パウル・クレーの作品が小さい理由
アーティゾン美術館でパウル・クレー展を見た。展示作品数は25点で、もともと所蔵作品であった『島』(1932年) を除いては、休館中の2019年に一括で個人コレクターから購入されたものだという。年代もバウハウスで教える以前の「青騎士グループ」時代のものから、難病と闘いながら制作した晩年作品までひと通り揃っているが、その多くは薄い板や厚紙に描かれたものだ。もともと小さな作品が圧倒的に多いクレーだが、緻密に描きこまれたそれぞれの作品には、彼のあふれんばかりの実験精神や豊かな色彩感覚がみずみずしく反映されている。
クレーの作品が小さい理由だが、それはもちろんそれが彼にとって最も描きやすいサイズであったということもあるのだろうが、それに加えて、おそらく保管するためと搬送においてもアドバンテージがあったからだと思う。バウハウス時代からナチス政権から急遽家宅捜査などを受けたり、ドイツから国外退去を余儀されたときに、故郷のスイス・ベルンへ相当数を持ち出せたのもそのコンパクトさが大きな救いになったのではないだろうか。それでもクレーの作品は1930年代に頽廃芸術と敵視され、かなりの作品が没収され破棄されてしまったわけだが….。
クレーの作品の面白さは、それぞれ作品に彼の実験を見ることができるところにあり、様々なテクニックや素材を使っていた彼の果てしのない試みをそれぞれの作品に見て取れるのだ。さらにすべてではないものの、作品に合わせた額装もクレー自身によって設えていたのもユニークなところだ。作品が一見すると紙や板に描いたものとは思えないのも、その額装がかなり凝っていて作品にキャンバス作品のような重厚感を与えているからだ。つまりクレーの作品は、彼がデザインを施した額装と一体化して見られるものであり、それはブランクーシが自身の彫刻作品を乗せるための台座を入念に制作していたことに繋がっているような気がする。
1920年代、デッサウのバウハウスで教えていた時代は、同じくバウハウスで教えていたカンディンスキーと一軒の建物を二家族で共有し、互いのアイデアを交換しながら、または触発しあいながらクレーの芸術家人生の中でももっとも精力的に制作していた頃だ。今回の展示作品の中の『ストロベリーハウスの建築工事』『羊飼い』『庭の幻影』などがその当時のものだが、どれひとつとして凡庸な繰り返しでなく、カラフルで穏やかに見える作品であってもどこか高い緊張感があり、クレーの思考の流れや息遣いといったものが確実にそこに脈打っていることが感じられるのだ。