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読む人の自由


『書いた僕と読んだ君の意見が違っていても、間違いではありません。』


村上春樹さんが自身の小説について高校生に語っている新聞記事を目にした。

小説にかぎらずいろいろな物事に対する解釈がけっこう好き勝手暴走してしまうわたしにとっては村上さんの言葉はなんか嬉しかった。
作者によってはそのような認識でない人ももちろんいると思うが、読む人の自由と宣言されると余計わくわくする。
必ずや読みます。
この目の前の積ん読が消えたら。


小説のように文章の量が多いものだと思い浮かべるだいたいの情景はおそらく皆が似通ったもので、その少しの余白の埋めかたの違いで人それぞれの解釈が生まれるのだと思う。

歌の歌詞となるとどうだろう。
短い歌詞の行間には余白が多いからこそさまざまな解釈が生まれて当然だとわたしは思う。
人によってだけでなく、自分の中でもその時の気持ちや状況が大きく反映されて如何様にも印象は変わる。

想像が掻き立てられ、自分と重ね合わせ、正解を知りたいような知りたくないようなもやもやも楽しいし、セルフライナーノーツを見てしまって作者のプライベートまでも覗き見してしまったような気になったり、そういうことに見せかけてそういうことか!いやホントは逆なのにそういうことにしとくんだな、と勘ぐりを入れるのも楽しい。


あるラジオ番組で、MVの考察のようなものをクリエーターとリスナーとが意見を交わしていたが、その意図していたことがわたしの想像と全く違うと知り、けっこうがっかりしたことがある。

確実なビジョンがあって作ったのだろうから、それが正しく細かく解釈されると作り手としてはやっぱり嬉しいんだなぁとがっかりしながらも思った。

ちなみに、その曲の歌詞とMVの世界観は、わたしの中ではそもそもリンクしていなかった。


曲だけ
歌詞だけ
MV
生ライブ
映像でみるライブ

ひとりでみる
誰かとみる
好きな人とみる

同じ曲を聴いてもすべて印象が違うからおもしろい。
ライブによっても演者のコンディションや場所客層などで聴こえ方が違ってくる。



1stアルバムが好きで、広く認知されはじめてからリリースした2枚目3枚目のアルバムはちょっと敬遠していたが、ストリーミングライブを観てまた印象がかわった。


アーカイブ終了。
わたしの心の中のアーカイブがむくむく広がりはじめる。


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