
わいの骨巨細胞腫闘病記
普段釣りのことばっかりの自分ですが、今回は自分が罹った病気に関してになります。
2024年7月、私は骨巨細胞腫という謎の病が発覚し、手術、入院を経て、現在はリハビリを継続しながら経過観察のフェーズに入ってきています。この病気が結構珍しくネットで調べてもあまり情報が多くはなかったので、同じ病気で苦しむ方の助けになればと思い闘病記を残しておきます。
まずは簡単に私の闘病サマリを書いておくと、
・左大腿骨遠位の骨巨細胞腫
・2024/1に膝に違和感→2024/6末にMRIで骨腫瘍発覚
・2024/7に生検手術、2024/9に掻爬手術(人口骨)
・2025/1現在、杖歩行ができる状態。膝の可動域は最大140度程度。
といった感じです。ちょっと長くなるかもしれませんが、普段仲良くしていただいている方も読んでいただけたら嬉しい限りです。
骨巨細胞腫と自分の症例
まずこの病気が何なのかというところからですが、とりあえず専門的なサイトからの引用はこんな感じ。
骨端軟骨線が閉鎖した後の20-30歳台に発生する骨腫瘍です。増殖力が強く骨破壊性の腫瘍で、WHOの分類では中間悪性の腫瘍に位置付けられています。ごく稀に肺転移を生じることがあります。
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治療は手術治療です。手術では腫瘍組織を徹底的に掻爬(掻き出し)します。しかし、それだけでは局所再発率が高く(単純掻爬では30-50%)、フェノール処理、凍結手術、アルコール処理、電気メスによる焼灼、アルゴンレーザーなど施設によってさまざまな追加治療が工夫して行われています。
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また、関節軟骨の温存が困難な場合には、関節ごと切除して人工関節置換術などの再建術を行うこともあります。
https://www.niigata-cc.jp/disease/kotsunanbuRyouseiSyuyou.html
自分の理解で説明するならば、
骨を破壊しながら成長する腫瘍。でもあくまで骨しか破壊しない。
治療は腫瘍を取り除く掻爬手術が基本だが、破壊された骨の箇所次第では腫瘍用人口関節なども。
再発率がめっちゃ高い。症例が少ないため文献によって再発率は様々。
稀に肺転移、悪性化することがある。
こんな感じですかね。ランマーク治療というのもあるけど、進行を抑えるにすぎないので手術可能な症例には最近は使わないことが多いとか。かなり昔は放射線治療みたいなのもあったそうですが、それも今はやってないそう。自分が調べた中だと悪性化した症例が放射線治療と絡んでたので、何か関係あるんですかと主治医に聞いてみましたが特に相関は認められてないらしい。まだまだ研究が進んでないから何も原因が分からないとのこと。まぁとにかくこの病気が年間100~200人くらいしか罹らないし、発症箇所も様々でなかなか研究は進んでないそうで、おかげで治療方針も様々とのことです。
自分の症例は左大腿骨遠位(膝側)のど真ん中に5cmくらいの腫瘍ができており、掻爬しづらい箇所でかつそこそこ進行した状態になっていました。後に詳細を書きますが、主治医には腫瘍用人工関節への置換を勧められました。
人工関節と聞くと高齢者の方がよく使われているイメージですが、骨腫瘍患者にはそれとは異なる、完全に骨まで取り除いてしまう腫瘍用人工関節が適応されます。関節ってよりかは、骨を代替するために関節も落とすって感じですね。


この腫瘍用人工関節のデメリットは
・運動能力の低下、制限
・破損するリスク
などがあります。運動能力については容易に想像できますが、破損リスクについては特に人工関節の寿命が30年程度と言われることもあり、死ぬまでに何度か手術が必要になることがほとんどとなってしまいます。また過度な負担で壊れることも多く、その都度手術が必要になります。そのため私はこの腫瘍用人工関節に置換することがかなり抵抗がありました。
