【日記】スティーリー・ダン/ソヴィエトの音楽
スティーリー・ダンというミュージシャンがよくわからないのだが、久しぶりに「aja」を聴いてみたがよくわからない。
数年前に松永良平さんが阿佐ヶ谷のrojiでスティーリー・ダンの「ナイト・フライ」をDJでかけたとき、すごく感動した記憶がある。それでああ、俺はようやく理解したぞと思って、家に帰り翌日聴いてみたら、それほどでも…ってなったこともある。いつか波長をあわせたい。
彼は完璧主義というが、どの辺がそうなのか、いまいち分からない。大瀧詠一とともに、分からないポピュラー音楽二大巨匠だ。完璧主義というと、シベリウスという作曲家のことが思い浮かぶ。実際に完璧主義だったかは知らないが、彼も大瀧詠一みたいに人生の後半、作品の発表をやめてしまう。
先週、京都で18か19のころに私が作曲された曲が再演された。そのあとで演奏されたクラリネットとチェロの奏者の方とお話しする機会があった。久しぶりにクラシックの話をしたので、それからずっとクラシックを聴いている。
シュニトケ、というソヴィエトの作曲家がいる。彼の音楽が中高生の頃とても好きだったことを思い出した。『シュニトケとの対話』という本を当時買ったが売ってしまった。それを昨日、定価よりもプレ値で買い戻すという愚かなことをした。1960,70年代ごろから活躍した作曲家です。
Concerto Grosso No. 1は、シュニトケの代表作…というか世界的にウケた作品。初期はセリー技法の音楽などをやっていたが、多様式=ポリ・スタイリズムを掲げて、さまざまなジャンルの音楽が一つの作品内に共存(そして調性も復活する)する、ポスト・モダン的な音楽が志向されてたもの。
Wikipediaなんかには、ツィンマーマンの「Musique pour les soupers du roi Ubu(ユピュ王晩餐の音楽)」などが紹介されている。全編つぎはぎのコラージュ音楽。
シュニトケのものは、それよりもストラヴィンスキーの新古典主義的なバロック模倣や、ショスタコーヴィチの晩年の作品…たとえば交響曲第15番の第1楽章にみられるような唐突な「ウィリアム・テル」の引用や自作の引用に近いものを感じる。
技法的なものというよりも、もっと分裂的な現実認識からくるような、生理的な冷たさが、ザ・ソヴィエトって感じで良かった。
で、日記なんで自分に引き寄せて言うと、私の漫画も色々なスタイルが同一作品に居心地悪く同居しているが、これはどうもショスタコーヴィチから来てるんじゃないか。ここ数日、そんなことを思っている。
シュニトケは最近『シュニトケの無名時代』という本も出ていた。まだ届かないので内容はわからない。シュニトケは出来不出来が激しい。私はいまだに後期の交響曲の魅力がイマイチわからない。『チェロ協奏曲第一番』なんか聴きやすくて、(ごく一部の)皆さんに勧められる。
ソヴィエトはチェロのいい曲が多い。やはりロストロポーヴィチのおかげなのだろうか。
ボリス・ティシチェンコ(Boris Tishchenko)という作曲家がいて、彼の変な編成のチェロ協奏曲は、ショスタコーヴィチが管弦楽版に再編曲したために存在は知っていた。最近、YouTubeで聴くことができた。期待を大にして聴いてみたが、それほどではなかった。「忙しいなか、どうやってショスタコーヴィチが管弦楽版に編曲したのだろう?」という疑問について、YouTubeの「詳細」で説明してあって、そうだよなと思った。
同じ「ボリス」では、ボリス・チャイコフスキー(Boris Tchaikovsky )が美しいチェロの独奏曲と、ソナタ、協奏曲を作曲している。有名なピョートル・イリイチ・チャイコフスキーとは別人。20世紀後半ソ連で活躍した。
単音の八分音符の連打が印象的なピアノ協奏曲が傑作。
最近、共産党の志位和夫が小澤征爾追悼ツイートで、ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲と、プロコフィエフの交響的協奏曲を褒めていた。ショスタコーヴィチは簡素な書法のチェロ・ソナタが協奏曲よりいい。プロコフィエフの交響的協奏曲は大傑作である。ただ、私なら小澤ではなくて、サー・マルコム・サージェント指揮を薦める。今月はよく交響的協奏曲を聴いていた。
そういえばこの日記を書きながら、19歳の夏、よくソファに寝転びながら、鬱々としてこの曲を聴いていたことを思い出した。青いボックスに入った四枚組のCDBOX。箱にはプロコフィエフの写真が印刷されており、中のCDは薄いケースに入っており、どことなくデザインが洒落ていた。
で、検索してみたら出てきた。なんと小澤征爾& LSO!記憶ってアテにならない。サージェントの指揮だと思い込んでいた。
訂正。
サージェントもいいけど、小澤征爾もおすすめです。
以上。
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