今週の博耕房【第五週目】
今週の博耕房の授業記録です。
先週はGWだったため、お休みでした。今週から再開です。
しかし、5月は中間テストや調整週のため2回しか授業がありません。(一応GW前の4/30は5月の1回目になっております。)
さて、今週の内容を振り返っていきます。
〇キソトレの「キントレ」
今週はキントレからスタートです。
今回は2009年のセンター試験大問1『かんけりの政治学』栗原彬著の問2・3を使って論理構造を確認しました。
博耕房のみならずあらゆる出講先の授業で今週は、そもそも「論理構造」を筆者が組み立てるのはなぜなのか、ということを問いかけています。
わたしなりの解答としては、論理構造を組み立てるのは「主張」を読み手によりよく理解してもらうためであります。(一応執筆経験もあるので)
すると、われわれはその構造を汲み取ってあげることが求められている、というよりもそれを理解するように読んでいった方が内容の理解も深まるはずなのです。よって、「キソトレ」などを参照しながらその構造についての理解を深めましょう、というのが今週(というよりも当面の)目標となります。
ここら辺の「読む」作業はやはり2月から高三が始まっている出講先などでの浸透度が高いですね。つまり、繰り返すことによって理解度は深まるのです。
一応、キントレの問題も置いておきます。(センター試験の抜粋ですが)
タイトルは「比喩の理解」となっていますが、確認したのは「対比」「例示」「類比」などです。この文章の前半で確認できる情報は本当に多いんですよね。
〇【ハイレベル】『はみ出しの人類学』第三章①
ハイレベルは第二章の通読と要約をGW中の宿題として課していました。
よって今回は第三章からスタートです。
<文章内容>
⑴ 文化人類学とは他者を知り、自分を変化させる学問である
→ 別のところのテキストにも入れたのですが、2005年の東北大で同じようなテーマの文章が出ていますね。(「行」についてのお話)
⑵ 自分と他人の「境界」~ベネディクト・アンダーソンのお話を添えて
→ 人類学を語るうえで不可避の内容としての「国民国家」という枠組みと、それを「想像の共同体」であると喝破したアンダーソンのお話。
解説時は「国民国家」「ナショナリズム」「国語」「標準語」などの話も交えながら「国家」とは何なのかについて補足説明をいたしました。
GW前の授業でも「嫌韓」「嫌中」というテーマから国民という概念については説明したのですが、今回はアンダーソンの話とともにもう少し踏み込んでお話をしました。結論は、「国語って言葉は多分にイデオロギーに塗れているよね」ということです。
<設問と解説シート>
ファイルをご覧ください。
今回は文字数を絞った記述の訓練を目的として作問しました。あ、そう。この問題は毎回自分で作問し、自分で解答を出して授業をしているんです。おかげで作問能力はメキメキとついていますが、一方でめちゃくちゃ時間がかかってます。今年は自分で教材を作る(=自分で授業や課題のすべてをコントロールする)出講先がほとんどなので、授業をしていてのストレスはほぼないのですが、作業時間がべら棒に増えました。
40分で授業とか無茶苦茶なこと言われないから、楽しくていいんですけどね。
さて、今回の問題でもやはり「理由問題」で苦しんでいましたね。理由問題って「因果関係を構築する」ことが難しいんですよね。それなりに答えが書けているようでも、実は因果関係に不足が生じていたり。そこを詰めきるように指導するのがライブ授業の醍醐味です。
宿題は要約。
〇【ベーシック】『友だち幻想』第二章②
<文章内容>
⑴ 交流という「喜び」
→ 交流には①交流そのものを楽しむこと②他者からの承認を得ることの二種類があるよね、という内容。
⑵ 他者とは
→ 「他人」というとどこか冷たい響きだけど、「他者」は自分ではない人間の総体だよね、という内容。
<設問と解析シート>
こちらは「論と例の対応」を意識した作問にしました。要は、「例」の部分はあくまでも「論」の部分の説明なんですよ、そこをしっかりと書ききりましょうね、という問題です。
この意識が「なんとなく」文章を読むことからの脱却につながっていきます。
さて、今週は以上となります。
来週はハイレベルのみ授業を行います。
それでは。