
noteで学べるシステマ講座 第48回「マスターの言葉はなぜ認識を変えるのか Part2」
マスターの言葉はなぜ認識を変えるのか Part2
Part1ではマスターたちの言葉をいくつか紹介しました。
SYSTEMA MASTER Bot には北川がセミナーやインタビューなどから集めたマスターたちの名言が現時点で600個ほど収められてますので、ぜひフォローしてみてください。
ミカエルに質問すると、まったく関係なさそうな返事がかえってくることがあります。それで「ちゃんと訳してるの?」と、通訳さんが疑われてしまうこともしばしばです。私も疑問に思って、ミカエルのインタビュー音声を別の通訳さんに渡して確かめてもらったのですが、やはり正しく通訳してるとのことでした。
ミカエルの話は縦横無尽に飛ぶので、ミカエル本人の中では論旨がつながっていても、聞いている側からするとまったく見当違いに思えたりするのです。そういう経験を幾度となく繰り返して少しずつ分かってきたことがあります。それはミカエルやヴラディミアは、「質問に縛られない」ということ。
質問の拘束力
質問には拘束力があります。質問者はなんらかの回答を想定しているものです。回答もそれに左右されます。その最たる例が新聞の世論調査です。新聞によって結果のばらつきが生じるのは、編集方針が設問や回答に影響を与えるからです。つまり質問にはどうしても質問者が想定した解答を促すような、拘束力が働くのです。それを除去するのはなかなか困難です。
質問の拘束力は日常の至るところにみられます。
例えばどこかに招かれて「コーヒーにする? それとも紅茶?」と聞かれたとしましょう。「どっちにしようかな?」と考えた時点で、すでに質問に拘束されています。本来なら「オレンジジュース」や「ビール」、あるいは「それより親子丼ほしいんだけど」と言うこともできますし、選択をしないという自由もあります。それにも関わらず、答えを一気に二択にまで狭められてしまっています。
さらに言えば、質問者の求めるタイミングで質問に答える、あるいは答えようかどうか判断をするという時点ですでに、質問に拘束されているのです。
これは質問者も同様です。質問者も自ら発する質問の前提に、縛られてしまっているものです。しばしばある例が次のような質問です。
「私はプッシュアップができていますか?」
私のプッシュアップを観て判断してください、ということです。
このたった一問の質問から、質問者がすでに次のようなことに縛られていることがわかります。
ここから先は
¥ 500
お読み頂きありがとうございます。投げ銭のかたはこちらからどうぞ!