(世界一周)モンゴル話 ④夏の祝祭と姉妹愛
モデルナ2回目接種から2日経過、平常運転しております。左腕接種付近半径3センチに触ると少し違和感あるけど、1回目接種のときのほうが3日経っても重ダルさが続いたのと比べると全然ラク。ありがたいことです。
ということで、今日も連続で世界一周昔話から(笑)
昨日書いたのは、モンゴルの星空とトイレのお話でした(^^)
今日は、星空以上に魅了された
「モンゴルにもう一度行きたいと思えたこと」
について書きます。
▼1 馬用ドライブスルーが出店するモンゴルの夏
モンゴルの夏は短く、7月は全国民でお祝いする豊かな時です。その最大級の催しは国をあげて行われる「ナーダム」というお祭りで、首都ウランバートルを始め、あちこちの市区町村でそれぞれの規模の祭りが一斉に行われます。
私達が滞在した1998年の7月は正に、そのタイミングでした。ナーダム初日の7月10日は2時間ひたすら原っぱを歩いて辿り着いた近郊のゾーンモドで、翌日の7月11日は首都ウランバートルで、祭りを堪能しました。
↓これはゾーンモドの開会式的な様子だと思います。(って書いている今日まさにオリンピックが閉会でしたね)
モンゴルの祭り「ナーダム」は、「競馬」「相撲」「弓矢」の、3種のスポーツで構成され、なんと言っても花形は「競馬」。
ゼッケンつけた騎手達は「可愛い」を通り越し て「かっこいい!」
大人たちもここぞとばかり馬で声援にかけつけます。そして馬専用ドライブスルーでお買い物(ジュース(18円)アイス(27円))、売り人はトラックの荷台の高さからそのまま商売。合理的だなー。この様子はウランバートルで撮ったものです。↓
わいわいと砂埃に紛れ、みんな楽しそう。
▼2 ひたすらに走り抜く姿に滂沱の涙を流す
で、メインイベントの競馬を観に移動しました。
競馬の出場者は、5~11歳(6~12歳という記載もあり)の子供たちで、男女混合。走る舞台は勿論モンゴルのステップ。距離は12キロ、長いと30キロくらい走るらしい。
なので、スタート地点は町から遠く離れたどこかで、ゴール地点が町の入り口のところ、みたいになっている。ゴール地点に行ってみると、息子・娘のゴールインを、はらはら見守っているお父さん達の姿(だいたいお父さんたちも騎乗の人でカッコいい)
風と埃しか見えない草原を眺めてしばらく佇んでいると、彼方から砂煙をあげる何かが見えた。1番目の騎手!
ゴールに近づいてくるにつれ、それは段々はっきり馬と人影に判別できるようになる。馬の大きさに比べて、ちっちゃな体と手と頭が子供であることが分かるくらいに近づいてくる頃には、1番目の騎手を筆頭に何人もの騎手と馬が同視界に目に入ってくる。
ここまで10キロか、20キロか、その長い距離を一人と一頭と共に走り抜き、体力の限界と闘い、懸命にゴールを目指して走ってきたなかで、最後のラストスパート、残った力を振り絞って懸命にムチを振る少年少女達。
予期せず、涙が出た。自分でもびっくりしたんだけど、涙を止めることが出来ずしばらく泣きながら、みんなよく頑張った!すごい!ありがとう!来てよかった!って感動の嵐だった(今思い出しても、言葉にならない想いが溢れます)
ウランバートルでの翌日の競馬も、やっぱりゴールで感動して泣きまくり。
いま丁度、東京オリンピックが閉幕となり、テレビのない我が家はニュースでしかアスリートのみなさんの大健闘を存じ上げないですが、やっぱり心に胸に来るものがありますよね。モンゴルの競馬を観てゴールした子どもたちからもらったものは、類似する感動だったと思います。
もう一度、観れるものなら見に行きたいナーダム競馬!
