おとん
どうも、あっちゃんです。
先日、10月21日に公開させて頂いた「おかん」ですが、
#先日っていつの話やねん
#公開したつもりになってた
#下書きにずっと保存されてた
妹のまきちゃんが、鍋居酒屋なっちゃんの厨房の床を鼻水と涙でビチャビチャに濡らし、嗚咽を吐きまくる程の好評をいただいたみたいなので、味をしめて、今日は"おとん"の話をしたいと思います。
(後日、妹のケツ、基い、厨房の床は兄である、あっちゃんが綺麗さっぱり懇切丁寧に拭かせていただきました。なっちゃん、その節はお手間をおかけしました。)
#嘘ですごめんなさい
#自分のケツは自分で綺麗さっぱり懇切丁寧に拭いておられました
#綺麗さっぱり懇切丁寧を言いたいだけやん
ごほん。。
えーーと。
少し長くなりそうなので、「何を言いたいか」を先に申し上げます!
えと。
おとんから受け継いだ、教えて貰った、大切な大切な事は、やっぱり子供にも伝えなくちゃいかんなと思った事。
そして、受け継いだけど、真似しちゃあかん事もあるなと思った話です!
では。
拙い文章ですが、最後までお付き合いいただけると喜びます。
■恐怖の大王
僕はこの世に生を受けてから、幼少期、少年期、青年期の手前くらいまで、とてつもなく 強大な恐怖の大王と生活をしてました。。。
そう、おとんです。
(怖くて怖くてその時は「おとん」なんて呼べませんでしたが)
酒とタバコとギャンブルが大好き。
(女には一途だったと思う。知らんけど。)
酔って機嫌が悪くなる事があると、ウホウホ唸り声をあげて、感情のまま、おかんをぶん殴り、兄をガラス戸にブチ投げたり、傍若無人の限りを尽くしました。
うんこは投げないけど、ゴリラみたいな人でした。
自営業で仮枠大工と丸太を使った足場屋さんをしていたので、腕もぶっとくて、日に焼けて黒々してて、ほんと、もう、見た目もゴリラみたいな人でした。
いや。
もしかしたら、本当にゴリラだったのかも知れないです。
#僕はゴリラに育てられた子ターザンです
(ごめんなさい。。真面目に書きます。)
おとんは、家族に対しては本当に厳しい人で、基本は何を言っても聞き入れてくれない。
何かお願い事がある時に「お父さ、、」と言うと、食い気味に
「あかん!!」
交渉の余地なんて無い。
おとんに名前を呼ばれると反射的にビクッとなる。
「俺がカラスは白と言えば白やウホ」が口癖。
そんな人です。
本当に、常に緊迫した状況だった。
気を遣わせる人でした。
帰ってくるのが嫌だった時もあった。
代わりに手に入れたのは、悲しいかな、笑ってもらう事で緊迫した状況から逃げる事だった。
(笑う事とか面白い事はずっと好きですよ!)
■真似しちゃいかん事
ところで、髙田家には、
・門限は何歳になってもおおよそ最大で18時
(基本おとんが仕事から帰ってくるまで)
・晩ご飯は皆んなで食べる
と言う、ルールがありました。
僕はこのルールを守れず、その度、殴られて、恥ずかしくて学校にいけないくらいに顔をパンパンに腫らす事も何度かあった。
年頃になって、不満が爆発しそうになったけど、怖いし、話しも聞いてもらえないと決め込んでたので、ただただ、態度で反抗を繰り返していました。
そんなこんなで、高校生になったころ、腹を決めて、遂に、恐怖の大王と真正面を向いて話し合う事を決断しました。
交渉の結果。
一旦、晩ご飯を皆んなで食べてからなら、そのあとは22時までなら良いという絶妙な折衷案で落ち着いた。
めちゃくちゃ勇気を出して勝ち取った成功。
恐怖を経験したからこそ、腹を決め込んで、立ち向かう強さを教えて貰った瞬間だった。
っと、、
今は思えています。
ぶっちゃけ、おとんが死ぬまでの1年前、僕に弱さを見せてくれるまでは、思えてなかった部分もあると思います。
今は、おとんも親から教えられたやり方であって、他にやり方を知らなかっただけなんだと、納得も出来てます。本当に。
ただ、これは受け取る側が理解しないといけなくて。
子供は違うかもしれない。
受け取り方が違うかもしれない。
だから、ここは真似しちゃダメだと思う。
だって、やっぱり、基本的には緊迫した状況は好きではないですし、腹を決め込むまではめちゃくちゃビビリですもん。
ほんで、感情だけでする暴力はあかん!
