【第8話】声を大にして言いたい
声を大にして言いたいことがある。
「僕はダサくない。」
僕はよく私服がダサいと言われる。
しかし、それは大きな間違いである。
今回は僕がダサくない理由を大きく分けて2つ紹介する。
これを読んでもなお、僕のことをダサいと思う友人(仮)はぜひ連絡してほしい。
1.おしゃれしていないから
正直これに尽きる。
僕はおしゃれにお金も時間も一切使っていない。
本人が努力していない、興味がないことに対して良いだの悪いだの議論が起こる状態は正常とは言えない。
例えば、サッカーをしてない友達に僕がお前サッカー下手くそやなと言うことはおかしなことだと思わないだろうか。
同じ土俵に乗っていない人間にマウントは取れない。
つまり悪口として成立していないのだ。
しかし残念なことに、この状況が僕の私服に起こっている。
僕はおしゃれしていないのに、他人が勝手におしゃれかおしゃれじゃないかを測ろうとしてくる。
そこでは全く勝負していないのに。
僕からすれば「え、そんなこと言われても」なのである。
2.着ているだけのくせに
これはもっと根本的な、そもそも論である。
はたしておしゃれな服を着ているだけの人間がおしゃれなのかという問題だ。
世界には、服を着ている人間、売っている人間、作っている人間が存在する。
僕の周りにいるのは紛れもなく着ている人間達である。
着ているだけの人間達である。
市販の服を買って着ておしゃれだなんだと語ってはいるが、はたしてそれは本当におしゃれなのだろうか。
もちろんこの世には「おしゃれな服」というのは存在するのだと思う。
ではその服をおしゃれだとした時に、評価されるべきはそれを店頭から選び着ているだけの人間なのか。
今一度深く考えてみてほしい。
さらに、
商品というのは販売されるまでに数多くの支持者がいなければ現物化されない。
つまり、売られている服というのはいくつもの関門をくぐり抜けた「大勢に認められた」服なのである。
そんな服を着て、あろうことか世界でたった1人だけのファッションセンスですみたいな顔をしている。
それを「ダサい」と呼ばずしてなにを「ダサい」と呼ぶのか僕にはわからない。
世の中に出回っている服を着ているだけのくせにおしゃれだなんだ言ってるやつは、
代表戦をテレビで観てTwitterに監督や選手の悪口を書いてるやつくらい哀れで、
違法アップロードされたYouTubeを見てコメント欄に芸能人の悪口書いてるやつくらい痛いと思うわけである。
以上2つの理由から僕はダサくないと主張する。
しかし、僕は知っている。
ダサくないことを証明した所でなんの意味もないことを。
僕の私服を見た女の子がダサいと判断すればそれで終わりである。
本当はダサくないのに。
ちくしょー。
金で解決するしかねえ。
あー、
金がねえ。
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