▼3 お祭りに来ていた姉妹に見たもの
そしてもうひとつとっても印象的だったのが、ゾーンモドのお祭りに来ていた可愛らしいツーショットの姉妹。
2人とも頭に大きなリボンを付け、洋服もちょっとお洒落に着飾っていて、とっても嬉しそうに楽しそうに歩いてる(^^)目線を2人に向けると、姉妹もニコニコ照れながらこっちを見てくれる。
余りにも可愛らしいので、カメラを向けたら、ちょっぴり恥ずかしそうな顔をしながら、写真を撮らせてくれました。しっかり者のお姉さんと、可愛らしい妹ちゃん♪ お姉ちゃんちょっと緊張気味、 妹ちゃんはニッコニコ♪
きっと、お父さんかお母さんかが、「1年に一度のお祭りやしな!かわいく楽しんでおいで!迷子にならんようにな!」とか言いながら(何故か関西弁・・・) この日のために着せてくれた服とリボン、めちゃ嬉しかったんやろうなぁ(*^-^*)
私も2つ年下の妹が居るので、お父さんとお母さんが育ててくれた私と妹ってこんな風に見えていたんかなぁとか思いつつ、手を振って別れました。
モンゴルは首都ウランバートルでさえ8月の最高気温は22度・最低気温9度になり、あっという間に秋が、そして長い冬を過ごす国です。ウランバートルは日本の札幌を目指す都会への変貌を遂げていると聞いたので、私が知っているノンビリしたそれとは全然ちがう風景が広がっているのかもしれません。
変化するものと、変化しないもの。。。
にっこり写真を取らせてくれた姉妹や、騎手だった当時の少年は、今立派に社会人の年齢になり、モンゴルのどこかで活躍しているかもしれないし、モンゴルではない場所で、ナーダムの風を思いながら当時想像もしなかった生き方をしているのかもしれません。
(かくいう私も、1998年当時に、まさか今コーチングなんか語る大人になってるなどとユメユメ思ったことは無かったし、帰国したらIT系のなにかの仕事やるんだろうなぁ~と漠然と思っていたくらいでした)
▼結びに 子供の頃から変わらない私と、変わる私
最近母から聞いて驚いた、私の子供時代のことを少し書きます。
幼稚園児だった私が突然、「ピアノを始めたい」と駄々をこね、両親がもてあましたというエピソードです。
両親は家族会議をしたそうです。「一時的な興味じゃないか?今はそう言ってるだけで長続きするのか?ピアノを買うとなると資金も要るし、習わせる費用もかかる・・・」という訳です。うちの実家は決して裕福ではなかったので。家も広くはないし。
会議の結果、当時5歳の私に「これから1年間、(もらいものの)オルガンで自分で練習を続けられたら、ピアノを買ってあげる」と約束したそうです。
見事に私はその約束を果たした、、、らしいんです。
らしい、、、というのは、私が、びっくりするくらい、全然まったくそれを記憶していないからです。駄々こねたのは勿論、オルガン?オルガン家にあったっけ?そんなん弾いてたっけ????(^_^;) それ一体誰の話なん・・・くらいの勢いで覚えていません。
ピアノの記憶は勿論あり、6歳~18歳まで毎日弾いてて、止めたいと思ったことが一度もなかったくらいハマっていました。
が、オルガンかぁ~。
そして、私、本当にやりたいことはやり通すんだなぁ~~~って、なんかすごく腑に落ちるのです。誰かにやりなさいと言われたことではなく、自分がやりたいこと。誰かに称賛されたいからやるではなく、なんかしらんけどやりたいやん、って思えたことは、やり遂げる。
当たり前かもしれないけど、当たり前じゃないのかもしれないと、ここ最近だんだん思い始めました。
子供の頃にそうだったことは、いまでも続きますもん。音楽(ピアノ)にしろ、日記やブログにしろ、読書にしろ。友達に手紙を書く、っていうのも今も変わらずです(頻度は減ったにしろ、これは今日気づいた。私手紙書くのが好きなんだ)。世界一周した20年以上前のことを鮮明に描けるのも、私が日記を書くという「やらずにはいられない習慣」のおかげで振り返れている、というのがある。
そして、明らかに変わったことは、私がいろんな味方を、武器を、そして守るものを手に入れたことかもしれない。
変わるも変わらないも、どちらもストレングスファインダーの資質が効いているなぁーーー。と思うのよね。逆かもしれない。資質が効いていた結果として、変わるものも変わらないものも、両方がある私なのかもしれない。
ということで、また明日!
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