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ひとをつくる言葉の魔術に気づく(ことが大切。なぜなら言葉は「ひと」をつくるから、という話)
NLPを学ぶ前、私が学んでいたのは、
組織開発
リーダーシップ
キャリア(コンサルタント)
教育学
IT(大学専攻)
など。
思えば、私は仕事の範疇を超えて、
「言葉」に対する愛着、もしくは執着が、
高いように昔から思っていた。
心理学やNLPを学び、
それが何故か、
つまびらかになり、
よりそれを使って何かに貢献したい、
という思いが強くなったことを感じる。
人は、言葉に操られる。
そんな言葉は、人が生み出し操るもの。
人は、言葉を操っているつもりで、
実はそれに操られていることを、
認知しきれない。(わたしも)
そう、そんな、言葉の持つ功罪に、
私は昔から魅入られている。
人は言葉に創られている。
人は言葉に動かされている。
(わたしも)
そして生かされている。
子供の頃から、
ひたすら本を読み、
歌詞を聞き取り文字起こしし、
詩を連ね、歌にし、
友達と連続共同小説を連ね、
共同脚本の舞台を演じ、
ひねもす、言葉という符号と、
その音韻に魅了され、
淫していた。
友人の悩みを聞き、
私が伝える言葉で、
彼ら彼女らが元気を取り戻し、
行動を決める姿を見るのが好きだった。
歌を作って歌い、
励ますのも好きだった。
もしかすると、事実そのもの以上に、
言葉と音を乱舞させるプロセスそのものが
好きなんだろう。
それが今になって。
AIという、言葉に関しては、
最高に仕事が早い、そつが無い、
人を凌駕する言葉の紡ぎ手が出現してます。
『オラ、ワクワクすっぞ!😃』
(もちろん、DB孫悟空くん風に)
というのが、私のここ数年です。
危機感よりも、
好奇心。
失敗では無く、
試行錯誤。
思えば私の人生は、
幼少期から、
ずっと、
父や母や妹や、学友たちと共に、
大好きな言葉に魅了され翻弄されて
過ごした時間を、
誰からも否定されることが無かったなと思う。
私自身が私のやっていることを肯定できた。
私の可能性を限定されなかった時代あってこそ、
私は今の自分の言葉を連ねるのが好き、という、
自分の特技を実感している、と分かる。
私の中で、私を否定する言葉、
というものが、
万一生まれたとしても
どこからから私の中で、
すぐに別の私が、
「そうじゃない」って温かく叱ってくれる。
それは、私自身であり、
周囲の家族や友人達に恵まれたおかげであっただろう。
間違いなく。
言葉は人をつくる。
あなたの言葉が毎日どんな風に、
あなたの細胞に染み、
元気に通じ合っているかどうか?
この世に一人しかいないあなたが
紡いでいるあなたへの言葉は、
あなたの今日、明日の、栄養分として
咲いて、香っていそうですか?
言葉は人をつくる。
だから、自分自身にかけている
言葉の魔術の良し悪しは、
自分で気づくことができれば良いし
できなそうなら、
本当に信頼できる人
(自分のことを操作しない人)
に、言葉の魔術の良し悪しは、
聞いてみると良い。
・・・と、こころから思った今日でした。
大人になったからと言って、
人に良い魔術の言葉を
使えるようになるわけではない。
私は、良い魔術の言葉使いでありたいと思ってます。
AIが書かない文章を
あえて書くというチャレンジをしてます。
時間かかるよね~。笑笑