ただこの病気自体が再発率が高く、さらに私の症例が掻爬しづらい箇所のため腫瘍の取り残しで再発といったリスクもかなりあるとのことで、そうなってしまっては手術の回数も増えるばかりか結局腫瘍用人工関節にせざるを得ない状況になる、なんてことも考えられます。
そんなこんなで治療方針にはかなり悩みましたが、セカンドオピニオンで受信した先生からは”若いから掻爬手術したほうがいい”と言われたこともあり、今回私は腫瘍用人工関節ではなく掻爬手術を選択しました。ただ掻爬する量も多く、再発するようなら腫瘍用人工関節の適用も覚悟しないとなぁとは思っています。
ここからは時系列順の闘病記です。
膝の痛みに気づいてから入院に至るまで
近所の整形外科へ
私が一番最初に膝の違和感に気づいたのは2024年の1月くらいでした。その時はどちらかというと膝の違和感というより、それによって起きる腰痛のほうがしんどかった記憶があります。膝の違和感で歩き方や姿勢が変になって腰に負担をかけてたんでしょうね。整形外科は受診しましたが、普段リモートワークで運動不足かつ椅子に座りっぱなしだったこともあり、特にレントゲンに異常はないので運動とストレッチしましょうと言われて終わりました。まぁそんなもんだよなと思いながら帰宅し、その後整体に通うようになりました。整体は初めて行きましたが、あれはめっちゃ気持ちいいし腰痛には効きますね。。。整体で施術を受けた直後は劇的に良くなった気がして、これを続ければ治るだろうと信じ通い続けていました。
ただ2か月ほど整体に通い、普段の姿勢改善やストレッチの効果もあり腰痛だけは消えましたが、膝の違和感だけはどうにもよくはなりません。整体師の方から病院に行ったほうがいいと言われ、いやいやもう病院は受診済みや!と思いながらも一応、再度同じ病院を受診することにしました。
で、再度受診したのが2024年の4月。レントゲンを再度とって異常なし。やぱり運動不足やストレッチ不足だろう、ということで全くの進展はなし。実はこの時
「MRIとってみてもいいけど、まぁそこまでは必要とは思いますね~」
って言われてたんですが、いや本当このときMRIとっておけばよかった、、、ってのは結果論すぎますね。今度何かったらどんなに過剰だろうがしっかり検査しようって心に誓いました。MRIなんか1万円くらいしかかからないですからね、ほんと。
その後は同じ病院内のリハビリ科に週1くらいで通い、理学療法士さんのもと運動療法という形でストレッチや運動をするようになりました。
理学療法士さんには
「あ~お尻やふくらはぎの筋肉が落ちてますね~」
「足首が固くなってませんか?」
「水をたくさん飲みましょう!」
等、たくさんのアドバイスをいただきながら運動療法続けましたが、やはり改善されるのは腰痛のみ。膝の痛みは一向に改善されず、むしろ悪くなっていることに気づきました。4月はたしかここまでは痛くなかったよな。。。
と違和感を覚え、2024年6月、再々度同じ整形外科を受診。
MRIを撮ることに
さすがに先生も変だなと思ったのか、MRIとってみることに。MRIだとどこの筋肉が弱いとか硬まってるとかわかるのかな~なんて呑気なこと考えながらMRIを撮り、後日受診することにしました。
そしてMRIの結果が出た6月末日、整形外科を受診して言われた一言。
「骨の中に5cmくらいの腫瘍があります」
聞いて3秒くらいは
「????」
って感じでしたが、徐々に理解すると同時に、先生の話も全く頭に入らなくなっていきました。嘘だと思いたい気持ちもあるものの、それでも見せられたMRIでは明らかに黒い腫瘍がでかでかと映っています。
え、これはもしかして癌なのか?骨肉腫って聞いたことあるけどそれなのか。。?
