ジュリエット・グレコ
夏の朝に聞く音楽として、なにがいいか。例えば、ジュリエット・グレコの歌うシャンソンとかお勧めだ。
実はグレコのことはほとんど知らなかったのだが、京都にあるとあるバーに行って(ジャズとシャンソンを真空管アンプと馬鹿でかいスピーカーで流してくれるバーだ)、アンリ・サルヴァドールをかけた後に、「これなんかもお好きじゃないですか?」とかけてくれた古いグレコのアルバムがとても心地よかった。知らない歌手だ、というと、こんなすごい人なのに実にもったいないという表情をされた(決して嫌味な感じではなく)。
グレコの声はエディット・ピアフのあの枯れた情念的な感じのとは異なり、ストレートでソフトな歌いかたで、それほどシャンソンのことは知らないがとても正統派な感じである。あとフランス語の歌詞がどれを聴いてもよくリズムに馴染んでいて、角張った感じがまったくない。ヴェルベットのようにどこまでも滑らかで、対訳付きの歌詞を見ているとちょっとジーンとしてくる。
1927年にコルシカ島で生まれたグレコはまだパリに暮らしていて今年で92歳となる。今から4年前に「まだまだ歌い続けられるけど、美しく去ることも知らなくてはならない」と現役は続行するものの、ステージからの引退を表明した。それまでは長い黒髪に黒一色のステージ衣装で、恋人のように寄り添う歌声で観衆たちを魅了した。
グレコの有名な話として、マイルス・デイヴィスと恋人であったことがある。彼らは真剣に将来を見据えた交際であったが、当時のアメリカで人種の壁を越えて生きていく難しさを感じたマイルスのほうから別れを告げたのだという。しかし、彼らはその後も友人として長い付き合いをしていた。
若きジュリエット・グレコが歌うきっかけを作ったのが、実存主義のジャン・ポール・サルトルの勧めであった。もともとは女優志願だった彼女は歌手の器ではないと最初は遠慮もあったそうだが、彼女の歌声に小説家や哲学者、そしてボリス・ヴィアンらアーティストたちにも圧倒的に好かれ、ボリスから曲の提供を受けるなどした。歌手としてだけでなく女優としても活躍(ジャン・コクトーが映画『オルフェ』など)し、日本にも22回も来日したほど日本でも多くのファンがいる...と、遅まきながら今になって知った。