■真似して欲しい事
と、まぁ、ここまで、世紀末な恐怖のおとんになってますが。
ここからは、子供達にも真似してほしい、めちゃくちゃ素敵なおとんです。
おとんは、夜に親が働きに出ているお家の子を連れて来て、家で一緒にご飯を食べる事が多かった。
「遠慮はいらんウホ」が口癖
僕達が嫉妬するくらい、どこの子にも、同じ様に分け隔て無く、愛情を注いでいた。
見返りを求め無い愛(おかんも)を持っていた。
(だから僕は人間関係においては「自分はこれだけやったんだから、君はこれだけ返してね」って考えの人は苦手なのかもしれない。)
友達が家に遊びにくると(友達にも恐怖は伝わってたので家に来るのは本当に稀でしたが)、緊張させないようにと、生きてる蝉を口に入れた挙げ句、お小水をされてフガフガ言って笑わせてくれた。
小学生の頃に、Gジャンがめちゃくちゃ流行った時期があって、おとんにオネダリしようとしたけど、案の定、食い気味に「あかん!!」て言われて。
けど、後日「お父さんから」って、Gジャンをおかんから渡してくれた。
9人兄妹(8人やったかも)の長男で、親戚皆んなで集まった日は、帰るなと喧嘩になって、最後はいつも一人で泣いていた。
寂しかったけど素直に表現できなかったんだと思う。
犬が好きで、飼っていた土佐犬に「チェリー」なんて名前をつけるセンスの塊で。
キュートで、粋で、不器用だけど、人が好きで、凄く寂しがり屋で、お祭り好きで、照れ屋で、実は泣き虫で、実は配慮がある人だった。
全力で子供達に伝えたい、受け継いで欲しいこと。
何よりも、無条件で愛されているんだと、伝えたい。
■親孝行
ある日、門限のルール変更を勝ち取ったにも関わらず、おとんはお酒に酔って、感情的になり、鍵が閉まっていた時があった。
家出をした。
その日から、実家に帰る事は無く、妹以外とは連絡をとる事はしなくなった。
おとんは、人伝に、僕が遠くのパチンコ屋で働いている事を知ったらしく、そこら中のパチンコ屋に、僕の事を探しに来てくれていたらしい。
しかも、おかんが車を乗っていたから、家に足が無く、歩いて。
言葉にはしないけど、おとんも、悪い事をしたと思ってくれてたんだとおもう。
その行動を知ったのは、おとんが死ぬ一年前くらいの話。
その頃は和解はしていて、連絡も取っていたけど、僕は大阪で一人暮らしをする事を決めていたから、実家に帰る事はしなかった。
元々、糖尿病だった、おとんは体調を崩して、入退院を繰り返すことになった。
それでも、お酒は辞めれないでいた。
僕が家を出て、兄とは喧嘩別れして、妹もあまり家に帰らなくなったから、寂しかったのかもしれない、苦しかったのかもしれない。
たまに、泣きながら僕に電話をして来た。
「あつし、ワシはどうしたらええんやろ」
僕に直接弱さを見せてくれた。
あのゴリラ親父が。
きっと、僕が反抗を繰り返していた、あの時もこうやって悩んでたんだと思う。
一生懸命に育ててくれたんだと思う。
その想いと、貰った愛は子供達に伝えないといけないと、強く思った、今日この頃です。
■おとんへ
大好きなお酒を飲み続けて、最期は妻、子、親戚一同が見守る中、あちらの世界に旅立てたのだから、さぞ、幸せな人生だったでしょうね。
おかんがおとんと結婚した理由は、近所でデートしてる時に、その辺の子供と遊んでる姿を見て「子供が大好きな人なんだろうなと感じたから」らしいですよ。
「でも、こんな暴力夫とは思わなかった、騙されたわ笑」とも言ってましたが。笑
孫を腕に抱かせてあげたかった。
一緒に大好きなお酒を呑んであげたかった。
もう少し、一緒にいてあげたほうがよかったと思う。
せめて、あの時、鍵を閉めていた事、もう、怒ってないよって、ちゃんと伝えてあげたかった。
おかんと出会ってくれてありがとう。
ゴリラ星になっていつまでも見守って下さい。
おわり