とにかく不安が込み上げてくる中、なんとか声を振り絞って
「これって癌なんですか?」
って聞いたのまでは覚えていますが、そのあと先生がなんて言ったかは覚えていません、おそらく曖昧な回答をされてたんだと思います。
その後、専門科がありかつ通いやすい大病院への紹介状を受け取り、病院を出たその瞬間に紹介先の病院に予約の電話を掛けました。あんまりどこの病院かは気にしてなかったけど、その紹介状には”がんセンター”って書いてありました。癌かもしれないという不安がより一層強くなる中電話を掛け、どこの科ですか?どういった状況で紹介されましたか?なんて受け答えしているうちに涙が止まらなくなってしまいました。不安で泣くなんて、しかもこの年にもなって。人生で初めての経験でした。
それでもなんとか翌週の初診予約を取り、そのまま歩いて帰宅しました。

黒い部分が腫瘍
がんセンターへ
ここから生検手術が終わるまでは、もうとにかくメンタルがしんどかったですね。インターネットで調べれば調べるほど自分の腫瘍は悪性なんじゃないかと思ったり、もしかしたら死ぬのかななんて考えて、ほんと生きた心地がしなかったです。夜も眠れなくなり、食欲もなくなって5kgくらい痩せました。気を紛らわせるために大好きな釣りにいったりもしましたが、楽しいはずもなく。
がんセンターでの初診でも特に状況は変わらず。ここで”これは良性ですね”なんて言われて、これまでの心労は何だったんだろうなんて笑えたらいいな、なんていう期待も叶わず。さらに先生からは
「生検手術しないと何なのか分からない。ただ良性であることはない」
と言われ、崖から突き落とされたかのような気分になりました。初診では手術のための様々な検査(レントゲン、採血、肺活量?測定、手術の説明などなど)を受け、その場で生検手術の日程を翌週に決めました。またその翌日も通院し今度は麻酔科での説明を受けてきました。
この麻酔科の方の説明、ほんとに無駄にビビらせてきますね笑
失敗リスクとか分かってるんだからいちいち言葉に起こさなくていいよ、ほんと。まぁ仕方ないんだけどね。
初診後から生検手術までは特に何もすることがなく、友達の結婚式に上の空で参列したり、キハダ釣りに行ったり。ライブベイトでのキハダ釣りはもうできないのかなーとか考えながら、激痛の膝をかばいながらなんとか35kgのキハダを釣ることができました。一般的に膝の骨腫瘍の場合は病理骨折のリスクが大きく、手術までは松葉杖等で安静にすることが多いそうですが、私の場合は腫瘍が完全に骨の中心?にあって、病理骨折のリスクはあまりないとのことで、特に運動制限なんかはかけられてませんでした。膝は痛かったですが。
あとはこの期間に整形外科をやってる友達に連絡を取り、いろいろと治療方針やらを相談していました。手元にMRIのデータもあったのでそれを友達に送り、周りの先生にも意見を聞いてみたりしてもらいましたが、そこで1つの病名を聞くことになります。それが”骨巨細胞腫”でした。もちろん断定はできないし、生検手術での病理検査は必須ですが、それでも癌ではない可能性も考えられるようになり、だいぶ気持ちが楽になりました。後に知りましたが、
・アラサーの好発年齢、大腿骨遠位という好発部位
・骨端にできている(骨肉腫は骨幹端に出来ることが多い)
・特徴的な形
ということで、割と典型的な骨巨細胞腫だったそうです。
ただそれでも主治医がそう言わなかったのは、断定は出来ない上に、命に関わる病気だと良いように伝えるメリットは薄いからですかねぇ。私個人としては一刻も早く安心したいところですが。まぁでも仮に骨巨細胞腫って聞いていて実際は骨肉腫でした、なんて言われたらしんどい抗がん剤治療のモチベーションも下がりかねませんし、そうなるとより一層命に係わる事態になりかねませんからね。あとこれは入院中に知るのですが、骨肉腫疑いが高い場合はかなり早い段階から骨肉腫を疑ってると言われることが多いそうです。本当にまずい場合は早くから伝えられるんですね。
ただこのあたりは症例、病院や主治医によっても違うと思いますので参考までに。
いざ生検手術
手術前~手術まで
初診から2週間後、いよいよ生検手術のために入院です。人生初めての全身麻酔での手術ということもあって入院前日から心臓バクバクでした。おそらく3~4日の入院ということで荷物はかなり軽めで、服もレンタル、リュック一つの身軽な恰好で病院へ。入院して翌日が手術でしたが、前日はほとんどすることもなく、ただYoutubeを見ながら過ごしました。手術は朝イチとのことで、前日21時以降は絶食。夕方に最後の晩餐とばかりに甘いものをたくさん食べておきました。ちなみに初めての病院食でしたが、味は思ったよりもおいしく、量以外はほぼ満足でした。最後の晩餐後はOS1を翌朝までに3本飲んでくださいと言われ、あとは寝るだけでした。ただ慣れない環境でかなり緊張している中寝られるはずもなく、1~2時間程度寝ただけであとはYoutubeを見ながら朝を迎えることに。

