レモンをしぼり塩を振る 第2章 上昇気流で雨が降る

 笠間先生という人がどういう人なのかも知らずに来ていた。知らないから勝手にいろいろやれていたのかもしれないし、それが結果として近くの学校の担当医に選ばれることにつながったのかもしれない。小学校の担当医というのがどれくらいのことなのか全くわからなかったけれど、大学の頃の同級生の中で、自分以外にはそういったことを任されている人はいなかった。そんなことに誰も興味がないからやりたがらない、ということでもなく、聞いた仲間は全員、お前すごいな、と言ってくれた。知らないということが良くも悪くも自分の武器になっていたのかもしれないと思った。

 学校での定期診断は春に一度しか自分は経験していなかったから、多くの仕事がやってくるようには思えなかった。実際は、学校の生徒は年に1回くらいしか診断することはなかったとしても、学校の先生の定期診断の相手もする必要があるということは引き受けてから初めて知ったことだ。学校の先生は自分の誕生日の月に検診を受けることになっていて、希望によっては歯科検診も受けることができるらしい。健康診断の一環で先生も歯科検診を受けることができるみたいなのだ。毎月1回、小学校に出向いて簡単な検診をすることになった。再検診や治療の必要があるときには自分の病院に来てもらうか、そのほか好きな歯医者さんに行ってくださいということになっているようだった。それなりにやることもあるし、ちゃんと料金もいただいている。なるほど、それなりの仕事量は確保されるのだなということがわかってきたのだ。笠間先生はこの仕事がなくなって、どう思っているのだろうと頭をかすめることもあったけれど、特段気にしていなかった。実際に会ったこともなければこれといった接点もなかったからだ。

 ある日、通常の診断を自分の医院で行っていた。老年のご婦人がいらっしゃった。あまり見かけないような見た目の方だった。検診にいらっしゃったとのことだった。検診でいらっしゃったといっても、とても綺麗な歯をされていた。とても綺麗な歯をされていますね、全く問題ありませんよと伝えると、どうもありがとうございますと深々とお辞儀をして帰られた。

「先生、すみません。」

ナースの一人が僕に声をかけてきた。

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