2020年3月16日 第95号 渋谷にて その1
こんばんは。片野朋起です。
わたしが大学生のときの話です。
大学生になって、はじめて東京をちゃんと認識したかもしれません。18歳以下、高校生までは、たまに来ることはあっても、もう本当に、いなかっぺ丸出しだったはずです。新宿にある紀伊国屋書店。全部、本屋さんなんですね。わたしの地元には、長屋的な本屋さん、つまり、1階しかない本屋さんしかありませんでした。当時、東京の人は、こんなに大きな本屋さんを使いこなしているんだー、すごいなー、なんて思っていました。今となっては、普通に欲しい本の置いてあるフロアに行けるのですが、あれほどまでに本が一気に置いてある、ということが衝撃でした。
数年前、わたしの地元の、本屋さんといえばあそこ、という本屋さんがつぶれていました。今はもう、本屋さんにも行かない人が多いですね。
大学2年生のときだったかな。ちょっと講義の時間に空きができたのです。理系の大学生は講義で忙しくて、全然遊び時間がない、ということを入学してから知ったのですが、ほとんどの人はそうは見えなかったのが不思議です。
まだまだ、おのぼりさん全開のわたしです。渋谷に行きました。ハチ公があるだけで嬉しい。そんなお年頃でした。19歳くらいのことです。あ、意外と小さな、なんて思って。
それで、道玄坂って名前を聞いたことあるなと思い立ちました。有名な坂が渋谷にはあるらしいぞと。
当時はいわゆるガラケーを使っていました。地図もろくなもんじゃない。きょろきょろしながら、見つけました。109です。うわー、入りづらいなー、と思いながら、隣の坂を歩きます。
その坂の上に何があるのかなんてもちろん知りませんし、行きたいところがあって、その上を目指すわけではありません。ただ、道玄坂を歩いてみたかった。
すぐ歩き終わりましたね。行く当てもないくせに、歩くのは結構早いので、きょろきょろしながら、てくてく歩いて、すぐ頂上です。で、頂上にもなにもないんですよね(笑)。今はいろいろあるのかもしれませんが、わたしが合歩いたそのときには、大してなにもなかったんです。19歳のいなかっぺ大学生がひとりで入れるようなお店ではないものが、数軒あったかもしれませんが。
それで、頂上に着いて、ちょっとひらけた、平らな道があった。そこを行ったり来たり。なんにもないのにですよ。意味わからないですよね。人はときとして、意味のわからない行動を突然しだすものです。すると、
「すみません、渋谷駅ってどっちですか?」
と声をかけられました。ふと振り返ると、自分のことを見上げる女の子。見たところ、年も近い。
え、かわいい。
急に心臓がドキドキなってきました。はっと、少し目を上げると、隣に別の女の子、もうひとり男の子、合計3人です。
「あ、はい。こっちですよ。この坂をおりて、まっすぐ行ったところにあります」
「ありがとうございます。」
「…よければ、ご案内しましょうか?」
おいおい。今のぼってきたんだろと。しかもなに、知ってる風を気取ってんだよと。今日初めて、この坂歩いたんだろ、自分。
「えー、いいんですか、ありがとうございます!」
え、いいんだ。あ、うまくいった(何がだ)。
坂道を一緒に歩きながら、その女の子と話した。どうやら、外国人の友達を連れて歩いていたのだけれど、道に迷って駅に行けなくなってしまったらしい。2人の男女は、たしかアジア系の顔だったけど、日本人じゃないとのこと。韓国か台湾か、そんな感じだった気がする。
もちろん、何か起きたらいいなと思って、当時のぼくは渋谷を歩いていたんだ。ここで電話番号のひとつでも聞けなきゃ、男じゃない。
坂の中段まで歩いたところでそう思った。
そのあと、どこでどんな風に別れたか、覚えていない、というのが正直なところだ。気づいたら僕は1人で渋谷に残り、その女の子の電話番号とメールアドレスをゲットしていた。外国人の男女には連絡先を聞かなかったことだけは覚えている。ああ、嫌な顔されたらヤダな、とか思ってた。この子には聞くのに、わたしには聞かないのね、みたいな。日本語が話せなくても、それくらいの感覚は、世界共通なはずだ。
その女の子の名前は、りさ、といった。
このあと、当時のぼくは、デートに誘おうと思い立つ。
ここからが波乱の幕開けとなるわけですが、つづきはまたの機会に。