手術当日は手術着に着替え、9時に歩いて手術室へ。あの重厚な扉を通った先、手術台へ歩くのはさながら死刑執行台に向けて歩かされるエースの気分でした。いやそんな長い道でもないのですが。手術室前で名前等確認される際の声が震えていて、看護師さんになだめられ?ながら、もうここまで来たら引き返せないと腹をくくり手術台へ上りました。もうあとはどうにでも調理してくれっていう、まさにまな板の上の鯉ですね。ただ手術台へ寝転んでからはほんとあっという間でした。
「服脱がせますね~それじゃ点滴刺しますね~麻酔効いてきますよ~」
みたいな感じで、寝そべって30秒後には落ちてたんじゃないかなっていう感覚。んでその30秒後には闇から目覚めたかのような感覚で名前を呼ばれて起こされます。いやほんとあっという間で感動しますね。実際は1時間半くらい?かかってたそうですが、麻酔ってほんとすごい。起こされたからは気持ちに余裕もできてたのか、ベッドでガラガラと運ばれながら「夢って見ないもんなんですね~」なんて看護師さんと会話した覚えがあります。起きた時は尿道カテーテルやドレーンも無く、ただ点滴と酸素マスクがついているだけでしたが、手術した足はなかなかに鈍痛があり、全く動かせそうにはありませんでした。また目が覚めるにつれとにかく寒く感じるようになり、真夏なのに毛布でぐるぐるにしてもらって暖を取りました。その後はICUに行き、そこで数分の面会。
「とりあえず癌じゃなさそうってよ」
っていう話を聞きとりあえず安堵。
ICU
面会も一瞬で終わり、ここからはひたすら寝ます。手術室に向かったのが9時で、面会したのが12時くらいだったかなぁ。。。とにかく暇なのですが、点滴のおかげか前日寝てないおかげか、ひたすらに寝ることができました。このときの痛み止め点滴はロキソプロフェンとカロナールで、次の手術のためにロキソニンを使わずカロナールだけにしてみてもらった時間があったのですが、痛くてすぐにやめました笑
ロキソニンは偉大でした。あとは足に血栓予防のポンプもついていましたが、はずしたいって言ったら夕方頃には外してもらえました。ラッキー。それから15時くらいだったかな?うがいしていいですよ~っていう時間が来ました。でも別に喉も乾いてもないし乾燥もしてなかったので、うがいいらないですって言ったら結構驚かれました。手術中口あけっぱなので乾燥して喉乾く方が多いみたいですね。そのあとの水飲んで良いよっていうタイミングでも、別に飲みたい訳ではないけど一応飲んどくか~くらいの気持ちでした。ただその時使った吸い飲みが、新品を洗わず使ったせいか変な味がして結構後悔しました笑。使う前にしっかり洗っておきましょう笑。
それから夕方くらいには「立てそうならトイレ行ってみましょうか~」と言われ、試しにその場で立ってみることに。ただ足に全く力が入らず、ベッドから足を下すので精一杯、立つなんてもってのほかって感じで、トイレには車いすで行くことに。手術後の最初のトイレは、術中尿道カテーテルがはいってたせいか何かチクってする感じがありました。まぁでもこれくらいはご愛敬。ICUでのイベントはこれくらいで、あとはひたすら寝るだけ。

通常病棟へ
そして翌日には元の病室に戻ったのですが、ここからがなかなか大変。まだ痛くて全然歩くことができないのですが、この日土曜日でリハビリ科が閉まっており、杖なんかを借りることができません。車いすでの移動はできますが、それだと歩けるようにならない=退院できないってことなので、仕方なく病棟の点滴スタンドを杖代わりに歩く練習をすることに。ただちょっと切って骨削っただけだしすぐ歩けるようになるだろうなんて思ってましたが、実際は全然歩くことができず、いやこれ大丈夫なのか?って不安になりました。実はこの生検手術、基本悪性を疑って行うもので、腫瘍がこぼれたり他に触れたりしないようにがっつり開いて手術するため結構な痛みがあることが多いらしいです。でも大丈夫な人は全然大丈夫らしく、自分が痛みに弱いだけの説はありますが笑。
