「いいものが安く飲めればそれでいいのか問題」を改めて考えてみた(オールドボトル編)
はじめに
最近すごく気になっているのが、直近リリースのボトルやオークションでのオールドボトルの値段が上がっているのに、さまざまなバーでいただくオールドボトルの値付けが相対的にあまり上がっていないことです。
バーの客として、オールドボトルを安くいただけることは短期的にはいいことかもしれないけれど、長期的に見て本当にいいことだけなのかややモヤモヤしていましたが、今回掘り下げて考えてみました。
インバウンド客からすると「日本のバーでオールドボトルを飲まずに帰るのは損」
海外のモルトバーに行かれた方はご存知だと思いますが、世界で一番オールドボトルの品揃えがいいのは日本のバーで、海外では基本オールドボトルを飲むのが非常に難しいです。
そして数少ないオールドボトルを置いている海外のバーは、客に提供する価格を時価に寄せて調整しているケースが多く、日本のバーは、時価よりも発売当初いくらで買ったかに値付けが引っ張られているケースが多い印象を受けます。
最近バーで多く見られる海外からの客からすると、日本のバーで飲むオールドボトルのお値段が、そもそも値付けが時価の上昇にリンクしていなくて割安だった上に円安が加わって、とんでもないバーゲン価格に見えているのではないかと思います。
そのため「日本で飲まずに帰ると損」となってしまい、「その値段だったら飲まない」という値段の歯止めが効かず、価値のあまりわかっていない人も含めて貴重なウイスキーをガブガブ飲んでしまう状況に意図せずなってしまっているように感じます。
オールドボトルと現行ボトルの価格差の縮小が将来及ぼす影響とは
一方で、原材料費や輸送費の高騰、円安の影響で、最近国内でリリースされるボトルの値上がりが激しいことは、みなさんご承知の通りです。これはウイスキーは国際商品なので、インポーターの企業努力でどうにかなるというレベルではなく、最近仕入れたものであればどうしようもない性質の問題です。
その結果、バーでショット5000円で売られている直近リリースのボトルと、同じ値段で出されるオールドのボトルの2つを、蒸溜所名・熟成年数・樽のスペックなどで比較したら、どう考えてもオールドボトルを選ぶよね、というケースが増えています。
当然、バーのカウンターに二つ並んで置かれていたら、後者のボトルから減っていきます。
国内外の客が日本のバーでオールドボトルから先にがんがん飲んでしまえば、直近リリースのボトルをバー(+われわれ消費者)が買う量が減ってしまいます。
仮に現行ボトルの売れ行きが鈍る中で、景気の後退やウイスキー人気の衰退が起こってしまうと、今の高値で在庫を抱えた小売・インポーターの経営も苦しくなりますし、ある程度以上の値段で売れることを想定してウイスキーを作っている国内蒸溜所ももくろみが外れて、初期投資の回収が難しくなります。
そしてオールドボトルが枯渇してしまいそうになれば、さらに希少性も上がり、オールドボトルを良心的な価格で提供して在庫が減ってしまったバーは、将来「Very」オールドボトルになった時のさらなる価格上昇の恩恵を受けられず、バックバーが寂しくなってしまい、将来われわれ客サイドの目から見て魅力的なバーではなくなってしまうかもしれません。
反対に、現状のオークション相場を適切に反映して値付けしているバーや、ある意味「売り惜しんで」在庫が温存できたバーのみが、将来の価格上昇の恩恵を受け、バックバーのバラエティを保つことができる、と言うことになりかねません。
「それを見越して昔から大量に仕入れて在庫もたくさん持っているので、心配はご無用です」「すでに何年も前からご指摘の点については毎日のように考えてきていますよ」とおっしゃるオーナーバーテンダーの方もたくさんいらっしゃると思います。素人の私でも感じられることを、バーの皆さんが感じていない、などと思い上がっているつもりは全くありません。
そして念の為改めて申し添えると、いいものをできるだけ安く提供しようと努力してくださっていることについてはいつも感謝をしておりますので、その努力に対して批判的なことを申し上げるつもりも全くございません。
