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バーで思い返す、昭和20年生まれの母の教え

小さな頃、私は湘南の海の近くに住んでいました。
駅からは大人の足で20分ほどのところでした。

横浜や東京に買い物に行き、道を歩きながら何をしでかすかわからない無意味に活発でアホな男の子を連れ、重い買い物袋を下げた私の母は、家に帰るのに時々タクシーを使いました。

そんな時、母はわざわざ一つ手前の駅で電車を降りて、タクシーに乗っていました。

私の父は普通の昭和のサラリーマンで、我が家は特段裕福だったわけではありません。

「たくしーのねだんがたかくなるのに、なんでわざわざそんなことするの?」

幼かった頃の私が聞くと、

「タクシーの運転手さんは、駅でお客さんを長い時間待っていたかもしれないのに、一番安い値段しか払わなかったら、申し訳ないでしょう?」

と母は答えました。

今からすると、考えにくいことかもしれません。

ですが、何十年も前の話ですから、今とは違って「女性は近くしか乗らない(ことが多い)ので乗車拒否する」「近距離の客に露骨にイヤな顔をして文句を言う」ような運転手が多くいて、お金を払って不愉快な思いをさせられたことも何度もあったのだと思います。

また、「お釣りは取っておいてください」と女性から言うことはややはばかれ、またそう言われることを嫌がる運転手もいたのでしょう。

私は今、都内のターミナル駅から歩いて帰れないわけではないぐらいの距離のところに住んでいます。母の言いつけを守って、と言うわけではありませんが、いまでもバーで酔っ払ってタクシーで帰宅する時は、いわゆる「つけ待ち」のタクシーではなく、「流し」のタクシーしか使いません。「流し」のタクシーはたくさん走っていますし、わざわざ「つけ待ち」のタクシーに乗ってお金を払ってまでお互いイヤな気分になるのはイヤだからです。



そんな母は、買い物にスーパーに行って、特売品を買う時には、必ずカレーのルーやスパゲッティなど、特売品以外の日持ちのするものをいつもより多く買い物かごに入れていました。

幼かった私はまたなぜなのか、不思議に思って母に聞きました。

「なんでいつもひとつしかかわないのに、きょうはかれーふたつかうの?きょうもあしたもかれー?やった!!」

「今日だけすごく安くなっているものを、いくつか買ったからよ。」

「なんですごくやすくなっているものをかうと、じゃわかれーふたつかうの?」

母は言いました。

「安くなっているものだけしか買わないとお店の人が困るでしょう?」

そして、クリスチャンでもある母は、

「一生懸命お仕事した後にお買い物に来る人たちの分も残しておかないとね」

とも言っていました。

一人がたくさん買ってしまったら他の人が困る、というのは子供の私にでもわかります。

ですが、先ほどのタクシーの話とは違い、幼かった頃の私には、母の言う「安いものだけ買うとお店の人が困る」という話がなかなか理解できませんでした。

そのうちようやく、「母が言っていたことはこういうことだったのか」と理解できました。

スーパーが、利益を度外視した目玉商品を売る理由は、ただ安く売って利益を減らしたいから、というわけではありません。

また別の日に改めて買い物に来てもらったり、特売品以外のものも買ってもらうことで、全体としてより多くの利益を出そうとしているわけです。

そうしないと「ただ儲けを減らすためだけに安く売る」という、何をやっているのかわからないことになってしまいます。

だから母は「安いものだけしか買わないとお店の人が困る」ので、他の店で買っていたものをそのいきつけのスーパーで買ったり、日持ちのするものをいつもより多く買っていたのです。

大した買い物ではなく、微々たる金額ですので、それでお店にお返しをした、というほどではありませんが、母は母なりの形で、お店に対する感謝の念を示そうとしていたのです。

ですが、特売がある時だけその店に来て、特売品だけ買って帰る人は必ずいます。

当然、それをスーパー側も理解した上で特売を行っています。そうはいっても、やはり特売の時だけ来て特売品だけしか買わない「特売品ハンター」ばかりになってまうと、お店は困ります。

極端なケースですが、特売の時しか来ない「特売品ハンター」が、店が用意した全ての特売品を買い占めてしまうようになったとしましょう。

そうなれば、スーパーは意味がないので特売そのものをやめてしまいます。いつもきてくれるお客さんへの感謝、という意味合いもなくなりますし、普通に利益が上がる他の商品が、より多く売れるわけでもないからです。