それにしてもこの足が動かない、力が入らないという感覚は生まれて初めてで、どこに力を入れれば歩けるのか、この痛みの中どう体重をかけるのが正しいのか、などなど、歩くまでに本当に苦労しました。歩くためにどこに力を入れるかのマニュアルなんかあればいいのにな。

事前に買っておくのがおすすめ
そして手術から2日後、入院4日目、まだ手術した左足に荷重をかけて歩くことはできず、ほぼ杖だよりでしか歩けない状況でしたが、会社に明日には出勤すると伝えているので、売店で杖を買い、死ぬ気で這いつくばってでるかのように退院しました。そして家でも杖をついて歩く練習を行い、翌週の通院時にはそこそこ杖歩行できるようになっていました。
その通院では術後の診察と、そして治療方針について話をしました。今回の手術は抜糸もないので、術後の観察はほんとに見るだけ。特に問題なし。治療方針については、病理検査の結果はまだだけど骨巨細胞腫でほぼ確定であること、そして私の症例が進行していること、掻爬しづらいところにあることから腫瘍用人工関節の適用がいいと思っていると伝えられました。退院前も似たような話は聞いており、腫瘍用人工関節については色々調べ、また知り合いにも相談しましたが、やはり私にとってはかなり抵抗の強いものでした。そこで、セカンドオピニオンでほかの医師の方の意見を聞いてみることにし、その旨を主治医にもこのタイミングで伝えました。それを聞いた主治医も、それが良いですねといった感じで、病理検査結果でた後に紹介状を書いてもらうことに。ちなみに腫瘍用人工関節に抵抗が強いことは主治医にも伝えており、それを聞いた主治医は
「じゃあ再度院内で話して検討してみるよ」
といった具合で、治療方針については自分の意志をできる限り尊重してもらえそうな気がしました。
そして手術から1か月後に病理検査結果で骨巨細胞腫と確定し、紹介状を書いてもらいセカンドオピニオンを受けることに。ちなみにこの頃は生検手術の痛みはだいぶ引いていましたが、元からあった腫瘍による痛みが強くなり、結局杖をついて歩くようになっていました。
セカンドオピニオンを受診
腫瘍用人工関節か掻爬か。心の中では掻爬がいいと思いつつも自分じゃ決めきれず、セカンドオピニオンでその背中を押してもらうことにしました。
セカンドオピニオンを受ける先の医師については基本自分で探す必要があり、私は知り合いに紹介してもらった骨腫瘍の専門医の方のところへ伺いました。また知り合いの紹介ということもあってか、申し込んでからセカンドオピニオンを受けるまでもかなりすぐ(1週間後くらい?)受けることができました。ネットとかの口コミを見てると、専門性が高い分野の医師のセカンドオピニオンは1か月以上待つことも多いようで、知り合いに紹介してもらえるならそれに越したことはないようです。
なおセカンドオピニオンは保険適用外で、料金は病院によってさまざまです。がんのような専門性の高い診療だと、30分1.5万円~4万円くらいが相場でしょうか。意外と高いと思われるかもしれませんが、自分の足1本を賭けた相談ができると思えば安いものです。
そしていざセカンドオピニオンを受診の日。通常の診療とは全然異なる窓口で受け付けをし、応接室のような場所でセカンドオピニオンがスタートしました。挨拶もそこそこに自分の考えてることとかざっと説明し、
「掻爬か腫瘍人工関節かどちらがいいと思いますか」
と聞くと、
「掻爬ですね」
と即答。開始3分で結論でてしまいました笑。まぁ私から掻爬が良いですオーラを感じとっての回答だったのかもしれませんが。
残りの時間は掻爬、人工関節のメリットデメリット、この病気の予後なんかをじっくりお話させていただき、30分はあっという間に過ぎました。
セカンドオピニオンは30分と時間がかなり限られているので、事前に聞きたいことを紙にまとめておくと良いです。私は事前にテキストファイルにまとめ、それを2部印刷して持っていき、それに沿って会話させていただきました。それに沿って話すことで、聞き忘れとかを防ぐことができると思います。
ちなみに掻爬を勧める理由は、まだ若いから人工関節の寿命のことを考えると、例え再発率がどんなに高かったとしても掻爬にチャレンジするべきだ、という内容でした。自分が思っていた通りの回答を得られたのか、あるいは先生が忖度してそういう回答をしてくださったのかはわかりませんが、いずれにせよ今回は掻爬する決心をつけることができました。病識も深めることができ、このセカンドオピニオンは本当に受けてよかったと感じています。治療に迷ってる方がおられましたらぜひセカンドオピニオンを検討してみてください。私は再発したらまた治療方針を相談しに行こうかな笑。
