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ノベル集 ♯1 嘘になった楽園

やっぱりこの部屋が一番落ち着くね。と直哉が言う。

じゃあ落ち着かないのはどこ?と意地悪に聞きたい気持ちを抑えて、詩織は微笑んだ。

何か飲む?ワインもあるけど。

少し考えているのは、今日は泊まるか家に帰るか悩んでるから?

少しの気まずい間を感じ取ったのか、直哉は

あれ?また増えた?

と水槽を見ながら呟いた。

増えてないよ。減ってもない。

(気を遣って話を変えなくていいのよ。)

夏季休暇は取ったの?家族サービスするの?

今度は意地悪ではなく純粋な疑問だった。

この部屋に直哉が来るようになって3年半が経とうとしている。

至って普通な外見だと思う。見た目も中身ももっといい人はたくさんいると思う。

最初に惹かれたのは声だった。
上質なベロア生地みたいな心地いい声。
それから、綺麗な指。。。
こんな普通な人が、浮気するんだ。という自分の好奇心から始まった関係だった。

妻は家族だから、恋愛感情はないよ。といういかにもな言い訳に聞き分けのいい女のふりをしてきた。

二人で旅行行きたいな。南国とか。ほら、この子達がいるような楽園ぽいところ。
                                                                        

 

  そうだね。いつか行きたいね。

(いつかっていつよ。)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

翌朝、朝が苦手な詩織の代わりに直哉が朝食を用意してくれている。

(私朝は食欲がないって言ってるのに)

ほら、食べないと頭が働かないでしょ?

まるで母親が言うような言葉を聞いて、頭から冷たい水を浴びせられた気がした。

そうね。この人は父親であり、子どもの母親である伴侶が待ってるから。

また、週末来るよ。

今週末はちょっとダメなの。

とっさについた嘘。

週末の予定なんて、ずっとこの人のために空けていた。

仕事が面白いから、結婚とかはいいかな。って強い女を演じてきた。

雨降ってるから駅まで送るわ。

そう言ってキーを無意識に探す。(あれ?キーはバッグのポケットに入れたはずなのに)

焦ってモゾモゾとバッグの中をかき回している詩織を見て、直哉が笑う。

昨日着てた上着のポケットじゃない?

なぜこの人はこんなことに気がつくんだろう。

この人に選ばれた貴女は、きっと私なんかよりずっと自立した人なんでしょうね。

家族としての愛情しかないよ。って言うけど、じゃあ私は?家族以上に愛されてるの?

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出勤すると今年入社した社員達が楽しそうに話している。

特に興味もないけれど、

なになに?なにかあったの?

と興味があるふりをしてみると、

山崎さんがプロポーズされたらしいんですよ!

と一人の女子社員が自分のことのように興奮している。

山崎さん、今年入ったばかりだから、まだ22歳よね?

もう結婚するんだ。

内心驚きつつ、余裕の笑顔で

そうなの?おめでとう。今度みんなでお祝いに飲みに行きましょうか。

と話のわかる上司のふりをしてみる。

山崎さん本人は、顔を赤らめつつ、

ありがとうございます!

素直な子だわ。そうよね。とっても可愛いし。男が放っておくわけないわよね。

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定時を過ぎてオフィスに残る社員はまばらになった。

詩織は飲み物でも買いに出ようかと、カードキーを刺そうとした瞬間、キーがまた

もやないことに気づいた。上着のポケット・・・

朝直哉に指摘されたことを思い出し、ポケットを探ると、やはりここにあった。

あの人は私以上に私のことを理解しているのかもしれない。

そろそろ潮時だと考えていた今朝の自分と、彼を奪いたいわけじゃないんだから、

このままでいいじゃない。と二人の私が頭の中で口喧嘩をしている気がした。

チーフ?どうかしました?

話題の山崎さんが心配そうに見つめてくる。

なんでもないの。少し考え事をしていただけ。

・・・・・結局、二人で連れ立ってコンビニに行くことになってしまった。

結婚するのね。あらためておめでとう。

ありがとうございます。

上司を前にプライベートな話題で緊張しているのか、いつもより声が上ずっている

気がする。

でもずいぶん早く結婚するのね。彼とは学生時代からのお付き合いなの?

(少し踏み込み過ぎたかな・・・)

あ、はい。正確には高校も同じなんです。でも高校時代は彼には彼女がいて。

え、山﨑さん奪っちゃったの?

冗談めかして言うと。

奪った訳ではないんですが、別れる瞬間を待ってました!

(ずいぶんはっきりと言うのね。)

え、そうなんだ。でもそれで結婚までするんだから、縁があったってことよね。

(なんだか自分に言い聞かせてるみたいなセリフだわ)

縁というのはわかりませんが、好きって言わないと、伝わらないじゃないですか?
だから何回も好きって言いました。

すごい勇気ね。。。

(思わず正直な感想が漏れてしまった)

山﨑さんは、微笑んで

本当にずっと好きだったので、この人以外にいないと思ったんです!

そうなのね。おめでとう。今度あらためてお祝いをさせてね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

家に帰って水槽の魚達に餌をやる。

気ままに泳ぐ様子を見ながら、私には楽園は遠いみたいだわ。と独り言を言ってみた。

報われないことが悲しい訳でもない。奪いたいほど愛している訳でもない。

そうやって言い聞かせてきた。

でも、私好きって言ったことあったかな。

途端に嗚咽が止まらなくなる。

好きって言いたい。本当は狂おしいほど愛してる。

あなたの重荷になりたくない。それを言い訳にしてた。

私に勇気がないだけ。

あの人はこんな生活をこれからもずっと続けるつもり?

本当に家族に罪悪感はないのかな。

ねぇねぇ、貴女の旦那様は仕事って嘘をついて、金曜の夜は私といるのよ。

旦那様の背中を見てよ。私の立てた爪痕が残ってるから。

泣きながら眠りについて、腫れた目を見た瞬間、そうだ美容院に行こう。

今日カットしてもらえるところを探して予約を入れた。

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帰って自分の姿を鏡で見た瞬間、別人になった気がした。長かった髪はショートボブになっていた。

直哉が長い髪が好きだと言う理由で切らなかった。

もういいんじゃない?一晩泣くほど価値がある恋だったのかな?

僕、狂おしいほどに誰かを好きになるっていう感覚がわからないんだよね。

直哉の言葉を今になって反芻する。

私も彼女みたいに待つの?
その先にあるものなんてわかりきってるじゃない。

答えはもう出ている。

I MUST SAY GOOD BYE 





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