にちようび
何も予定を入れていなくてよかった。
新しい急須で淹れたほうじ茶を飲み始めた時に目にしてしまった訃報。
どうして何故、どうなりたかったんだろう、どうだったらその選択は避けられたんだろうと思うのはやめようとあの時決めたのにやっぱり思ってしまった。
2ヶ月前ある人の訃報をきっかけに、今自分が思っていることを文章にしたくなった。とりあえず想いを綴るうちにいろんな気持ちが湧いてきて、当日中に気持ちを文章にまとめるのは難しかった。
その時から、きのうかおとといおもったことを書こうと決めた。
今でも書いているうちにこの表現じゃないとか、これは正直じゃないとか書いては削ることが多い。こうなったら思いがまとまらないのが自分なのだから、その葛藤を正直に表現したいと思いはじめた。自分で書きながらもたまに予想外のオチでこんなふうにも考えられるんだと発見があったりもする。
職場では考えてることは少数派なことが多いかもしれない。改善意欲の無い人にはもう分かってほしいとは思わなくなった。なのでたまに意見があったり、理解してくれようと頑張る後輩には感謝している。
こうして思ったことを文章にしていれば、反応はなくても共感してくれる人がひとりぐらいいるのではと期待している。まぁ共感はしなくてもこんな人もいておもしろいなぐらいに思ってくれる人がいるといいな。
報道もあのときより変わっている。
辛い時は身近な誰かに相談を!とアナウンサーは口々に言うが、相談された側が適切なアドバイスができるとは限らないのではと思う。相談されたらなんて言ってあげたらいいのか、救ってあげられなかったとして、そのあとはどう生きていけばいいのだろうと、数年前に相談されたっきり連絡がない人を思い出した。
テレビもネットも報道のあとに決まっていのちの電話などの相談窓口の表示があるが、いまいちしっくりこない。
電話って繋がりにくいんじゃなかったっけ?人手が足りなくて相談員募集してなかったっけ?厚労省って信用できるんだっけ?
自分ならと考えて、好きなアーティストにアドバイスして貰えたら元気になれそうとか勝手なこと考えて、それは相当図々し過ぎると反省した。
存在自体、作品自体で元気になれるし、歌の歌詞やSNSのちょっとしたひとことに自分を重ねて状況を置き換えて頑張れる単純な人間だ、わたしは。
わたしたちに与えるばかりのアーティストや芸能人こそ心の拠り所が近くにあってほしい。