(一応セカンドオピニオンを受けた病院等は伏せておきますが、気になる方はDMくださいませ)
このセカンドオピニオンはほとんど私の相談的なところが大きかったのですが、1点、病理骨折のリスクに関してのみ今の主治医の方針に反対されました。私の症例では病理骨折のリスクが低いとは言え、それでも通常よりかはかなり高いですし、また病理骨折したらもう取返しがつかないので、両松葉杖で保護すべき、というのがセカンドオピニオンの先生の意見でした。せっかく意見をいただいたことですし、またちょうどそのころには腫瘍による痛みも増していたので松葉杖を買うことにしました。Amazonで翌日配送で4000円。意外とお手軽に入手できるもんですね。
そしてセカンドオピニオンで意見書的なのを貰い、それをもって再度主治医のところへ受診しました。
「じゃあ治療方針、どちらにしましょうか」
「掻爬でお願いします」
「了解です、じゃあそれで進めていきましょう」
特に反対されることもなく掻爬することになりました。主治医の先生も院内で再度掻爬を検討していただき、それでも大丈夫との見解になったようでした。そして手術日程を決め、その後はまた前回と同じように手術前の検査で病院内をぐるぐるしてその日は終わり。あとは別日にMRIを撮り、麻酔科外来を受診しました。
いよいよ?ようやく?の本手術
痛みを感じ始めたのが1月、骨に腫瘍が見つかったのが6月末。そして9月中旬、ようやく治療の手術のための入院が始まりました。前回の入院は未知の病気、初めての手術で不安で一杯でしたが、今回は違います。どちらかというと、ようやくか〜という安堵が大きかったです。
入院当日、しばらく食べられなくなるであろうバーガーキングを食べ、リュック1つの身軽な格好で病院に向かいます。前回も身軽に行きましたが、それで何不自由なかったので今回もほぼ同じ支度で向かいます。ちなみに入院時の荷物は
・PC、ヘッドフォン
・充電器、延長コード
・テニスボール(腰痛対策)
・院内用ポーチ
・洗面具等
・S字フック
くらいでしたかねえ。何が必要なものがあれば大体売店で買えます。着替えやタオルは洗濯の手間等考えるとレンタル一択でした。
あと入院時には持っていってなかったですが、アーム式のスマホスタンド(またはタブレットスタンド)は必須です。ベッドを起こした状態でPC画面を見ようとすると結構腰にきます。スタンドを使って完全に寝転んだ状態でスマホやタブレットを見れるようにしておきましょう。私は入院途中にお見舞いついでに持ってきてもらいました。

入院して翌日が手術ですが、入院日は特にすることもなく。前回と同じように21時以降は絶食なので夕方に駆け込み甘味を決め、夜はYouTubeを見ながらノルマ3本のOS1を飲みます。ちなみに院内Wi-Fiは弱く、また私のメイン回線であるdocomoはほぼ電波入らずだったので、新しくesimでpovoを契約し、使い放題プランを日々購入してました。入院する前の通院では自分の携帯回線が入るかはしっかりとチェックしておきましょう、現代では死活問題です。夜はいつも通り1時頃に寝ようとしますが、今回は隣の人のいびきがうるさく寝るのを断念。またしても2時間程度しか眠れませんでしたが、まぁでもICUで暇になるから返って都合いいか、なんて思いながら朝を迎えます。
この段階でも特に緊張はなく、朝9時前に手術着に着替え、徒歩で手術室へ。あの重厚な手術室の扉を前に、ようやく多少の緊張が現れ始めました。それでも前回よりかはかなり余裕があり、麻酔の針を刺されてからも多少冗談交じりの会話をするくらい。前回は麻酔が入るタイミングの記憶はないですが、今回は点滴からドドドドドって麻酔薬が身体中に巡るのを感じることができました。まぁでもその直後には落ちてしまい、その後はすぐ闇からの目覚め、という感じなのは前回同様。前回は起きてから寒さでガタガタ震えてましたが、それは事前に伝えておいたおかげで体は全然寒くなくポカポカでICUに運ばれました。

ICUへ
目が覚め、ポカポカでICUに運ばれたものの、ただ今回はとにもかくにも難点が。。。。それは、とにかくアソコが痛いのです。。。
そう、今回は尿道カテーテルが刺さったままだったのです。いやもうこれが本当に不快で不快でどうしようもなく、術後の面会ではずっと
「おしっこ。。。」
って言いながらしかめっ面してました。
足の痛みはまだ前回と大差なく、痛み止めも効いているのでなんとかなる程度でしたが、それ以上に尿道カテーテルが辛いのなんの。もう抜いてほしいって懇願しましたが、
「それはできませんね~」