ですが、オールドのボトルと現行のボトルの値段の差が小さくなったり、場合によっては逆転してしまっている現在の状況を見ると、素人のバーの客である私を含め多くの人が、ありがたさとともに「本当にこれでいいのだろうか?」と漠然とした居心地の悪さを感じていると思います。
なぜ歴史あるバーでは良心的な値段でオールドボトルが飲めるのか
たまに、お年を召したお客様が、
「このラフロイグのボトル、90年代前半にリリースされた当時は1万円もしない値段で買えたのを考えると、最近のボトルに10万円以上払う人がいるのが信じられない」
などと、オーナーバーテンダーに言っているのを耳にすることがあります。
全然ウイスキーが人気がなかった頃から店を支えてくれている、昔からのなじみ客にそのように言われると、バーも現状の相場に沿った値付けをするのがためらわれるのかもしれません。
逆に今の若いウイスキー好きは、自分で今ボトルを抱えたら高くつくのが良くわかっているので、少々高くても現状の相場に近い価格を比較的受け入れてくれやすい傾向があるように思われます。
繰り返しになりますが、昔からの在庫を多く持ち、いいものをできるだけ安く提供する努力をされているおかげでわれわれが良心的な値段で飲めることも言うまでもありません。
ですが、昔からあるお店の多くは、ウイスキーが安かった頃を覚えている古いお客様に忖度して、昔買った水準に近い値付けでオールドボトルを提供しようとしているのではないか、だから現在の市場価格とのギャップができがちなのではないか、というのが私の個人的な推察です*1。
「値段上げて全然構わない」と客が思う瞬間
もちろんそれらのお客様が大事であることは理解できますが、オールドボトルのストックが減って希少性が上がっていく一方なのにも関わらず、「昔の酒は安くて美味かった」と言い続ける人たちに忖度し続け、昔の酒を安い値段で提供してそれによりさらにストックを減らしていくというのは、端的に言って永遠に続けられることではないように思われます。もちろん今の「現行ボトル」は時間の経過とともに「オールドボトル」になっていきますが、保管コストも含め安くなることはありません。
今後もずっとバーで客としてお世話になり続けたいと思っている立場の人間としては、いつもお世話になっているバーのオーナー、バーテンダーの方々には、経済的に苦労されるよりも、しかるべき利益を上げていただいて幸せになっていただきたいという気持ちがあります。そうでないと、客とお店の幸福の分け前のバランスが崩れてしまい客としての居心地が悪くなってしまいますし、バーで働きたいと思う若くて魅力的な人がいなくなってしまうのでは、と老婆心ながら心配にもなります。
ですので、客である私が言うのも変な話ですが、直近リリースの話題の高額ボトルがカウンターに置かれたままで、飲んで美味かったオールドボトルが先になくなったりするのを見ると、「もっと高い値段でもお支払いしました」「もっとボトルに敬意を払うべきだった」と心が痛くなる時もあります。
将来のために飲み手である私ができること
部分最適と全体最適は違う、マクロレベルで当然合理的だと思われることでもミクロレベルでは非合理的で、また逆にミクロレベルで合理的なことでもマクロレベルで見ると非合理的だ、といういわゆる「合成の誤謬」は現実世界ではよく起きます。
ウイスキー業界全体のことを考えると値上げした方がいいのかもしれないけれど、自分の店だけ値上げして、他の店が追随しなかったら、来客が減って売上げがむしろ下がるかもしれない。経営者としてそのリスクを計算に入れるのは極めて自然なことだと思います。常に業界のことを考えて振る舞っていても、自分が経済的に苦境に立たされた時に周りのみんなが救ってくれるとは限らないのが現実なわけですから。
そうだとすると、オールドボトルが相対的に割安なままの現状が続く可能性があります。そんな中で、個人的に気をつけたいと私自身が考えていることが二つあります*2。
一つ目は、「老害トーク」をできるだけしないように気をつけたいな、と思っています。
