正解がわからないし、恐らく正解はない
画像は煮凝り。なんか紆余曲折あってお通しで出てきた。
これがいわゆる「心に溜まった煮凝りも、ひょんなことからお通しで出る」ってやつ。あとそんなことわざは無い。
まず初めにお詫びを。
前回「毒グモに刺されて死ぬ夢は人間関係のストレスが解決する吉夢らしい」と言うくだりで、「まぁ今4つほど抱えてるんで」って何気なく書いたら割とAoE(Area of Effect / 範囲効果・範囲攻撃)で多方面にご心配をかけてしまいました。
こんな僕の文章をわざわざ読んでくださる方々にそんな「もしかしてあの件もストレスだったりしますか?ご迷惑をおかけしてないですか?」のようにお気遣い頂くのは大変申し訳ないのと、そう言う風に「もしかしたら自分がご迷惑おかけしてるかも!」なんて思ってくださる方のことをストレスだなんて感じることはこれまでもこれからも一切ございません!皆大好きです!毒グモにも読モにも刺されないでください!つつがなくお過ごしください。
これは「つつがなく」の語源はつつが虫なので、毒グモに刺されるのくだりからなんとなく言ってみました。つつが虫にも刺されたくねぇなぁ。めっちゃ熱出るんでしょ。薬飲めば大丈夫らしいけど。
なんの話だっけ。
まぁ生きてると色々な理不尽な目にあったり、なかなか理想の形に近づけなかったりして、四苦八苦している毎日ですが、本当何が正解かわからない時ってありますよね。
例えばなんらかの目的地に急いでる。突然大雨が降ってきた。すぐ近くに傘が買えるところや雨宿りできそうなところも見当たらないけど、目的地よりは近い距離にあるかも。みたいなシチュエーションの場合、考えられる行動として
・とりあえず雨宿りできそうな場所を探して様子を見る
・近くのコンビニを検索して傘を買いに行く
・目的地まで濡れながらダッシュする
などなどありますよね。
これ、雨宿りできるところを探して、濡れながら探してるのに雨宿りできるところが全然無かったら「ああこんなことなら最初から傘を買いに行けば良かった」って思うだろうし、雨に打たれてコンビニに着いて、傘を買ったのにいきなり雨が止んだら「ちょっと様子を見れば良かったかな」って思うだろうし、雨の中を傘もささずに走るのはとても深く生かされるのを感じたような、だけどイバラが絡みついて偶然の生贄だったりすると思うんですよね。バラ色の日々ね。
そんでまぁ、自分が雨に濡れるだけなら別に我慢して乾かせばいいんだけど、そこに誰か一緒にいる場合ってまた話が変わってくるじゃないですか。自分の判断のせいで友人がびしょ濡れになるかも知れないし、もしその友人がかつて2000年前にパンダが溺れたという悲劇的な伝説のある泉で溺れたことがある場合はパンダになっちゃうわけで。らんま1/2リメイクおめでとうございます。楽しみだね。
いや、もちろん、「その辺の老人を張り倒して傘を奪う」が不正解なのはわかってるけど、巡り巡って「あの時あの老人を張り倒してくれてありがとうございました。おかげで我々の生まれ故郷の惑星が救われました。パンダになったあなたの友人も喜んでいます」ってなるかも知れないし。あとお湯かければ元に戻るから戻してあげてほしい。
その時正解だと確信してたことが後から振り返ったらそうでもなくて、もっと上手くやれたな、とかばっかりなのに、現時点で何が正解か皆目見当がつかない問題なんて、恐らく正解なんてないんじゃないかな。ないかな。ないよな。きっとね。いないよな。
このnoteも後から絶対「ここはこう書いた方が面白かったな」なんて思うもんね。だから僕は誰かの選択や決断がその時の自分の想いと違っても、それを否定的に捉える必要はないんじゃないかなと思ってる。結果はずっと先に二転三転しながらいつか着地するまで誰にもわからないし、めっちゃ成功だったら俺が間違ってたでいいし、めっちゃ失敗だった時に困ってそうだったら相談には乗りたい。
このnoteだって結果的に今そんなに面白く書けてる気はしないけど、書き出さなきゃ何も始まらないんだし。何かを始める必要があったかはわからないけど。面白くある必要があるのかもわからないけど。わからないけど書いた結果として、読んでくれた人が「へぇー、らんま1/2リメイクするんだ」って一つでも何かを持ち帰ってくれるかも知れないし。
何はともあれ、さんざんnoteに煮凝り煮凝りって書いた直後にお通しで煮凝りでてきたのめちゃくちゃびっくりしたよ!!!って言う話。あの大将このnoteの読者か!?んなわきゃない。
そんでもしこの文章を通して言いたかったことをことわざにまとめるとしたら「人間万事塞翁が馬」だな。本当にそう。まっすぐこれ。ただそれだけ。だから皆、悪いことあってもなんとか生きて行こうぜ。できる限りの協力はするからさ。
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