と一蹴。いやもうほんと地獄です。
そんなカテーテルも3時間くらい立ってようやく慣れてきたのですが、今度は手術した足が痺れてなんか気持ちが悪い感じがやってきました。でもそれも
「まぁ手術したほうの足なのでしょうがないですね~」
と、どうすることもできず、これもただただ耐えることに。前回の手術よりも明らかにICUでの負担が大きいです。まぁ手術内容が全然違うので当然っちゃあ当然ですが。前回同様に水飲みタイムでは相変わらず喉は乾いてないですが、とりあえず飲むことに。今回は吸い飲みを事前に洗っておいたおかげで変な味もしません笑。そしてあとはもうとにかく寝るだけ。寝不足のおかげもあってか、睡魔には困りませんでした。不快感で頻繁に起きたけど。
通常病棟へ
翌朝、採血で問題もなかったので車いすで一般病棟へ戻ります。前回よりも足は重く、自力じゃほとんどなにもできなかったので、何かあるたびに看護師さんを呼ぶことになります。ちょっと失敗したなっておもったのが、充電コードとかの配置をきちんとせず手術に向かってしまったので、帰ってきてから結構苦労しました。あとペットボトルのお茶など、病室戻って使う可能性あるものはなるべく手元近くに置いておくようにしたほうがいいですね。久々のスマホをいじりながらうだうだしていると、昼過ぎにリハビリ担当の理学療法士さんがやってきて
「はい、じゃあとりあえず歩いてみましょうか!」
と。え、まじすか、まだ全く動けないですが、、、とか思いましたが許される訳もなく、歩行器を使って強制的に歩かされます。
まぁ実際には体重かけて歩いているというより、ほぼ腕の力で動いているだけですが、それでも足をまっすぐにして動かすのがかなりしんどかったです。あと動くたびに尿道カテーテルがチクチク当たって痛いのなんの。歩くときカテーテルをポイって雑に避けてくれるのですが、ほんと発狂しそうになりました。
この日は歩行器で30mくらい移動して息が上がってしまいそれにて終了です。
今回私は掻爬したあと骨セメントではなく人口骨をいれていますが、固まるのが早いものを使っていてかつ骨折リスクの低い場所の腫瘍、ということから手術後の荷重制限はありませんでした。おかげで手術直後からなかなかにしんどいリハビリを受けることに。。。笑

白いところが人口骨
そして夕方頃看護師さんが来て
「歩行器で動けてたみたいですけど、尿道カテーテルどうします?」
と。いやもう食い気味に
「抜いてくださいっっっっ」
とお願いし、さっそく抜去することに。
「それじゃ~いきますよ~」
って言われると同時に予想外に太くて長い管が
ズ゛ボ゛ボ゛ボ゛ボ゛ボ゛ボ゛ボ゛ボ゛ボ゛ボ゛ボ゛ボ゛ボ゛ボ゛
と抜かれて、隣の部屋まで聞こえるかの大声で絶叫しました。まじで。人生で一番大きい声だしたかもしれない。このためにもう1回全身麻酔かけて欲しいくらい。
この抜去が今回の闘病で断トツに辛かったです。リハビリで無理やり足を曲げられたときも発狂しましたが、でもそんなの比じゃないくらい。これがあるせいでもう2度と手術したくなくなりました。でもここまで痛いって書いてる方はなかなか見かけないので、なんか自分は運が悪かったのかなーなんて思ったり。
そして抜去したあとのトイレは全然うまく排尿できず、これまたちょっと辛かったです。まぁそれでも2~3日経つと特に違和感も無くなり、ようやく普通なトイレ生活に戻ることができました。めでたい。
リハビリの入院生活
手術後2日目からは平日午前、午後に1時間ずつリハビリ、他は自由という生活が続きます。休日はリハビリが休みなので1日ぐだぐだしたり友達と面会したり。手術後3~4日くらいはちょっと運動したら熱がでたりめまいがしたりすることも多く、車いすも看護師さんに押してもらってましたが、それ以降慣れてきてからは自力で車いすを漕いで移動するように。こっちのほうが自由気楽に移動できて快適です。自力で移動するようになってからは院内カフェのアイスラテを楽しみにせっせこ車いすをこいでました。
リハビリは結構しんどくて、先生がまじで緩めてくれないんですよね。もう曲がらないって言ってるのに曲げてくるし、もう立てないって言ってるのに椅子は返してくれないし。まぁそうでもしなきゃリハビリにならないんでしょうかね。とにかく厳しかったです。
内容はわりと普通で、曲げ伸ばし、筋トレのための足の上げ下げ、歩行の繰り返しでした。あんまり知らなかったのですが、手術したところ以外の筋肉がかなり弱くなってたり固くなってたりするので、それをトレーニングするのが結構なウェイトを占めます。退院して日が経った今もリハビリは割と足全体の筋力回復のためのものが多いです。
