山の中を全裸で歩きたいと言う達観した友人の話
こんにちは、たけちゃんです。
2024年5月22〜25日に、公共交通機関を使って、信州巡りをしてきました。
主な巡り先は、諏訪湖・松本・岐阜県上岡・安曇野あたり。
どの場所も初めて行くところだったので、全ての景色が新鮮で眩しいものでした。
その中でも、私にとってメインイベントだったのは、24・25日に友人と計画していた、岐阜県上岡にある「ひだ宇宙科学館 カミオカラボ訪問」と「夜の星空写真撮影」。
私は車の免許を持っていないので、友人の車で連れて行ってもらいました。(ありがたい!)
この記事で残したいのは、カミオカラボが楽しかったとか、星がキレイだったとか(ちなみに曇ってほとんど見えなかった)、そういった内容ではありません。
車で連れて行ってくれた、その友人が話す達観した言葉に、ひたすら打ちのめされた・・・という話です。
その友人は、私より5、6個だけ年上の30代なのですが、まるで老年期のように(失礼)命の真理や本質を自然に表現してしまう、菩薩のような方です。
そんな友人と過ごした中で、友人が私にかけてくれた忘れたくない言葉を4つ紹介します。
1. 「生きていること自体がとても疲れることだから、その中での様々な出来事を悲観的に捉えるのではなく、前向きに昇華できると良いよね」
この言葉は、私の身近で最近起こった出来事として、父親の末期癌発覚や、実家仕舞いをしたこと、実家の星空が見られなくなったことなど、少ししんみりした話をしていた時に、友人が言った言葉です。
まず、「生きることが一番疲れる」とはっきり言葉にしていたことに大変驚きました。
なぜなら、私にとって「生きていること」というのは、当たり前すぎて「捉える物事」の対象にもなっていなかったからです。
例えるなら、自然災害があります。地に足をついている時点で、どこへ行こうが自然の力からは逃れられません。それにもかかわらず、あちこちへ逃げ惑うイメージです。(これが私です)
自然災害は、人間にとって、命を脅かす恐ろしいものです。しかしマクロな視点でみると、大地に水や空気が流れ、新しい命を育む血液の循環のようにも捉えられます。
友人は、そういう視点から見れば、自分たちは取るに足らないものだとも言っていました。
どのような場所で生きているかを認識し、受け入れ、与えられたものや出来事にプラスの要素を生み出しながら生きること。
地に強く根を張って生きる大樹のような、友人の在り方を感じた言葉でした。
2. 「1日15分、中国語の勉強を続けている。今日は230日目」
お風呂から上がって部屋に戻ると、友人がスマホを片手に、簡単な仕事と、1日15分の中国語の勉強を終わらせたと言うのです。
具体的な継続日数は忘れましたが、230日とちょっと(すごい!)くらいだったと思います。
友人は、出張先や山登り(友人の趣味)、旅行先でも、1日15分の中国語の勉強を欠かさないと言います。
これには大変衝撃を受けました。なぜなら、私は今回の旅行では、勉強道具を全て家に置いてきたから!
・・・決意の温度が違う。
さらに友人は、宿泊施設に置いてあるメッセージノート(宿泊者が思い出などを記したもの)に書いてあった中国語の文章を、しっかりと日本語に訳して読んでくれたのです!
学ぶことの楽しさや素晴らしさを、目の当たりにした瞬間でした。
この言葉を紹介したのは、言わずもがな「継続する」ことが簡単なことではないから。そして、継続することが、どれほど身になるかを痛感しているからです。
友人を見ていると、それは安定した焚き火のように、周りにいる人も暖かくしてくれたり、火種を与えてくれたりするのだと思いました。
3. 「かわいいでしょ? 回してもモードが切り替わらないんだよ」
この言葉は、星空写真を撮影中、友人が愛機のカメラを紹介してくれた時の言葉です。
長年愛用しているため、カメラモードを切り替えるダイヤルを回しても非常に反応が悪く、設定に時間がかかっていました。
さらに、本体の液晶モニターには、いくつかのホットピクセルが。一般的には、買い替えて当然のカメラ状態だと思います。
それにもかかわらず、友人は、
「この赤いドット(ホットピクセル)がかわいい」
「シャッタースピードも変えられなくてね」
「ああ、全然モードが全然切り替わらない」
など言いながら、なんて楽しそうに、なんて嬉しそうにカメラに触ることか!
また別のカメラでは、長年寄り添っていたことを感じさせる、年季の入った擦り傷や色褪せを見せながら、「こういうところがかわいいでしょ?」と誇らしげに自慢するのです。
身近な場所へ星を撮りに行った時も、遠い海外を旅行した時も、寒さの厳しい過酷な山へ登った時も、共に過ごしたカメラだそうです。
そんなカメラたちを見る、友人の優しい目が忘れられません。
物を大切にすること、そして愛するということの本質を垣間見た気がしました。
4. 「衣食住を背負って山を登るというのは、良いものだよ」
安曇野の高台から、日本アルプスの山々を眺めていた時に、友人が言った言葉です。
有名な山岳スポットはもちろん、厳しい山々を数日かけて縦走したりと、本格的な登山を趣味とする友人。
残念ながら、登山経験がほとんどない私には、その言葉の本質をまだ実感できません。
しかし最近、強く共感した言葉があります。
もう一つ、「ひだ宇宙科学館 カミオカラボ」の石碑に刻んであった言葉を紹介します。
どちらの言葉からも、わずかな一歩や存在の過程が、より大きな何かを達成するために必要不可欠な要素だと教えてくれます。
また、「衣食住を背負って」という言葉の奥には、捉われることのない身軽さと、友人の生き生きとした在り方が感じられます。
一歩一歩、かけがえのない今という一瞬を味わいながら生きているのだと、大変印象に残った言葉でした。
・・・まだまだ挙げたらきりがありませんが、精神的にも(人間的にも)大変未熟な私にとって、友人の存在は自分自身を奮い立たせ、成長させてくれる存在であることは間違いありません。
鳥とコミュニケーションを取ろうと、一緒に口笛を吹いて山を歩いたり・・・
「(大自然の中で)全裸で歩きたい欲が抑えられない」と言う友人に爆笑したり・・・
30を過ぎて、こんな友人に出会えたことは、本当にありがたいことではないでしょうか!
ひたすら心底癒されました。
おわりに
会うたびに新しい知見や大切な気付きを与えてくれる友人に、またそれは仕事でも同じく、与えてもらってばかりで、私は何を返せているのだろうと思うことがよくあります。
しかし、常にたどり着く答えは、
"今そばにある大切な存在へ、ほんの少しでも良いからプラスの要素を与えられるようになるために、自己研磨に励むこと"
プラスの要素というのは、言葉かもしれないし、行動かもしれません。
技術的な専門スキルかもしれないし、形ある物質、もしくはそれ以外の何かかもしれません。
そして、与えられる人は成熟した人だから、もっと成長したいと思うのです。(今の私に伸び代しかないことは自信を持って言える!)
今回の信州巡りを、美しく充実したものにしてくれた友人に感謝して。そして、改めて人生への初心の気持ちを忘れないよう、この記事を残します。
初夏の日差しが暖かい自室より、リフレッシュした心と体と共に。
2024年5月26日
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