今までずっとたゆまぬ努力によっていいものを安い値段で提供し続けてくれていた方々への感謝を忘れ、「昔は安かったのに今こんな値段なのかよ、もういらねえよ」的な、回り回って自分自身の首を締めかねない「デフレ再生産への道まっしぐら」の考え方をしたり、人に言ったりしないようにしよう、と思っています*3。
そして二つ目は、「ボトルをバーで客に出して売り切るよりも、オークションで売った方が儲かるとわかっているのに、良心的な値付けで客に出してくれているお店に対して感謝を忘れない」ようにしようと思っています。
バーにお金を払っているように見えるこっちが、実はバーからお金もらってるぐらいのレベルでよくしてもらっている可能性があることを忘れないようにする、と言い換えてもいいかもしれません。
他人に強制するつもりはありません*4が、自分の中ではこのように整理しています。
「いいものが安く飲めればそれでいいのか問題」を改めて考えてみる
「安く飲めればそれでいいじゃないか、金持ちが「貧乏人に安くいいものを飲まれたら自分が飲めなくなって困る」って言っているだけのポジショントークじゃないか」とおっしゃる方もいるかもしれません。
そんな方がいらっしゃってもその意見を否定することはしません。
が、全てのものにはフェアな値段があるし、そうあるべきだと思います。
たとえば、こんな思考実験をしてみましょう。
全国旅行支援で、明日から新幹線と国内線の飛行機の値段を特別に10分の1にする、ということになりました。当然、日本中の新幹線と国内線の飛行機は一瞬で満席になりました。
そんな時、運悪くあなたが住んでいる東京から遠く離れた北海道にいるあなたのお母様が倒れて危篤になった、という知らせを受けました。
あなたは一刻も早く親の顔を見に北海道に行きたいのですが、飛行機も新幹線もまったくチケットが取れません。なぜなら、本来の値段だったら来るはずのない、時間だけはやたらとある不要不急の観光客が、値段の安さに惹かれて飛行機と新幹線のチケットを買い占めてしまっているからです。
あなたは片道10万円払っても、いやそれ以上の値段を払ってでも今すぐ北海道に行きたいのですが、残念ながらチケットが買えず、肉親の最期の瞬間に立ち会うことができませんでした。
ではもう一つ、別の思考実験を。
あなたのお父様ががんを宣告され、余命はあとわずか。医者に聞いたら今晩が山場だとのこと。お父様があなたに「昔飲んだマッカランの60年代のオフィシャルボトル、死ぬ前にもう一度飲みたいなあ」と言いました。
どうしても父のその想いを生きているうちに叶えてあげようとあなたは思うのですが、本来の価値よりも安い値段で売らないといけない、という謎の決まりがあったせいでもう全てのボトルが飲み尽くされてしまっており、あなたが「お金はいくらでも払うから誰か売ってください!」といくら叫んでも買うことができず、父のたった一つの最期の願いを叶えることができませんでした。
この2つの思考実験で言いたいことは、価格には「本当に必要な人にモノやサービスを最適配分する」という機能が内包されているということです。
では、次の質問にお答えください。
「大挙してやってきた海外からの観光客に、円安のせいで自国通貨に換算した値段が安いと言う理由だけで、あなたが希少で価値があると考える思うウイスキーをがぶがぶ飲まれたら、複雑な気持ちになりませんか?」
「なる」、「ならない」の2択で今ここで自分の中で答えてみてください。そしてその答えを覚えておいてください。
同じ質問をもう一度伺います。ただし一部には打ち消し線がついています。「大挙してやってきた海外からの観光客に、円安のせいで自国通貨に換算した
「値段が安いと言う理由だけであなたが希少で価値があると考える思うウイスキーをがぶがぶ飲まれたら、複雑な気持ちになりませんか?」
「いいものが安く飲めればそれでいいのか問題」について、「安く飲めるのに文句言うな」と言う人に私の言いたいことはこういうことです。
ここまで長文お読みいただきましてありがとうございました。
ちなみに続編というか議論の補足を書いておりますのでこちらもご覧ください。
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