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フィルタ2 ~殺人フローチャート~

●第一章

     〔1〕

送信者:村瀬恵子  日時: 201X年7月23日 20:32
宛先:アイソフトサポートセンター  件名:至急回答ください
 昨年十二月に御社フィルタリングソフト「ふぃる太郎」を購入し、ノートPCに入れて、小学三年生の娘にWeb閲覧させています。
 先日、会社にいた私に娘から電話が入り、「開いたWebサイトで、お金を支払うように言われた」と連絡を受けました。驚いて家に帰り、ふぃる太郎のアクセスログを見ると、怪しげなWebサイトにアクセスしていた様子。子供なので、検索エンジンで「アニメ」、「ゲーム」などで検索し、いろいろアクセスしていたようですが、そこで見つかったWebサイトです。
 娘は「恐ろしいものを見てしまった」と大変おびえています。あそこまで明確にいやらしいキーワードが並んでいるWebサイトを、なぜ遮断できないのでしょうか?
 当分、娘のPC利用は全面的に禁止します。不便になりますが、やむを得ません。今後このようなことが起きないために、どういう対策をしてくれるのか、早急に(!)ご説明いただきたいと思います。よろしくお願いします。

 桐生晃一はメールを印刷したA4用紙をテーブルの上に置き、稲葉直樹の顔を一瞥した。
「で、このメールを一週間放置したわけ?」
「うん。おかげでユーザーはかんかんに怒っているらしいんだ」
 稲葉の眼鏡の奥の瞳が緊張している。窓がない四人用のA会議室で、第二開発課主任の桐生は、上司でもあり親友でもある稲葉に、呼び出されていた。
「ま、一週間も放置されたんじゃ、おれが客でも怒るだろうね」
 桐生が他人事のように言うと、稲葉が弱ったように首を傾けた。
「サポート課から謝罪メールと当社の見解を送ってもらって、とりあえずユーザーの温度を下げたけど、それでも責任者を連れて来て説明しろって聞かないんだ」
 稲葉が眼鏡のフレームを触ると、切迫した表情で桐生の顔を見つめた。
「とりあえずいまから五分後に関係者をF会議室に集めてる。その前に桐生に相談したいと思ってさ」
「責任者を連れて来いって言ってんだったら、データ収集課の人間が行けばいいじゃん」
 データ収集課では、好ましくないWebサイトかどうか、カテゴリー分けを行っている。プログラムの問題でなければ、ブロック漏れはデータ収集課の問題ということになる。
「今回はデータ収集課だけの責任じゃないんだ。サポート課からデータ収集課への報告が遅れたのも、ユーザーを怒らせた原因なんだ」
「でも、サポート管理ツールには登録してたんだろ?」
 アイソフト社の開発部では、サポートが発生した際には、情報を共有化するため、担当者が必ずサポート管理ツールに登録する決まりになっている。しかし稲葉はかぶりを振った。
「やってないそうだよ。だからデータ収集課への報告が遅れてしまった」
「だれだよ、担当者は?」
 稲葉の隣に座っていたサポート課課長の麻衣が、初めて口を開いた。
「どうやら南田君のようなの」
 南田守は今年の四月に入社してきた新人だ。ライブラリ課に配属されていたが、七月からサポート課に転属させられた。
 桐生が「なるほど、あいつね」と呟くと、稲葉が頷いた。
「だれが謝罪に行くのか議題になるけど、みんなで押しつけ合って収拾がつかなくなりそうだから、こうして前もって打ち合わせをしておこうと思ってね」
「そんな面倒くさいことは品質管理課の白田次長が決めるだろ」
「ところが白田次長は今日体調が悪くて休んでるんだよ」
「シロティが? からくりの仕掛けが故障したのかな」
 稲葉が眉をひそめた。
「白田次長のことをそんなふうに言うのはまずいよ」
「でもさ、シロティってさ、からくり人形に似てるだろ。特に歩き方とか、茶運び人形そっくり」
「そんなこと言ってたのが白田次長に知られたらひどく叱られるよ」
「大丈夫だよ。赤間本部長だって、こっそり言ってんだから。そもそも『シロティ』も『からくり人形』も名づけたのは赤間本部長らしいぜ」
「それがさ、このあいだ白田次長に知られたみたい。『シロティとは私のことですか?』って詰め寄られて、弱ってたもん」
「あの人、白田次長だけには弱いな。なんか弱みでも握られてんじゃないのか」
「さあ、そこまではわからないけど」
「じゃあ本部長の赤間さんは?」
「一昨日から北海道に出張だって。飛行機が苦手だからカシオペアで行けないかなって言って、月曜日総務の女の子にこっぴどく叱られてたよ」
「あの人、開発本部長としての威厳はゼロだよな」
「お客様は今日中にって言ってるから、なんとか今日中に対策を打たないといけないんだけど」
 麻衣が時計を見ると、あわてたように言った。
「もう時間よ。早く行かなきゃ」

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