「特売品ハンター」だけに安売りの品を売るのは、まさに「ただ儲けを減らすために安く売る」行為です。仮にそれでも特売を続けようとすれば、利益を確保するために普通の商品を値上げせざるを得なくなります。

つまり、「特売品ハンター」がわらわらと湧いてくると、スーパーに迷惑がかかるだけではなく、いつもそのスーパーで普通に色々買い物をする常連客にも迷惑がかかります*1。

そして長い目で見れば、そんな人たちばかりになってしまった街からは、スーパーは一軒も無くなってしまうでしょう。自分の利益だけを追求する人が増えすぎると、その人たちも結局のところ不利益を被るのです。

ですので、私は今でも母の教えを守り、スーパーの安売りの目玉商品だけ買い物かごに入れてレジを通ることはしません。そして、私のムスメにも同じことを伝えています。

私が母から教わったのは、「よくしてくれている人の意図と気持ち、他の人たちに対する気遣いをちゃんと持っておかないといけないよ、そしてよくしてくれた人には自分のできる形でお返しをしないといけないよ」ということです。

念のため申し添えますが、さまざまな理由で、それらの品だけどうしても買わなければいけない人たちもいるのは理解しています。そんな人に向かって、「お前のやっていることは恥ずかしいことだ」などと決めつけるつもりは私には全くありません。

また、「頼みもしないのにスーパー側が勝手に安売りをしているのだから、自分には買う権利がある、だからそれは恥ずかしい行為ではない」という人がいても、その意見を否定はしません。

ですがそれは、食べ物屋さんで「大盛り無料だから」といって大盛り頼んで食べきれずに残して、「店が勝手に「大盛りタダ」にしていたのだし、自分が金払って買い取ったものを残しても、誰からも文句言われる筋合いはない」と言い張るのと、あまり違いがないように思われます。

私は、自分のムスメには、明示的にルールで禁止されていないからという理由で「エレガント」でないことをしたり、人からテイクするだけでギブしない人になってほしくない、世の中は持ちつ持たれつなので自分のことだけしか考えない人間にはなってほしくない、といろんな言い方で伝えています*2。



前回、現行のウイスキーの値段とオールドボトルのウイスキーの値段の差が縮まっていること、あるいは逆転してしまっていることになんとも言えない居心地の悪さを感じている、と書きました。

書いた後、何で居心地の悪さを感じているのだろう、とずっと考えていましたが、ようやく気がつきました。

自分がフェアだと思う値段よりもずいぶん安い値段で、バーでオールドボトルを飲んでいる自分は、「エレガント」なのだろうか?
もしかしたら実は「特売品ハンター*3」と大して変わらないのではないか?
それも、自分の子供には「人からテイクするだけで、ギブしない人になるな」と言っておきながら。


この思いが、居心地の悪さの原因だったような気がしてきています*4。




*1 このケースで一番迷惑を被るのは、母のような人、つまり「安いものだけ買うのではなく、何か他のものも買わないと」とエレガントに振る舞おうとする客です。なぜならばそれらの客がいることで、より多くの「特売品ハンター」が「特売品ハンター」として生き延びることができるからです。


*2 ですので、某アニメで「エレガントか否か」で全てを価値判断するボーディングスクールの担任には、ボーディングスクールの使命に対する理解の深さも含め同意しかありません。

*3 東京の一部地域の方言ではそれらの人のことを「情○価格ハンター」と呼ぶという研究結果についての論文を読んだことがあります

*4 「じゃあどうすりゃいいんだよ?」と思う方もいるかもしれませんが、「エレガントである」ということは「何かをすべき」「すべきでない」といういわゆる「べき論」ではなく、「それはエレガントなのか?」と自分に常に問い続けることそのものなのではないかと思います。居心地が悪ければ、自分が何かギブできることはできないのかと考えを巡らし、できる範囲でそれを実行することが「エレガント」なのだと思います。

なお自分はエレガントであろうと意識的に努力はしているつもりですが、全ての自分の行為がエレガントであると言い切るほどの自信もありませんので、念のため申し添えておきます。

出典 俺

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