目的なき充溢した生

 目的の追求はそのままでは無限に進んでゆく。(目的をうむものとしての原因の追及も同時に無限に進む)。これをきらって,多くの人々は[最終目的=第一原因]として神を信仰してきたのだし,他の多くの人々は[最終目的=第一原因]として無を愛好した。
 私もまず幼少期に神を想定し,次に青年期は無に逃れた。今は無から脱する方法を探している。
目的なき充溢した生は,いかにして可能となるのであろうか。

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