が無用な騒動で追い込まれ、姿を消すのはそういう彩りを失うことにほかならない。
「食」から徹底的に無駄を削り取れば、サプリと水とプロテインでも摂ってればそれで済む。何なら点滴でもOKだ。若いうちから胃瘻でもやれば、その先ずっと食べずに済む。料理や片付けだけでなく、咀嚼の手間さえ省けるだろう。
でもそうできないのは、やはり誰にとっても食における「彩り」が、生きる力となるからだろう。
恐怖心への加担は、間接的に人を殺す。
精神を殺し、肉体的にも殺す。
ウイルスより怖いのは人間であると、「閉店」のお知らせを見るたびに思ってしまうね。人間を殺すのは、人間なのだ。
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