「練習」してるのか、してないのか
練習してるのか、してないのか。
それが問題だ。
練習のための時間と手間を確保する。それもまた練習だ。
かといって、漫然とクラスに出てても果たしてそれが練習になるのかどうか。熱心にクラスに出席しても練習になってないこともあれば、たまの出席でもちゃんと練習が成立していることもある。
両者の違いはなにか。
それは「できないことをやろうとしているか、どうか」じゃないかと。
だから練習とは「現時点ではできないことをできるようにすること」を意味する。
しばしば言われるように、箸は毎日使っているけど、別に達人レベルに達するわけではない。誰もがハエを箸でつまめるわけではない。つまりただ毎日繰り返すだけでは、ある程度のレベルに達した時点で成長はストップする。
だから練習には「できないことをできるようにする」という定義が必要になる。そこに含まれない行為は、いくらクラスに参加していようと「練習」に含まれない。
もちろん得意を伸ばすという考え方もある。できないことに向き合わず、できることだけを繰り返す。それでも確かに上達しないことはないけど、iOS12.1がiOS12.2になる程度のマイナーアップデートが関の山。iOS12が13になるような大きな変化は望めない。
これは本当に残酷で、できることだけやってるのと、できないことに取り組んでいるのとではあっという間に差が生まれる。だからできないことに取り組んだほうが、端的に言えばコスパがいいのだ。できないことをそのまま放置していると、ものの見事にその苦手な部分だけが冷凍保存のようの残り続ける。
僕は自分にできないことを見つけたら、まあできる範囲で克服をしているつもりだけど、ずいぶん妥協もしてしまっている。もともと空手だの古武術だの、ざっくりくくれば立ち技の人だったのでグラウンドワークに対して非常に抵抗があった。これがいつまで経ってもなかなか取れなかったので、ムキになって練習したらなんだかいつの間にか得意分野になってしまった。
妥協の代表格は語学。英語はBBC聞いたりなんとかしてるけど、まだまだだ。あとはロシア語もあるし。
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