これまで書いてきた小説の紹介
片野朋起です。こんにちは。
これまで書いてきた小説について、簡単に紹介します。
■アスファルト・アモルファス・ブルース
このタイトルは、たしか高校生のときに、国語の教科書のはしっこに落書きで書いた文言だったと思います。当時、おもしろい言葉の並びかな、と思いついて、なんとなくメモしたのだと記憶しています。いつか、こんなタイトルの小説とか、書いちゃってるかもな、なんて夢想していたのかもしれません。いろんな人が文章を発表できるプラットフォームがそろってきているなかで、自分でも何か書いてみようと思ったでしょう。たしか、どこかの募集に応募しましたが、全く音沙汰がないです(笑)。
これじゃだめなんだな、という反面教師のために読んでいただくのも、また一興かと。
■ため息を大きくついて悲しみをすべて吐き出すさらばさらばと
タイトルは、みそひともじ、ってやつです。短歌をつくることに、少しハマっていた時期がありました。自分で作詞作曲して音楽を出す、みたいなことはできませんが、すでにリズム感のある短歌なら、自分でもやれるんじゃないか、と考えたわけです。とにかく、つらくて苦しい今の状況を、なんとかいして抜け出したい。自分の言葉で自分を救うことができるのではないか、という思想が、この文章には潜んでいるでしょう。
■レモンをしぼり塩を振る
みなさん、豚カツって、どうやって食べますか?学生の頃、漫画で読んだことがあるんです。「わたしは、レモンを絞り、塩を振るのが、最もおいしい豚カツの食べ方だと思う」と。
それを思いながら、書いた作品です。写真はわたしが撮影した豚カツです。たしか、この作品もどこかに応募した気がします。ちょっと長く書いた文章は、出版社に送ろうと思っていたから、レビューしてくれる人がいないんですよね(笑)。だからといって、今なにかコメントが欲しいわけでもないですが。未熟な文章で読むにたえない、という普通な理由で落選したのでしょう。しかし、何に応募したのか、思い出せない…。
■赤青緑の薬たち
わたしは、小説落語っていうのがやりたくて、作家になったんです。いまだにどこの出版社からも声がかからず、書籍(いわゆる本)として発行されてはいないのですが。
落語を聞いているみたいな小説ってことなんですけどね、簡単に言うと。講談は読み物、と呼ばれるように、きっと、講談の台本って、読んでみると面白いんですよ。わたしは、徳川天一坊の話をどうしても知りたくて、大岡政談の本を中古で買ったことがあります。もちろん、読めます。続きが気になっていたわけですから、あー、こういう話なのか、という筋はわかりました。天一坊は素晴らしい話だと思いますし、大好きですが、その本の書き方が、わたしにはあまりマッチしていなかったように思います。私は、徳川天一坊、大好きですよ。もう一度言いますが。
古典落語、新作落語、創作落語、といろいろ呼ばれ方がありますが、これに小説落語を追加したいと考えているわけです。読み物としての落語、という側面で新しさを見つけていきたいという思いがあります。
それをやってみた、ということです。
■唐茄子屋久次
「唐茄子屋政談」と「やんま久次」という古典落語を組み合わせてみたらどうなるかなと実験してみました。書けば書くほど、自分の力不足を痛感した記憶があります。落語も好き、講談も好き、それを小説でって、それ、もう台本でよくない?という命題にどうやって戦うかというところがポイントになりそうです。
■歩く、耐える、見つける
そういえば、これもどこかに応募したと思います。これはたしか、応募者全員の500円分の図書カードが送られるやつだったかと思います。これで、はじめて、作家としてお金を稼いだ、ということになるのでしょうか(笑)。これは小説ではなく、エッセイです。