そんなリハビリを2週間くらい続け、松葉杖1本で100mくらい歩けるような状態になり、退院が決まりました。ちなみに退院までリハビリ以外の治療とか検査とかはほぼほぼ無しで、完全にリハビリのための入院って感じでしたね。入院期間は3週間くらいでした。

お金の問題
ここでちょっと脱線、治療費について簡単にまとめておきます。私は現在独身のサラリーマンで、民間保険には未加入です。
支払う入院費に関して、高額療養費制度と、加入している健康保険の付加給付制度で、入院に関しては月毎に2万数千円程度しか支払わなくていいようになっていました。(通院は別)
なので、
・7月の生検手術での支払い→2万数千円
・9月10月の本手術での支払い→4万数千円(2か月分)
という感じで、それプラス各手術前の検査が外来で1万円前後だったかなと思います。
また会社を休むにあたっては、
・7月の生検手術→有給2日と土日
・9月10月の本手術→休職(給料が普段の手取りの8割くらい)
というように休暇をとりました。普段がリモートワークなので、退院後は翌日から出勤してました。本手術も有給なんかで対応できなくはなかったですが、早く退院しなきゃって焦るのが嫌で休職を選択することに。あと有給は釣りのために残しておきたいし。
この期間、普段浪費しまくってる釣りに行かなかったので、独身である私は民間保険未加入でも特にお金に困ることはなかったです。
健康保険の付加給付もでかいし、休みは好きなだけとれるし、病気になったときはサラリーマンの良さが身に染みて実感できますね。
退院後~現在、今後について
退院してからは近所の整形外科にリハビリに通ってます。また何か月おきかにがんセンターにも通い、術後経過を診てもらってます。ただまだ再発を心配する期間でもないので、わりとあっさり終わります。
近所で通うリハビリでは足の曲げ伸ばし、電気と超音波を週1くらいでやってます。日々歩いたり筋トレしたりすると足のあちこちが痛くなるのですが、その原因はこういう歩き方が良くないですね~とか、ここの筋力が弱いからですね~とか、割と的確なアドバイス貰えます。
退院して1か月弱くらいで松葉づえから普通の杖歩行できるようになり、割と順調に回復していたので、そのころからリハビリも兼ねて船釣りを再開しました。
ただある日の船釣りで大きく転んでしまい、普段曲がらない角度まで膝を曲げてしまったせいで足がパンパンに腫れ、そこでまた一気に筋力が落ちてしまいました。それからはまたリハビリやり直しという感じにはなりましたが、それでも日々曲げ伸ばしや筋トレをして、手術から4か月たった今、杖歩行で1kmくらいは歩けるようになってきました。足の腫れも引き、筋力も少しずつ付いてきた感触があります。あと1,2か月くらいで杖無し歩行がメインにできるといいなぁという感じですかね。
以上、ここまでこの1年を振りかえってみましたが、人生初づくし、怒涛の1年間だったなぁと。これまでの人生で大きな病気もほぼなく、健康だと信じて生きてきた自分がこんな病気になってしまうなんて。ありふれた言葉ですが、まさか自分が!?という言葉がぴったりでした。足が完全に戻ることは無い気はしますが、それでもまぁ7月に思い悩んだ日々を思えばこの骨巨細胞腫なんてなんのその。大きく命に関わるような病気でもなく、生きてるだけで丸儲けと思うようにします。
今回の病気で一番感じたのは、やりたいことは今すぐやれってことですね。7月に、もう命があと数年だとしたらって本気で考えたことがあったのですが、あれもやりたかった、これもやりたかったなぁなんていろいろ考えてしまい、後悔だらけの人生になりそうでした。なんだかんだ人間いつ死ぬか分かりませんし、そうなっても後悔ない人生だったと思えるようにやりたいことはすぐにやらなきゃですね。また現実的な目線でも、前述の通り私の病気は再発リスクはかなり高いですし、再発したら人工関節にせざるを得ないのも覚悟しなきゃと思ってます。そうなったら出来ることが今よりも更に制限されてしまうと思うので、やりたいことは今のうちにやっておく。
自分の趣味でいえば行きたい釣りには行っておく。マグロ釣りたきゃ今のうちに釣っておく。
これに尽きるなぁと。
そして最近は多くの方に手伝っていただきながら釣りをまた楽しむことができています。本当にありがとうございます。
今後もリハビリを頑張りながらも釣りを楽しんでいこうと思います。
以上で私の闘病記は終わりになります!
再発してpart2がスタートしないといいなぁ。。。笑