会話を損得で考える
会話において話す側と聞く側。どちらが得をするのだろう。
そもそもストレス発散であるおしゃべりにこういう損得勘定を持ち込む時点で相当野暮な話だ。
それに答えは明白なので、あえて書くまでもない気がしてきた。
得をするのは聞く側だ。簡単な話で、情報をゲットしているから。話している側は一方的に情報を提供している。誰もが自分の知らないことを知っているから、ふむふむとじっと聞いていると、何らかの自分にない知恵や知見が得られるものだ。
ただ多くの人にとって、おしゃべりのインセンティブは、損得ではない。コミュニケーションだったり、ウーイングだったりするだろう。コミュニケーションだったら程よく話して、程よく聞いて、相互理解を深めるのが良いし、ウーイングだったら一方的にまくしたてて相手を圧倒するのも良いかも知れない。
ただ僕の場合は、どうしても身体を見てしまう。身体の動きから、相手の人となりや内面を推測してしまうし、動きや姿勢の変化から内的変化や成長を計ってしまう。
その観点から言えるのは、動きが変化しやすいのは聞き上手の人だ。話す一方の人は、なかなか動きが変化しない。クセがなかなかとれない。よく話すから目立つし存在感はあるけれども、動きはあまり変化しない。その一方で聞き上手は寡黙で目立たないけれども、短期間で見違えるほど動きが変わる。
成長とは別人になるということ。聞き上手な人はその方向性で貪欲なのかも知れない。だから情報収集にも熱心。未知の知恵や知見に対して謙虚。別人になるということは、新しい自分の姿を見つけるということ。なんかアパレルのポスターによくあるキャッチコピーみたいだけど、まあそうなんだから仕方ない。
つまり聞き上手はオサレってことで(関係ない)
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